46.マチルダの献身
再びの地獄を乗り越え、私たちはノルンへと無事帰還することが出来た。
すぐに治療院へと向かうと、まずは温かいキニネイ茶で体の芯から解凍する。
ほっと一息吐く至福の時だ。
許されるならずっとこうしていたい。
まぁ、そういう訳にもいかないので、かじかんだ指先をさすりながら病室へと向かう。
すると、病室では患者たちの食べ終わった食器を片付ける一人の少女の姿があった。
「……おかえりなさい」
「あ、マチルダ。忙しいのにいつも手伝ってくれてありがとう」
「……いえ、私たちが招いたことですから」
「だとしても、ありがとう」
マチルダはさっと気恥ずかしそうに顔をそむけると、食器を重ねたトレイを手に部屋を出る。
そして、その間際、こう私に言い残してくれたのだった。
「……他に何か手伝えることがあれば言ってください」
お礼を言おうとした時にはもう彼女の姿はなかった。
「……ありがとう、マチルダ」
それでもその言葉を口に出す。
それから私は患者の容態を改めて確認し始めた。
当初よりは少し回復しているように見える。
だが、それはほんの少しだ。
ボロボロだった肌にツヤが戻ったような気がするだけ。
「ヒーリング!」
治癒魔法を掛けてみても、結果は以前と同じ。
異質な感覚と共に、傷の回復が思い通りにいかないままだ。
「具合はどうですか?」
「……あ、うん? ……ち、治療師の?」
喋るのも苦しそうな様子でゼェゼェと喉を鳴らしながら声を出す患者。
「申し訳ないのですが、少しだけ問診させてください。クロウレイの間で儀式を行われて、どれくらいで症状が出始めましたか?」
少しの間の後、患者がゆっくり答える。
「……じょ、徐々に」
徐々に、か。
分かっていたことだが、突発的な要因があった訳ではなく、慢性的にその要因に触れていたことになる。
とすると、クロウレイの間でやることと言えば祈りの他には食事だろう。
あそこで拾ったパンのことを思い出す。
どんな食事を摂っていたか、念のため確認しておこう。
「食事はどのようなものを?」
「……さ、さぁ。覚えてないな……。暗闇だったし……。食事は女性たちが準備してくれていたから、彼女たちに聞いてもらえるか……?」
それだけ言うと、疲れ切った様子で目を閉じてしまった。
女性たちが準備してくれる、か。
それならマチルダに聞いてみよう。
私は患者に治癒魔法を掛けると、治療院の炊事場へ向かった。
そこではマチルダが食器を洗っているところだった。
「マチルダ、作業中ごめんね。ちょっと聞きたい ことがあるんだけど」
「……はい、何でしょう?」
手に付いた泡を洗い落としながら顔をこちらに向けるマチルダ。
「クロウレイの間で行っていた豊作の儀式だけど、祈祷者の方に渡す食料の中身って分かる?」
「……はい。私も手伝いましたから。中身は、干し肉にパン、ナッツやドライフルーツ、野菜の酢漬け。あとはぶどう酒です」
一般的な保存食だ。
しかも、万遍なく食料を持ち込んでいるようだから、栄養不足が原因ということもなさそうだ。
それを聞いていた私が難しい顔をしていたからか、マチルダがこう付け加える。
「……詰め込んだ食料はノルンで作られた物ですよ。ここに保存してあるのと同じ物だと思いますが……」
「そう、だよね。変なこと聞いてごめんね。ありがとう」
私は棚からいくつかの干し肉とドライフルーツ、そしてパンを掴むと師長室へと足早に戻るのだった。
「ふぅ……」
師長室に入ると、手に持ったそれらの食料をテーブルへ乱雑に下ろす。
複雑な心境だった。
マチルダの言う通り、儀式に持ち込んだ食料がそれらの保存食であるなら、ノルンで作られた物で間違いないだろう。
余所から手に入れようにもルートがない。
と言うことは、祈祷者と同じ食料をノルン国民も食べていることから、食料自体に問題はなさそうだ。
となると、食料を麻袋に詰める際に、要因となるものが混入した可能性が残る。
例えば、毒。
だが、その目的は?
同じダークレヴの仲間がなぜ毒を盛る必要がある?
