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44.クロウレイの儀式

 久々に戻ったノルンの治療院は何だか今までと違って見えた。

 これまでは、どこか他人の家にいるようで遠慮していたところがあった。

 だけど、今は我が家にでもいるような気分だ。

 現金な人間でつくづく自分でも嫌だなぁと思うが、それもこれも師長になったからなんだと思う。

 実質的には何も変わっていないというのに、立場が変わるだけでこうも違うのか。

 嬉しい反面、これからは責任が伴う。

 その見えない重圧もひしひしと感じつつある。

 今よりもっと、ノルンの人々の助けにならなければ。

 まずは、ダークレヴたちが豊作を願う儀式の代償に、ここへ運ばれた人たちの治療だ。

 私は気持ちを新たに病室の扉を開ける。


「クレアさん!」


 私に気付くやいなや、そう元気に声を掛けてくれたのはレオンだった。


「看病してくれてありがとう、レオン。あなたは何ともない?」

「うん、大丈夫だよ! 俺はまだクロウレイの祈りの間には入れないから」


 クロウレイ……?

 聞き慣れない単語が耳に飛び込む。

 祈りの間というくらいだから、豊作を願う神様の名前だろう。

 それより今は儀式の詳細より患者の容態だ。

 私はレオンが看病しているベッドに近付く。

 すると、私の目に飛び込んで来たのは異様な光景だった。


「どういう……こと?」


 ゼェゼェと弱々しい呼吸をする痩せこけた男。

 その目は真っ赤に腫れており、皮膚はボロボロに崩れ、抜け落ちた頭髪が枕に散っていた。

 一目見た印象。

 それは老人そのものだった。

 そして、もう一つ異様だったのは、肌のところどころに、火事にでもあったような黒いススが付着していたのだ。

 それを指でなぞると、少しざらざらとした感触と共に、私の指も黒くなる。

 私は首をかしげながら、謎の黒いススを調べるように、指を擦り合わせた。

 だが、それが一体何なのか見当も付かなかった。


「と、とにかく治癒魔法を……。ヒーリング!」


 エメラルドグリーンの魔力が患者の全身を包み込む。

 徐々にだが目の赤みが引いていく。

 しかし、ある程度まで治癒が進むと、それ以上は目に見えた効果は現れなかった。


「……あれ? ……ヒーリング!」


 もう一度、治癒魔法を掛け直す。

 だが、結果は同じだった。

 苦しそうな呼吸は少し和らいだものの、相変わらず弱々しい息をし続けている。


「な、なんで?」


 何かがおかしかった。

 原因が分からないとは言え、これくらいの症状であれば普通は一旦回復していく。

 そこから原因となるものを取り除かなければ、それがまた悪さをして再発していく。

 だが、今回のは何かが違っていた。

 上手く言い表せないが、何かが邪魔して治癒が進まない。

 傷口に何か詰まって、これ以上、傷が塞がらないというような。

 そんな感覚が伝わる。

 私は発症した経緯を聞くため、レオンに向き直る。


「レオン、この方は儀式を行ったからこんな状態になったって聞いてるけど、詳しいことを教えてくれない?」

「それが、俺も儀式のことはよく知らなくて……。さっきも言った通り、ちゃんと参加させてもらえてた訳じゃないから」


 そう言って眉間にしわを寄せるレオンだったが、すぐにパッと顔を明るくする。


「そうだ! 長老に会って詳しく聞いてみようよ! みんなだって苦しい症状が治れば嬉しいだろうし!」

「長老……?」


 まぁ、ダークレヴの中にもそういう立場の人はいるか。

 古くから伝わる神への祈りの儀式だということだから、アルヴィニアで奴隷のような扱いを受けていた時は結界の外に出られないだろうし、そのような人が語り継いできたのだろう。

