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42.一夜明け

 一夜明け、私とアルベルトは治療師協会本部の管理部にある会議室にいた。


「無事で何よりでした、クレアさん」


 銀縁の眼鏡をクイと上げるエドガーさん。

 その顔は相変わらずの無表情だが、その声はどこか暖かみがあった。


「公開治療での準備ありがとうございました。それにしても、専務理事のレオナルド様が懐古主義者だったなんて。事前に教えてくださればよかったのに」

「さすがに初対面のクレアさんを全面的に信用する訳にはいきませんから。情報が洩れるリスクを最大限に減らしておきたかったのです。おかげでレオナルド様も自由に動け、あなたの尽力によって、我々はこうして見事な先制攻撃を見舞うことが出来たのです。戦争は先手必勝ですから」

「……これから協会はどうなるのでしょう?」


 両ひじをデスクに付き、口元で両手を組むエドガーさん。


「この病巣は根が深い……。一朝一夕でどうにかなる問題ではありません。ですが、我々の存在が表に出たことにより、賛同する仲間も増えています。……あなたのファンだからという不届きな理由で仲間入りする輩も中にはいますが」

「は、はぁ」

「ご安心ください。私が指一本触れさせませんから。なにせ、あなたは我々、懐古主義者の象徴のような存在です。これから忙しくなりますよ、あなたも私もね」


 この依頼を引き受けた時から分かっていたことだったが、どうやら彼ら懐古主義者はとことん私を利用するつもりらしい。

 私としても実績を上げれば相応の評価をしてもらえるということだから、願ってもないことだ。

 だけど、敵にとっては格好の標的となってしまう訳だ。

 そちらからの風当たりはさらに強くなるだろう。


「そうそう、忙しいと言えば、レオナルド様から伝言を預かってましてね。直接会って挨拶出来ないのが残念だと。そして、正式な辞令は追って出すが、事前に伝えて欲しいとのことです」


 そこでエドガーさんは咳払いを一つすると、その無表情を崩し、ゆっくり口角を上げた。


「ミッドランド帝国治療師協会ノルン支部所属、クレア・エステル殿。貴殿をノルン支部の治療師長に任命する」

「ウソ!?」


 私は思わず飛び上がる。

 私が師長に?

 そんな日が来るなんて夢にも思わなかった。

 そして、何より、ノルンに帰れる。

 そのことが本当に嬉しかった。


「ああ、クレアさん。ぬか喜びさせてしまったら申し訳ないですが、師長といっても地方支部の師長ですから、待遇は本部付けの主任と同等ですので、悪しからず」

「そんなことどうだっていいですよ! 無事にノルンに帰れるだけで十分です。ありがとうございます、エドガーさん!」

「いえいえ、全てはあなたの力です。それに感謝するのは我々の方です。何か困ったことがあれば、何でもご相談ください。全力でサポート致します。それが私の職務ですから」


 エドガーさんがすっと立ち上がり、白く細い手を差し出す。

 私も立ち上がると、その手を握るのだった。


「では、お気をつけて」

「ええ。また」


 そうして私たちは治療師協会本部を後にするのだった。

 アルベルトの別邸に戻る道すがら、アルベルトが横でぶつぶつと呟く。


「……まさかクレア君にファンが出来るとは。……うかうかしてられん。だが、あの変態のエメリッヒも指一本触れさせないと言っていたな。敵の敵は味方ということか……」


 うん、もう放っておこう。

 それよりせっかく帝都から帰れるのだから、何かお土産でも買って行こうかな。

 そんな呑気なことを考えながらいると、アルベルトの別邸の前に何やら華美な馬車が止まっているのが見えた。

 そこから見計らったかのように、一人の男がさっと馬車から飛び降りた。


「……アンリ」

「……どうも。アルベルト様。……クレア……さん」


 目を逸らしながら消え入りそうな声でそう言うアンリ。


「……もう、辺境の国ノルンに戻られるのでしょう?」

「ああ。またしばらくは向こうだろう」

「……そうですか。間に合って良かったです。あの後、レオナルド様とお話ししまして、色々と自分を見つめ直すことが出来ました。……クレア、さん」

「は、はい!」


 つい、ビシッと気をつけしてしまう。

 昨日あれだけ吠えて噛み付いて来たのに、今日はしゅんと尻尾を垂れているみたいで、何だか申し訳なかった。

 すると突然、アンリが私にバッと頭を下げたではないか。


「これまでの無礼、暴言、申し訳ございません」

「ちょ、ちょっと、アンリ様! 頭を上げてください! こんな往来で侯爵のあなたが私なんかに頭を下げているところ見られたら大変なことになります!」

「これは身分とは関係ない、治療師としての謝罪です。私の力が足りないばかりに、社会的地位だけをいいように利用され、それに気付かなかったため多くの人に迷惑を掛けてしまった。特に、クレアさん。あなたにはひどい仕打ちをしてしまった」


