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45.クロウレイの間

 夢とはかくも儚いものだとは。

 いや、私が夢を見過ぎていただけかもしれない。

 そう、夢。

 私は今、クロにまたがり、森を疾走している。

 まるでおとぎ話の登場人物のように。

 だが、おとぎ話のようには上手くいかない。


「だいじょーぶー? クレアーさーん?」

「……さ、寒い……」


 風のように駆けるクロの上で、私は身を千切られそうになっていた。

 レオンが何やら声を掛けてくれているみたいだけど、ゴウゴウと吹き抜ける風の音で何も聞こえない。

 振り落とされまいと特製の鞍のグリップをギュッと掴みながら、歯をガチガチと鳴らしている。

 そして、ちらと目を開ければ、眼前スレスレを木々や枝葉が猛スピードで過ぎ去っていく。

 これはもう恐怖でしかない。

 万が一にも顔面に枝が直撃しようものなら、即死だ。

 出来るだけ頭を低くするよう身をかがめ、強く目を閉じる。

 この際だからとことん言わせてもらえば、毛はモフモフなんて生易しいものではなく、ゴワゴワで服の上からでも刺さるくらい痛い。

 さらに、激しい揺れで何度もお尻と鞍がぶつかり合い、打撲傷が生じるそばから治癒魔法で治療している始末だ。

 これが現実というものだ。

 それから私は夢の時間、もとい地獄の時間を耐え抜いたのだった。


「クレアさん……。大丈夫? そこが儀式で使うクロウレイの洞窟だけど……」

「……う、うん。ちょ、ちょっと焚き火で温まらせて……」


 私がヨロヨロとクロから降りると、レオンは手早く乾燥した葉や枝をかき集め、洞窟の前の岩場で火を起こしてくれた。

 私は早速それに身を寄せる。

 九死に一生を得た。

 まさに生き返る気分だ。

 だが、無邪気なレオンがそんな私を再び地獄に突き落とす。


「そっかー。クレアさん、狼に乗るの初めてだもんね。帰りは慣れてるといいね」


 帰り……?

