43.帰郷
緑の匂いが懐かしい。
まさかこうして無事に帰れるなんて。
木漏れ日まで暖かく迎えてくれてるような気分だ。
陽射しに目がくらむ。
その時だった。
「クレア?」
陽光の奥から聞き慣れた声が響く。
姿が見えなくても分かる。
「セルジュ……?」
「幽霊……ではないようだな」
「そんな訳……ないでしょ」
だめだ。
視界がぼやける。
安心したら気持ちが緩んだ。
「そうか。……良かった」
「……どうしたの? こんなところでブラブラして」
「……いや、特に理由はないんだが。今日は何となく町の入り口の方に足が向いたんだ」
「……そっか」
少しの間、沈黙が流れる。
そして、口を開いたセルジュは、いつものあのぶっきらぼうな調子だった。
「おかえり」
「……ただいま、セルジュ!」
自然と頬がほころんでいた。
すると、背後からゴホンと大きな咳払いが聞こえる。
「さ、もういいかな? こんなところで油を売っているなんて、ノルンは平和なようだね。セルジュ君」
「そうでもないさ、アルベルト。クレアを守ってくれてありがとう」
「ふん、君に言われるまでもなく、当然のことだ」
また良く分からない言い合いをしているな。
そう思いながらやれやれと二人の顔を見やると、何だかお互い少し笑っているように見えた。
やっぱり私には良く分からなかった。
「そうだ! セルジュ! 実は、あなたにお客さんが来てるの。……と言っても、私が勝手にあなたに会わせると約束してしまって。迷惑だと思うけど、どうしても借りを返さなくちゃいけないから、話だけでも聞いてもらえないかな?」
すると、再び背後から、スッと流れるようなトークが放たれる。
「いやはや、あまり贅沢は言いませんが、随分後ろ向きなご紹介ですね。シュヴェールト商会代表のネイサン・ブラウシュヴェールトと申します。これは私だけでなく、ノルンにとっても莫大な富をもたらす千載一遇のチャンスですよ。綺麗事を言うつもりはありませんから、ハッキリ申し上げますが、金は力です。金さえあれば、この世の絶対的な権力である、身分さえ買えるのですから。それが国家レベルの歳入ともなれば、誰もノルンを辺境国などと罵り、笑う者はいなくなるでしょう。それだけの商談を始めるつもりだということは、是非ともご理解頂きたい」
そう言って灰色の帽子を取ると、セルジュに向かい深々とお辞儀をするのだった。
「……話が良く見えないが、話を聞かぬとクレアが困ると言うなら、話だけ聞こう。それからの交渉はノルンの長として私が責任を持って応えよう。交渉の結果に不満があったとしても、くれぐれもクレアを恨まぬようにな」
「ええ、もちろんですよ。話さえ聞いて頂ければ十分です」
そう言ってネイサンは自信たっぷりに微笑むのだった。
「では、俺の執務室に行こうか」
そうして私たちは念願のノルンへの凱旋を果たしたのだった。
道すがら、ダークレヴ含むノルンの住民たちに声を掛けられる。
やっぱり私の帰る場所はここだったのだ。
レオンやマチルダも元気にしてるかな。
だが、すれ違うダークレヴたちの顔はどことなく浮かない顔をしていた。
なぜだろう。何かあったのかな。
後でレオンの家を訪ねてみよう。
そんなことを考えていると、もう役場は目前だった。
私たちはぞろぞろとその古びた木造の建物に入ると、ギシギシきしむ階段を昇り、執務室で一息つく。
「ノルン名産のキニネイ茶だ」
セルジュが慣れた手つきで人数分のお茶を注ぐ。
ネイサンは珍しそうに差し出された茶色い液体を覗き込むと、一口すする。
「ほぅ。中々良い味ですね。独特な香りですが、ほのかに鼻を抜け、すっと喉を通っていく」
「気に入ってもらえたようで何よりだ。それで、話とは?」
そう促されたネイサンは、満を持してといった様子で、ゆっくりカップを置く。
「前口上を並べ立ててもいいのですが、貴方は聡明に違いありませんから、まずはお見せした方が早いでしょう。百聞は一見にしかずです」
そう言うとネイサンは、懐からあの細長い筒と乾燥したトバコの葉が入った袋を取り出し、葉を筒の先に詰めると、火打ち石で火をつけ、ぷかぷかと煙を吐き出し始めた。
「……煙たいな。そんなものを吸って平気なのか?」