 直接話が聞けるならありがたい。

 正確な情報が得られなければ治療法も間違ったものになってしまう。


「それじゃあ、取り次ぎお願い出来る?」

「うん、任せてよ! バタバタしてて、大恩人のクレアさんにまだお礼も出来てないってボヤいてたし」

「そんな、大恩人だなんて大げさな」

「本当のことだから!」


 そう笑ってレオンは病室を出る。

 私もその後に着いて行くのだった。

 大通りを過ぎ、ダークレヴたちが住む辺りへやってくると、その中心地に一際大きな建物が見える。


「あれ? レオン、前までこんなのあったっけ?」

「いや、最近ようやく完成したんだ。みんなの住む家は整ったから、次は集会所が欲しいっていってみんなで作ってたんだ」

「そうなんだ」


 レオンはどうやらその集会所とやらに向かっているようだった。

 目の前まで来ると、その立派な木造の建物に人々がそこそこ出入りしていた。

 私たちも同様に真新しい木製の扉をくぐる。

 玄関ホールには、害獣駆除の情報やら失せ物の捜索願いなど、様々な掲示物が貼られていた。

 小ぢんまりとしたカウンターの奥では数人のダークレヴが書類を片手に何やら事務仕事をしていた。

 廊下の奥にはいくつか部屋があり、集会所も兼ねた多目的な施設なようだ。

 ノルンには既に議事堂があるが、あちらは行政関係を全て行っているので役場に近い。

 キョロキョロと周りを見回していると、レオンが二階へ続く階段を上り始めていた。

 私も慌ててそれに着いていく。

 廊下をどんどんと進み、突き当たりの扉の前までやってくると、そのままレオンがその扉を開ける。


「じっちゃんいる? クレアさん連れて来たよ」


 部屋には木製の大きなテーブルを囲み、壮年のダークレヴたちが何やら話し合っていたようだ。

 話を中断した彼らが一斉に私を見やる。

 そして、一番奥のイスに腰掛けていた老人が口を開く。


「おお、あなたが我らの大恩人、クレア様ですか……。そこのレオンから話は伺っております。本来なればこちらから参上致すべきところ、大変恐縮にございます……」


 杖を手にヨロヨロと立ち上がる老人がゆっくり私に一礼すると、部屋にいた壮年のダークレヴ一同も頭を下げるのだった。


「いえいえ、そんな恐縮しないでください! 私は私のやりたいことをやっただけですから。皆さんのお気持ちは確かに受け取りましたから、これからはノルンの発展にご協力頂ければそれで十分です」

「……左様ですか。何と心の広いお方だ。……ですが、その発展にも十分に協力出来ない状況でして」

「ええ。大体の事情は聞いています。凶作についてはこちらでも手を打ちます。それで、本日お伺いしたのは皆さんが行っている、豊作祈願の儀式について詳しく教えて頂きたいと思い、レオンにお願いしてこうして取り次いでもらいました」

「おお。そうですか」

「じっちゃん、急にごめん。大丈夫?」

「構わんよ。治療院を使わせてもらっているのだから、それについても早くお話しさせて頂きたいとこちらも思っていたところでした」

「あの……ところで、じっちゃんと言うのは……」

「これはこれは。自己紹介がまだでしたな。アヴラッハと申します。皆からは長老などと呼ばれていますが、単に長生きしただけのしがない老人です。レオンはひ孫に当たります」

「ひ孫ですか!?」


 ということは恐らく百歳に近いか、超えているだろう。

 それなのにこんなにしっかりしているなんて。

 アルヴィニア人とダークレヴは私たちとは違って長命なのかもしれない。


「無駄に長く生きてしまいましたが、お陰でこうして皆に知識を伝えることが出来ました。我らが神、クロウレイに捧げる祈りの儀式。それが今の我々に出来る最善の策になります」