 そうだった。

 地獄の時間はまだ半分あるのだ。

 私はもう遠い目をする他なかった。


「……レオンは平気なの?」

「うん。もう慣れちゃった」


 愚問だった。

 ダークレヴは私たちと違って何かと強いのかもしれない。

 そうしてしばらく温まると、少しだけ元気が戻ってきた。


「ごめんね、レオン。お待たせ。もう大丈夫」

「ううん、全然! 俺も少し肌寒かったし。じゃあ、行こうか」


 そう言うと、レオンは焚き火からたいまつに火を移し、洞窟の入口へと向かって行った。

 ごめんね、レオン。

 私は肌寒いなんてレベルではなく、凍死寸前でした。

 洞窟はなだらかに傾斜しており、段々と地下深くへ潜っていくようだった。

 時折、たいまつの火をキラリと反射する黒い結晶が足元や壁面に現れる。

 恐らくこれらの黒い結晶が、儀式で顔料として使われるアンチライト鉱石なのだろう。

 しばらく道なりに進むと突然、目の前に凹凸の少ない道と壁が飛び込んできた。

 明らかに人の手によって整備された場所だ。

 壁の一部は綺麗な長方形の入口になっており、その横には一回り大きな石の扉が置かれていた。

 数人掛かりでそのまま横にスライドさせれば、扉を閉めて密室に出来るのだろう。


「ここがクロウレイの間だよ」


 やはり、ここが儀式を行う場所で間違いなかった。

 何でも良いから負傷に関する手掛かりが欲しい。

 そうでなければ、あの地獄の時間が本当にただの地獄になってしまう。

 私はレオンからたいまつを受け取り、ゆっくりクロウレイの間へと入った。

 すると、まず視界一杯に広がったのは、黒だった。

 どこを見ても黒一色。

 この世の暗黒を全て凝縮したような異様な空間に鳥肌が立つ。

 狭い部屋であるはずなのに、一瞬途轍もなく広大な無の空間に放り出されたような錯覚をする。

 神と繋がる場と言われる所以がたちまち理解出来た。

 少しばかり目まいを覚え、よろけそうになると、レオンがすかさず声を掛ける。


「クレアさん! 部屋の角は気を付けて! どこか分からないけど、トイレ用の穴が開いてるみたいだから」


 私はギョッとして急速に意識を取り戻す。

 食料を抱えて相当な時間をここに籠もるのだから、当然その機能は必要だ。

 改めて、手掛かりを探すべく部屋をぐるりと見渡す。

 だが、どこを見ても黒しかない部屋だ。

 探す物などどこにもないように見える。

 ここに入った祈祷者はアンチライトを砕き、その顔料を壁に塗りながら祈りを捧げる。

 黒に黒を塗り重ね、さらなる漆黒としていく。

 そんな様子を思い描きながらウロウロと見回していると、何かが足に当たる。


「……ん? これって……」


 手に取って持ち上げたそれは、真っ黒に染まった麻袋だった。

 そこからコロリと真っ黒な塊が転がり落ちる。

 アンチライト鉱石の残りかと思ったが、拾い上げてみると妙に軽い。

 それに、この手触りはすごく馴染みがある。

 私はその塊をおもむろに手で割った。

 バリバリという音と共にすえた小麦の匂いが鼻を突く。


「やっぱり……パンだ」


 この麻袋はどうやら食料を運び込んだ際に使用したもののようだ。

 そして、そこに余っていたパンが一つ入っていた。

 そのどちらもがアンチライト鉱石の顔料で真っ黒になっている。

 それも当然だろう。

 真っ暗闇の顔料まみれの密室の中、手探りで食料を取るのだから。

 でも、それがどうしたというのか。

 部屋にただパンが落ちていた。

 ただそれだけだ。

 でも、なぜかそのパンを手放す気になれなかった。

 これがこの部屋で見つけた唯一の物だからだろうか。

 地獄を味わったからには、何かを持って帰らなければいけないという強迫観念にでも駆られているのか。

 理由は分からなかったが、私はその腐りかけたパンを大事そうに麻袋へしまうと、それをしっかり手に持った。


「結局、見つかったのはこれだけかな……」

「そうだね。じっちゃんたちの話を聞く限り、中に持って入るのも後は顔料くらいだし」

「ありがとう、レオン。実際の儀式のイメージは掴めたし、これ以上の物はないっていうのも確かめられたから、来て良かったよ」


 私は戦利品でも獲得したかのように、黒い麻袋を顔の横へ掲げる。


「じゃあ、もう帰る?」


 確かにもうここでやれることは何もない。

 何もないのだが、帰ろうという気が全く起こらない。

 と言うより、レオンのその問いが死の宣告にすら聞こえる。

 何とかあの地獄の道中を快適にする方法はないだろうか。

 私は何気ない風を装い、こう言ってみた。


「ええ。そうだ、日の入りまで時間あるし、クロも疲れるだろうから帰りは少しスピードを落としてもいいけど……」


 すると、私の期待を見事に裏切るように、レオンがハッキリとした口調で切り返したではないか。


「クレアさん! 俺やクロに気を遣ってくれる必要なんて全然ないよ! 俺たちは大丈夫だから、早く仲間を助けて欲しいんだ。いつも俺たちばかり助けられて申し訳ない気持ちで一杯だけど、クレアさんしか頼れる人はいないんだ!」


 そんなことを言われてはもうどうしようもない。

 引きつった笑みを浮かべながらそれに応える。


「申し訳ないなんて思う必要こそ全然ないから! 出来る人が出来ることをして、お互いに助け合う。そうしてノルンは発展していったんだから。それはこれからも変わらないよ」

「ありがとう……。クレアさん……」


 目元をゴシゴシと腕で拭くレオン。

 もう私も覚悟を決めた。

 帰るならさっさと帰ろう。

 苦しい時間は短くて済む。

 それに、レオンの言う通り、負傷者のためにも早く治療院に戻らなければ。

 黒い麻袋を一つ携え、私たちはノルンへと急ぎ戻るのだった。


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