それに、儀式に必要なことで、何か事情があるならば私に教えてくれてもいいだろう。
だから、その可能性は極めて低い。
が、可能性がある以上、それを完全に打ち消さなければならない。
それが、マチルダたちを疑っているようで、複雑だ。
「じゃあ、始めますか」
私は治療院の炊事場から持ってきた食料をシリンダーに詰める。
そして、一つ一つ魔力を込めていく。
何かの成分を抽出する訳ではない。
ただ、何の成分が入っているかを調べることは出来る。
ひと通り魔力を込めた結果、当然ながら、毒物含めそれらの食料には特に違和感を覚えることはなかった。
次に、クロウレイの間で拾った腐りかけのパンをシリンダーに詰める。
これで、炊事場のパンと比べ、何の異物の混入も見つからなければ、彼女たちが食料を準備している際に毒物などの原因となるものを付加しているという線はなくなる。
「何も、ないよね……?」
私は祈りながら魔力を込める。
魔力は腐りかけたパンの隅々まで駆け巡り、その朧げな構成要素の姿を私に知覚させる。
その結果、腐っていることと表面にアンチライトの顔料が付着していること以外に特段変わった成分はなく、炊事場のパンと遜色はなかった。
「ひとまずは余計な疑惑を排除出来て良かった……」
杞憂に終わったことでホッとする。
しかし、一つの可能性を消せただけで、原因の究明には至っていない。
「クロウレイの間で行われているのは祈りと食事くらいだからなぁ。何かあるとすれば食事だと思うんだけど……」
私はクロウレイの間で拾った腐りかけのパンを手持ち無沙汰に弄ぶ。
そして、何の気なしに魔力を込める。
本当に特に意味はなかった。
だって先程、シリンダーで調べたばかりなのだから。
でも、その瞬間、奇妙な既視感に襲われる。
「……今のって」
シリンダーで魔力を通した時のことを言っているのでは当然ない。
心がざわざわする。
私は以前から同様のものを感じ取っていたのだ。
手にしたパンをじっと見つめる。
今の既視感は、どこで感じたものだ?
パンそのものではない。
そして、私はある結論にたどり着く。
「そうだ。原因はこれだ……」
私が感じたものの正体。
それはパンに付着した黒色の顔料、アンチライト鉱石だ。
シリンダーで調べた時は、普通のパンと比べるため、あえて顔料については意識しないようにしていた。
だけど、改めてパンに付着した顔料も魔力によって感じ取った時、全く同じ違和感を覚えたのだ。
そう、患者の治癒を阻害する何かを感じ取った時と同じ違和感を。
つまり、患者である祈祷者は、暗闇の部屋で顔料を壁に塗りながら祈りを捧げるため、そんなところで食事をすれば、当然食料はこのように顔料まみれになる。
それを摂取し続けた結果、体内に粉砕された鉱石が蓄積し、内部から体を傷つけ、さらには傷口にその微小な鉱石が食い込み、損傷の治癒が上手くいかなかったのだ。
かつてダークレヴの巫女も化粧の一種として使っていた顔料だということで、まさかとは思っていたが、よくよく考えてみれば体内に摂取される量が明らかに違い過ぎる。
これが、クロウレイの儀式で生命力を吸われることの正体だったのだ。
「そうと分かれば後は……!」
私はすぐさまパンの表面に付着したアンチライト鉱石の顔料だけを削り取り、それをシリンダーに集め始めた。
そして、それに魔力を込める。
アンチライト鉱石の構造を細部まで探るように、粘液を想像しながら魔力をねっとりと流し続ける。
原因となる物質が分かって本当に良かった。
そうでなければ、こうしてシリンダーを使った分析なんて出来ない。
患者の体で行うなんてことは、治癒魔法ではない魔力を流し続けることになり、最悪死に至る可能性もあるのでもってのほかだ。
私はより深く深く潜るように、魔力をアンチライト鉱石に集中させる。
意識の漆黒の闇の中、黒い輪郭だけが浮かぶアンチライト鉱石。
手探りでその形を認識していく。
独特な凹凸が私の感覚に刻まれていく。
それを綺麗に包み込むよう、幾度も魔力の形を変え続け試行錯誤する。
どれくらいの時間が経っただろうか。
あのクロウレイの間で感じたような広大な闇に漂う浮揚感。
魔力を粘土のようにこねくり回し、アンチライト鉱石の形に合わせていく。
そして、その時はやってきた。
パズルのピースがカチリとハマるように、アンチライト鉱石にぴったりと合う魔力の形が見つかったのだ。
「やった……! 見つけた!!」
私は食料で散らかった師長室を急いで飛び出すと、患者の眠る病室へと飛び込んだ。
そして、感覚を忘れぬうちに、患者へと細心の注意を払い、ゆっくりと全身に魔力を流していく。
すると、体の至るところに目に見えないくらい微細なアンチライト鉱石が食い込んでいるのが感じられる。
それらを先程覚えたぴったりの形に魔力で包み込んでいく。
「……くっ。う、うん、早く、助け……ないと」
アンチライト鉱石の粒子はおびただしい数が体内に蓄積している。
それら全てを魔力で包むのだ。
砂浜の全て砂を、別の場所へ手で運んでいくようなものだ。
それに分析からずっと魔力を出しっぱなしだ。