 アヴラッハさんのその言葉に周りの者たちが一様にうなずく。

 最善の策、か。

 ノルンに尽くしてくれようとするその気持ちはありがたい。

 だけど、ネイサンの言葉を借りれば、そんな暇があるなら原因を究明するべきだ。

 病気の治療においても同じようなことはよく起きる。

 まだ病気や治療の知識が確立していなかった頃、かつてのノルンで呪術師という存在が必要とされていたように、人々は神に祈るしかなかった。

 だけど今は違う。

 もちろん、心の安寧を保つため、神の存在や祈りという行為は必要だ。

 それはそれとして、やっぱり原因を調べ、試行錯誤を重ねなければあらゆる問題は解決出来ない気がする。

 そうしたことを全て行った上で、どうしようもなくなったその時に神に祈るべきだと私は思う。

 セルジュたちも同じだが、今は農業に関する知識はないかもしれない。

 でも、色々なことを試したりして答えを見つけなければ、もし今回はたまたまやり過ごせても、次に同じことが起きた時、また神様が助けてくれるとは限らない。

 それに加えて、今回の件で私が一番気になるところは、そうした儀式により犠牲者が出てしまうことだ。

 儀式には供犠が付き物かもしれない。

 しかし、あまりにも代償が大きすぎる。

 命を賭してまで祈る必要があるのだろうか。

 救われたことに対する負い目のようなものを感じていて、その身までノルンに捧げようとしているのであれば、それは何としてでも止めなければ。


「その、神クロウレイに捧げるという儀式によって負傷者が出ています。そして、その原因が分からず、通常の治療では完治に至りませんでした。治療師として現在の事態は看過出来ません。ですので、治療の手掛かりを掴むため、発症した経緯について詳しく教えてください」

「ええ。では、お話し致します。クロウレイとは我々ダークレヴの守護神です。深淵に住まいし、この世の生死を司る偉大な神です。命と呼ばれるものはクロウレイの手によってその均衡が保たれているのです。我々が願う豊作とは、つまり作物の命を救うということに他なりません。しかし、それを願う時、命の均衡は崩れることになります。神クロウレイはそれを許しません。全ては平等です。では、どうするか。作物の命をお救い頂く代わりに、我々は自身の生命力を捧げるのです」

「生命力を……捧げる?」

「あなた様も治療院でご覧になられたでしょう。儀式を行った者は、自らの生命力を捧げたことにより、老人のような姿になってしまった様子を」


 その言葉に、患者の姿がありありと目に浮かぶ。

 痩せこけた体、カサカサの肌、抜け落ちた頭髪。

 確かに、私が感じた最初の印象は老人そのものだった。

 と言うことは、実際はあの患者は老人ではない。

 だが、生命力を捧げた結果、あんな姿になっただなんてとても信じられない。


「その、生命力を捧げるということですが、具体的に儀式はどのような形で行われるのですか?」

「儀式はミュルク大森林の奥、山間の洞窟からクロウレイのお側に近付くため、地下へと進みます。その場所に、我々がクロウレイの間と呼ぶ漆黒の広間がございます。そこへ月がなくなる闇夜の晩から、次の月が消えるまでの間、籠もり続け、祈りを捧げるのです。すると、クロウレイの御力により、我々の生命力が作物へと注がれるのです」