セルジュが眉間にしわを寄せながら、訝しげに尋ねる。
「ははは。慣れないと少々キツいかもしれませんね。ですが、吸っている内に不思議と気持ちが落ち着いてくるのですよ」
「それは幻覚を見るからか? 昔、呪術師が似たようなものを儀式の際に用いて、痛みを感じなくなった病人の腐った手足を切り落としていたようだが。それとは違うのか?」
「とんでもない! 幻覚なんてそんな恐ろしい効果があっては、こんなところで気軽に吸いませんよ。酒なんかよりも全然安全です。酩酊することもなく、気分が優れ、疲れが取れる、薬草のようなものですよ」
「……それがこのミュルク大森林に分布していると?」
その瞬間、ネイサンが目を見開く。
「鋭い! いえ、気を悪くして頂かないで欲しいのですが、まさかここまでとは思っておりませんでした。お見それしました。ただ、厳密には自然に生育した訳ではなく、私とハウザー氏によって栽培されたのです」
「……栽培、か」
セルジュが暗い顔を見せる。
どうしたのだろう。
先程のダークレヴの顔と重なる。
「結論から申し上げますと、このトバコの葉をこちらで大量に育てて欲しいということです。それを帝都で貴族に売りさばけば、莫大な利益が得られることを私が保証しますよ。さ、どうです? 皆まで言わずとも、貴方は何が最善の選択か理解しているでしょう?」
ネイサンがぷかぁと大きく煙をはくと、にやりと不敵に笑う。
だが、セルジュは表情を変えぬままこう答えるのだった。
「いくらそっちが利益を抜こうが、相当の利益がノルンにも入ってくることは分かる。それに、今後のためにも帝国との繋がりは持っておきたかったところだ。だが、一つ問題があってだな」
「問題、ですか?」
「ああ。話は少しそれるが、クレア」
そう言ってセルジュが私に振り向く。
「実はクレアたちが帝国に行ってからシャルルベールさんが訪ねて来てな」
「え!? また疫病が再流行したの?」
「いや、そうではない。ただ、援助が欲しいという意味では同じだ。アルヴィニアではこれまでダークレヴが農作物を生産していただろう?」
「ええ。……あっ、そういうこと」
「察しの通りだ。疫病対策のために、牛の世話はしているようだが、農業については誰もやりたがらないらしい。彼らの意識の中では、これまで奴隷の仕事だったのだから当然と言えば当然だ。そのせいで、アルヴィニアでは食料不足に陥ってしまうということから、俺たちのところへやって来たんだ。背に腹はかえられぬという訳だ」
「すごい。それじゃあ、あのアルヴィニアと国交が樹立したんだ」
「そういうことになるな。ダークレヴの皆が育てた農作物もノルンだけでは消費し切れない程だから、こちらも有意義な取引だ。彼らは鉱石を始めとする石材なんかを分けてくれる。今は俺たちのために、魔力を持たない者でも魔石を利用して使用出来る簡単な魔道具が作れないか、研究開発してくれているらしい」
「ちょ、ちょっと横から失礼致しますよ!」
これまで話が見えないといった様子で黙って聞いていたネイサンが興奮して言った。
「アルヴィニアとは一体何です? そんな国、聞いたことありません。それに魔道具を作るですって?」
しまった。
一流の商人が聞き逃すはずがない。
だが、セルジュはそんなネイサンを尻目に話を続ける。
「まぁ、交渉は順調に進んだのだが、そこで話は最初に戻る。今、こちらである問題が起きていてな。その問題というのが原因不明の凶作に見舞われているということなんだ」
「凶作? ということはアルヴィニアへ出荷出来る農作物が出来ないんじゃ?」
「そうなんだ。アルヴィニアから持ってきた苗がこちらの土と合わないのか、なぜか育ちが悪くてな。住民が増えた分、こちらも食料が必要なんだが、下手すれば共倒れになりかねない」
「そんな……」
「それを気にしたダークレヴたちが、古くから伝わる神への祈りの儀式を通じて豊作を願う、と言って森の奥の山あいにある洞窟にこもっているらしい。……生け贄とまではいかないが、自信の生命力を捧げるとかで、数人が仲間に担がれて戻ってきて、治療院に入っているようだ」
「え!? ちょ、ちょっとそれ……」
私が驚きの声を上げた直後、我慢の限界を超えたネイサンが叫ぶ。