軽く意識が飛びそうになる。
「……はぁ、はぁ。……ここで、気を失ったら……また最初から……。もう、少しだけ……。癒やしの女神ケレよ……。もう少しだけ、その御力を……お貸し、ください……」
しかし、神への祈りも虚しく、限界は近そうだ。
せっかく治療法を見つけたというのに。
私一人の力では治療出来ないというのか。
悔しい。
目まいはひどくなり、帳が下ろされていくように目の前が暗くなっていく。
もうダメだ。
そう思った時だった。
「大丈夫ですか!?」
微かに聞こえたその声に振り返ると、これまで見せたことのないくらい目を大きく見開いたマチルダがそこにいた。
慌てて駆け寄る彼女。
いつも冷静で無気力そうな彼女がこんな姿を見せるなんて、私は相当ひどい顔をしていたようだ。
これ以上、心配させぬまいと力なく笑って応える。
「……ちょ、ちょっと、魔力が、足りないみたいで」
だけど、それは逆効果だったようだ。
マチルダが激しい口調で叱責する。
「手伝えることがあれば言ってくださいと言ったじゃないですか! 一人で抱え込んで潰れてしまったら、ノルンの皆が迷惑するんです! ……魔力ですね? ちょっと待っててください」
すると、マチルダは病室の窓を開けると、指笛を鳴らした。
直後、森の方から巨大な白い怪鳥が飛来し、窓のすぐ側へ降りてきたではないか。
あれは確か、マチルダがシロと呼ぶペットだ。
シロが着地するやいなや、マチルダはその羽根を一本さっと抜き取ると、棚に置いてあった香炉へそれを押し込み、火打ち石で火を付け始めた。
「これを浴びてください!」
そう言ってマチルダが煙の立ち上る香炉を私の足元に置く。
独特の得も言われぬ香りが鼻を突く。
だけど、嫌な香りではなかった。
いや、むしろ体の奥底から癒やされるような不思議な香りだ。
目まいは治まり、朦朧としていた意識が覚醒していく。
さらには先程までほとんど底を突いていた魔力が徐々に増えていき、水差しに新たな水が注がれるように、満たされていくではないか。
何が起こっているか理解出来なかった。
でも、魔力が回復したのは事実だ。
「ありがとう! マチルダ!」
みなぎる力を出し惜しみなく放ち、私は患者の体に蓄積したアンチライト鉱石を魔力でコーティングする。
どんどんと魔力を放つ先から、香炉の煙のおかげで、魔力が充填されていく。
凄まじいスピードでコーティングは進み、ようやくほぼ全ての鉱石を魔力で包むことが出来た。
そうなれば最後の仕上げだ。
「リジェネレーション!」
患者の全身に緑色の光の膜が漂う。
こうしてアンチライト鉱石を包んだ魔力が固着されると共に、全身を巡る魔力の流れに沿ってアンチライト鉱石が体内を浮遊し、いずれ全て排泄物と共に体外へ出るはずだ。
さらには今までアンチライト鉱石によって治癒出来なかった負傷も、リジェネレーションによってゆっくりと回復する。
これで治療は無事完了した。
私はふぅと一息吐くとマチルダへ振り返る。
「本当にありがとう。あなたのおかげで治療に成功した」
「……そうですか。良かったです。……怒鳴ったりしてすみませんでした」
マチルダはもういつもの調子に戻っていた。
「いえ、ありがとう。治療法が見つかったことに興奮してすぐに治療に取り掛かってしまったけど、冷静に考えれば魔力が足りなくなることくらい分かったのに。そうであれば色々と準備も出来たし。あのまま魔力切れで倒れていたら数日は昏睡してただろうから、その間にノルンで何かあったら誰も治療出来ない……。マチルダの言う通り、自覚が足りなかった。気付かせてくれて、ありがとう」
「……もういいです。分かって頂けたのなら」
マチルダはそう言ってそっぽを向いてしまった。
どことなく顔を紅潮させて。
「そう言えば、この香炉の煙は? シロの羽根を燃やしていたように見えたけど……」
そう、これがなければ治療は失敗に終わっていた。
だけど、マチルダも首をかしげる。
「……さぁ? 以前、オーグマさんにシムルグというシロによく似た神鳥の伝説をお聞きした時、羽根を燃やすと失った魔力を取り戻すという話を咄嗟に思い出したので試してみましたが、効果があって良かったです」
「そ、そうなんだ」
薄々感じてはいたが、これでシロが神鳥ということが確定してしまった。
恐るべし、ダークレヴ……。
まぁ、とにかく今日は無事治療が終わったことを祝おう。
神々に感謝しながら、久々のノルン料理で祝杯を上げたい気分だ。
そうだ、セルジュとアルベルトにも付き合ってもらおう。
「……どうしたんです? 急ににやにやと笑って……」
おっといけない。
マチルダに恥ずかしいところを見られてしまったようだ。
「そうだ! せっかくだからマチルダも一緒に食事に行かない? セルジュとアルベルトと、あとレオンも誘って!」
「……ッ! ……ま、まぁレオンが行くなら着いて行ってもいいですよ。私一人では気まずいですから」
マチルダがうつむき加減で髪をいじりながらそう答える。
「よし! じゃあ行こう!!」
そうして私は意気揚々と治療院を後にするのだった。