 そうアヴラッハさんは言うが、未だ作物は凶作続きだ。

 だが、そんなことを言ってしまっては、祈りが足りないということでさらなる犠牲者が出てしまうかもしれない。

 慎重に言葉を選びながら、もっと詳しい情報を聞き出さなければ。


「クロウレイの間に籠もっている時は飲まず食わずでしょうか?」

「いえいえ、それでは自然と命を落としてしまう。目的は生命力を捧げることですから、食料はしっかり運び込んでおりますよ」


 飢餓による弱りが原因かと思ったが違うようだ。

 彼らの信じる神話の文脈に合った回答だったため納得してしまった。

 それに、よく考えれば、飢餓が原因であれば十分な食事と治癒魔法による治療でほぼ完治可能なはずだ。

 そして、治療の際に受けたあの違和感。

 上手く傷を癒やせない不思議な感覚。

 それが何か分かれば治療法も確立出来るはずだ。  


「儀式の内容は以上でしょうか? そこへ籠もり続ける他に、何か特別なことはしていますか?」

「ああ。そうですね。クロウレイの間に籠もる前に、神へと近付くために全身を真っ黒に染めるのです。今も既に肌は黒いですが、本当の真っ黒にです」

「染める……。それはどうやってですか?」


 すると、アヴラッハさんは近くにいた一人に合図した。

 その方は後ろに置いてあった麻袋の中から真っ黒い石の塊を取り出し、テーブルの上へと置く。


「これは我々がアンチライトと呼ぶ鉱石です。この辺では珍しいですが、クロウレイの間のある洞窟ではよく採れます。そのため、クロウレイの間は漆黒に染まっているのです」

「アンチライト……」


 確かに、こんな真っ黒い鉱石は初めて見た。


「これを細かく砕くと黒い顔料が出来ます。かつて行われていた恒例の神事の際は、巫女が黒い化粧をし、舞踊を捧げていたとされています。そして、クロウレイの間へと入る者は、この顔料を全身に塗るしきたりになっております。そして、体に塗った後も顔料を作り、祈りを捧げると共に、クロウレイの間の壁面にも塗っていくのです」

「これが顔料になるのですか」


 そうだ。

 患者の体のところどころに黒いススのようなものが付着していた。

 治療院に運ばれるまでの間にあらかた拭き取られたのだろう。

 その拭き残しに違いない。


「そうして、祈りを捧げてクロウレイの間を出ると、健康だった者が弱々しい老人のような姿に変わり果てるということですね?」

「ええ。我々の命で皆様が助かるのであれば本望です」


 やっぱりアヴラッハさんはこれからも犠牲が出続けるのを厭わないようだ。

 祈ることは自由だけど、犠牲者は何としても治療しなければ。

 師長になっただなんて浮かれている場合ではない。

 ただ、今のところはアンチライトという鉱石の顔料を使うことと、クロウレイの間に籠もるということしか手掛かりはない。

 顔料はダークレヴの間では昔から使われていたようだし、彼らの手元にあるから、まずはクロウレイの間とやらを実際に見てみよう。

 もしかしたら、何か見つかるかもしれない。


「ありがとうございます、アヴラッハさん。もし差し支えなければ、クロウレイの間も拝覧させて頂けないでしょうか? もちろん、厳かな場所とは存じてますので、外から少し覗かせて頂くだけでも構いません」


 すると、その私の発言にアヴラッハさん含め、周りの者たちもざわつき始める。

 やはり私なんかが簡単に近付いていい場所ではないようだ。

 だけど、アヴラッハさんは皆をなだめるようにこう言ってくれた。


「……本来であれば、我々以外の者が立ち入るようなことはこれまでありませんでした。それだけ我々にとって神聖な場所になります。……ですが、どうだ? 皆の者よ。我々を受け入れてくれたノルンは既に、我々の家族同然の存在ではないか? なれば、断る理由はどこにもありません。どうぞご自由にご覧ください」

「寛大なご配慮に感謝致します」

「案内にはレオンを付けましょう。クロに乗れば半日で着くでしょう」


 クロに……乗る?

 まぁ、あの巨体だから大人と子供一人ずつ乗るくらいどうということはないだろう。

 だが、そもそもそんな発想がなかった。

 そんな楽しい発想が。

 あのモフモフに揺られて森を駆けるなんて、まるで夢のようだ。

 私ははやる気持ちを抑え、彼らに深々と一礼する。


「では、お言葉に甘えてお願いさせて頂きます。早速、向かわせて頂きたいと思います」

「了解、クレアさん! じゃあ、行ってくるね! じっちゃん!」

「くれぐれもクレアさんの身に危険がないようにな」

「はーい!」


 そう言ってレオンは手を振りながら部屋を出る。

 私ももう一度お辞儀をすると、レオンの後に着いて行くのだった。

 狼の背に乗って森を風のように走る。

 小さい頃読んだおとぎ話じゃないか。

 頭では負傷者を助けるための治療師としての仕事だと分かってはいるが、思わずにやけてしまう。

 時にはこういうことも大切だろう。

 難しいことを考えてばかりでは、緊張の連続で能率が落ちてしまう。

 こうした緩和があるからこそ最大限の力を発揮出来るのだ。

 ……と、それらしいことを言い聞かせながら、私はクロの待つ家へと、浮き足立ったその足を向けるのだった。


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