「一体どういうおつもりですか!? 神への祈り? そんなことをしている暇があるなら、原因究明に勤しむべきです!! いいですか? この国、ノルンはミュルク大森林という豊かな自然からもたらされる上質な作物こそが、他の国では得られない特産品として需要があるのですよ。逆に言えばそれしかない、にもかかわらずそれをないがしろにするなんて言語道断です! せっかくアルヴィニアとやらが貴重な資源や希少な技術を農作物と交換で提供してくれるのですよ! その利益はどれだけのものか、計り知れません! それなのに……商売を何だと思っているのですか!」
確かに、ノルンにはそれしかない。
そして、神へ祈ったところで解決するような問題ではないと思う。
そんな意識の低い相手に、これから非常に重要な商売を任せようとしているのだから、ネイサンが怒るのも無理はない。
だが、セルジュは悪びれる様子もなく、相変わらずぶっきらぼうな調子でこう言うのだった。
「残念ながら俺たちには知識がない。それを手に入れるためのツテもない。だから、トバコとやらの栽培も難しいかもしれんな……」
その瞬間、ネイサンがガタリと立ち上がる。
そしてテーブルに置いていた帽子を引ったくるように掴むと、ぐいと目深に被る。
「分かりました。それでは、私はこれから南西の湾岸都市ベイルポートへ向かいます。そこの大学に知り合いの農学者がいますので、ノルン専属のアドバイザーとして雇用契約を結べるか交渉してきます。他国と幅広く交流しているベイルポートですから、大学の知識量は帝国の比ではありませんよ」
湾岸都市ベイルポート。
名前だけは聞いたことがある。
帝国とも和平を結び、対等な国交を築く数少ない国の一つ、セレニディア共和国の玄関口にある都市だ。
湾岸都市の名の通り、航海による交易が盛んな都市国家で、ネイサンの言う通り、それによって得た各国の知識がベイルポートの大学に集められ、日々最新の研究が行われているという話だ。
学院時代から一度は行ってみたいと思っていたが、結局行けず終いだった。
「いいのか?」
「こちらだって背に腹はかえられません。それに、元々ベイルポートまで手広くトバコの商売をするつもりでしたから、足掛かりとなる良い機会です」
「それはこちらも助かる。やはり一流の商人は違うな」
「人脈こそが商人の財産ですから。まぁ、私の財産は少々キワモノが多いですがね」
「ありがとう。では、よろしく頼む」
「ええ。それと、お礼は結構です。この分の手数料もキッチリ頂きますので」
「さすが一流だな」
その言葉にネイサンがわざとらしい笑顔で返すと、私たちに一礼して足早に部屋を後にした。
それを見届けたアルベルトがふぅとため息を漏らす。
「やれやれ。相変わらずだな。あんなに馬鹿正直に言うこともないだろう。結果として彼の協力を引き出すことが出来たからいいものの」
「あれだけの男の前でいくら取り繕ったって無駄だと思ってな。商人は騙し合いや裏切りが当然の世界だと聞くから、案外、馬鹿正直な方が信頼を得られるかと思ったんだが」
「……ううむ。ま、まぁ確かにそうかもしれないな。まったく。交渉上手なのか下手なのか、ハラハラさせて」
「まぁ、これで凶作の方は何とか解決の目処がついたので良かったですが、私が気になるのはダークレヴの儀式と治療院に運ばれたという方々です」
ネイサンにさえぎられたせいで、きちんと話を聞けなかったが、何かまたとんでもないことが起きているようだ。
豊作祈願で山あいの洞窟にこもっていた者が、仲間に担がれて治療院に運ばれているということだったか。
一刻も早く治療院に行って、その儀式を行った者の容態を診なければ。
もしかして、私がノルンに戻って最初に感じたダークレヴの暗い様子の理由はこのことだったのか。
「そうだな。治療院ではレオンとマチルダも看病を手伝っているということだから、彼らに詳細も聞こう」
そうして私たちも席を立つのだった。
ノルンだって完璧な理想郷ではない。
自然と人間が共に暮らす、現実の国なのだ。
災害に見舞われることもあれば、疫病が蔓延することだってある。
それを一つ一つ乗り越えていかなければ。
それが生きるということなのかもしれない。