 深く悔いるようなアンリのか細い声を、あっけらかんとした調子で笑い飛ばす。


「いえいえ、大丈夫ですよ! 慣れてますから! それに、私もアンリ様には失礼なことを言ってしまいましたから、おあいこです」

「許して……くれるのか?」

「もちろんです!」

「……ありがとう」


 ゆっくりと頭を上げたアンリの瞳は潤んでいるように見えた。


「それと、もう一つあなたに感謝しなければならないことがある。あなたは失礼なことと言ったが、私の魔力が低いことは事実だ。今後、治療師として活動するには致命的な程にね。まさに裸の王様だったということだ。それを気付かせてくれたことに深く感謝している」

「いえ……。あの、今後は……」


 とても聞き難かった。

 私が背中を押して、突き落としてしまったようなものだ。

 治療師を辞めて、聖職者になるのだろうか。

 だが、今度はアンリが笑って答える。


「あなたが気にすることはない。それに、適性がないことをずっと続けていく方がよっぽど不幸だ。自分だけでなく周りもね。だが、兄を失った時のように、病気で苦しむ者を救いたいという気持ちは変わらない。そのことをレオナルド様に伝えたら、自分の直属の部下になれと言われてね」

「……あ、そうか。レオナルド様も……」

「こんなに身近に目指すべき背中があるんだ。魔力がなくたって協会のために尽力出来る。だから、私は一生レオナルド様に着いて行くことにしたよ。……もちろん、彼の思想にもね」


 思想。

 つまり、アンリも権威より実力を重んじる懐古主義者になったということか。


「では、また一緒に働けますね! アンリ様!」

「ああ。これからは裏方として、協会を支えていくよ」


 私の想像は杞憂に終わった。

 アンリ様は立派な治療師だった。

 少し道を見失ってしまっただけで、人を救うという気持ちは私たちと同じ、いや、それ以上だ。

 新たな目標を見つけたアンリ様の顔は晴れ晴れとして見えた。

 そして、今まで見せたこともない人懐っこい笑顔で、可愛らしい手を差し出して来た。

 私はそれをキュッと握り、笑顔を返す。


「それでは、失礼」


 アンリはそう言ってきびすを返し、馬車へと飛び乗るのだった。

 私たちはそれを見送る。


「ノルンへ帰る前に話が出来て良かったです」

「ああ、私もだ。いい薬になると言ったものの、あいつは弟みたいなものだからな。少し心苦しかったが、相応しい居場所を見つけられたようで安心したよ」

「左様ですね。クレア嬢もご昇進おめでとうございます」


 私とアルベルトがバッと後ろを振り向く。

 すると、そこには両手にトランクを携えたネイサンが立っていた。


「ど、どうされました? お出掛けですか?」


 引きつった笑顔でそう尋ねると、ネイサンがニヤリと妖しく笑って答える。


「つれないですねぇ。約束しましたでしょう? 私が暗殺者を捕まえる、そして貴女がノルンの長との商談の場を設けてくださる。トバコの栽培と輸出についてね。私は見事、暗殺者を捕らえ、依頼主を吐かせました。押しつけがましいですが、それによって貴女も無事ノルンへ戻れることの一助になっていますよね? 次は貴女が約束を守る番ではないでしょうか? 口約束とはいえ、約束は約束です。商人同士との約束とは、つまり契約ですから、これを履行しないとなると、それ相応の対応をさせて頂かなくてはなりませんからして……」

「ああ! もう! 分かりました! その節はありがとうございました! 約束通り、セルジュと商談出来るようにします。ですが、私が出来るのはそこまでですよ。セルジュが首を縦に振るところまでは、お約束出来ませんから」

「ええ。もちろん、承知しております。直接お話さえ出来れば、あとは何とか致しますので」


 私は内心、大きく溜め息を吐く。

 今回の教訓。

 軽い気持ちで商人と契約してはならない。

 相手はプロだ。私なんかが敵う訳がない。

 言いくるめられて大損するのがオチだ。

 しかも、相手が本物のプロであれば、大損してることにも気付かず、感謝すらしてしまう。

 ネイサン程の大物であればなおさらだ。

 セルジュも危ういかもしれない。


「では、そろそろノルンへ帰るかい?」

「そうですね。あ、その前にせっかくですから、帝都でお昼でも食べてから行きたいですね」

「それは素晴らしい提案ですね。おすすめの店をご紹介しますよ。店主は少々不愛想ですが、ラヴィオリのスープが絶品でしてね……」


 私とアルベルトは顔を見合わせる。

 お互い、口の中はあのスープのことで一杯になっていた。

 そして、ネイサンに向かって親指を立てると同時に言うのだった。


「そこにしよう!」

「そこにしましょう!」


 ネイサンは不思議そうな顔をして首をかしげていた。

 私たちは笑いながら、帝都での最後の食事を楽しむことにしたのだった。


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