610.恋とはどんなものかしら?
・書籍『魔導具師ダリヤ』14巻、通常版・特装版、発売となりました。
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15巻、10月23日発売です。
どうぞよろしくお願いします!
高級な馬車とは、揺れが少ないものだ――
ダリヤはそんなことを考えつつ、姿勢を正して座席についていた。
王城から歌劇場へ進む馬車は三台。
中央の四頭立ての馬車に、セラフィノとベガ、モーラ、そしてヴォルフと自分が乗っている。
前後の馬車は護衛のための近衛騎士だ。
オルディネ大公の移動なのだから、これが本来の形だろう。
公演中の歌劇を見る形にはなるが、目的はあくまで改良した大型拡声器。
着替えなどは必要ないと、三課からそのまま向かうことになった。
現在はその移動中である。
「劇場用の前の拡声器は、カルロ・ロセッティ男爵が制作したものでしたね」
「はい、それまであったものを改良したと聞いています」
「ロセッティは一緒に作ったりしました?」
「いえ、そちらはありません。『声渡り』でしたら、共に作ったことがありますが」
そこからは大型拡声器についての説明を受けた。
壁や天井に複数設置、音が大きく、響きもいいそうだ。
「大型拡声器のついでに、ミスリル板も取り付けたのです。こちらもなかなか効果があると、支配人が言っていました」
あっさりと言われたが、その大きさのミスリル板のお値段はどのぐらいなのか。
このところ貴重な素材が希少性を減らしているような気がする。
もっともありがたいことなので、遠慮なく使わせていただくが。
大型拡声器についての説明を受けているうちに、馬車は目的地についた。
王都歌劇場――正式名称は『中央歌劇場』だそうだが、それなりに大きな建物だ。
少し黄色みの入った灰色の煉瓦作りで、正面に何本かある柱には装飾が施されている。
馬車は正面を通り過ぎ、奥の馬場へ向かう。
途中の壁はおそらく歌劇の一場面なのだろう、剣を持つ騎士と長杖を持つ長い髪の女性が彫られていた。
多くの馬車が止まっている場所からさらに進むと、頑丈そうな鉄の扉が見えた。
先頭の馬車から近衛騎士が降り、その扉の鍵を開ける。
そうして、自分達の乗った馬車のドアが、その扉の前、ぴったりに横付けされた。
周囲を護衛騎士が警戒する中、皆でその扉をくぐる。
通路に人影はない。
今日は休みではないのか、そう思えるほど静かだ。
壁際には装飾のついた魔導ランタンが皓々と光り、赤い絨毯の敷かれた通路を進んだ。
「王族用の通路だと、歌劇場に来たという感慨が味わえませんね」
セラフィノが緊張感なく言う。
ダリヤとしては、自分がここを歩いていていいのかという思いしかない。
隣を見れば、ヴォルフもまた困惑の表情であった。
とはいえ、何も言えないので、そのまま足を進めた。
通路を過ぎると、再び近衛騎士が扉の鍵を開け、階段を上る。
そうして案内されたのは、二階の広い個室だ。
ガラスを隔て、正面に舞台がよく見える。
一人掛けのソファー一つ、その両側に、二人掛けのソファーが置かれていた。
壁際には黒檀の机と揃いの椅子、本棚には本と書類がみっちりと入っている。
どこか執務室を感じる雰囲気だった。
「ここは支配人の部屋なのです。音の確認のために貸してもらいました」
セラフィノが説明してくれる中、モーラが入り口で小声のやりとりをし、ドアの二つの鍵を閉める。
騎士達は一人も部屋に入ってこなかった。
「セラフィノ様、こちら本日のチケットとのことです」
モーラが差し出したのは小さな紙片――赤く縁取られたチケットだった。
『恋とはどんなものかしら』、その題名と今日の日付が記され、端に型押しの赤い花がある。
入場のときにチケットの端を落とすのだが、受け取ったセラフィノはこの場でちぎり落とした。
彼が一人掛けのソファーに座り、その左右に、ダリヤとヴォルフ、ベガとモーラが座る。
正面のガラスは少しだけ灰色がかった感じだ。
もっとも、視認性はよく、席に座る人々が眼下に見える。
皆、楽しそうに歓談している。
「ソファーをもっと前に出してもかまいませんよ。向こうからは見えませんから」
どうやら、このガラスはマジックミラーのようになっているらしい。
正直、ガラスに貼り付いて確認したいところだが、ここでは言えない。
大型拡声器は舞台の前に二つ、左右の壁に二つ、天井に三つ。
歌劇場の一部に見えるよう、黒い網状のカバーをかけているそうだ。
位置も説明されたが、確かに言われなければ建物の一部にしか見えないだろう。
大型拡声器の詳しい仕様書は、後日、カルミネからもらう許可を得た。
とても楽しみだ。
その後は開演までの間、今日の歌劇に関する説明を受けた。
人気のある歌劇『嵐の女王』の連続公演中だが、歌い手に負担がかかる。
このため、一定期間で区切り、その間は他の歌劇が演じられる。
本日の演目である『恋とはどんなものかしら』も、その一つだ。
この演目は、実際に観たルチアから聞いていた。
貴族の乙女と年上の騎士が、家の都合で婚約を結ぶことになる。
そこから始まる恋愛物だそうだ。
なお、服飾師の彼女はストーリー以上に、どの人物がどんな服を着ていたかについて、熱く語ってくれた。
本日はそれも確認できそうだ。
時間がきたのだろう、ステージに向かい、強化魔導ランタンのまばゆい光が向けられる。
「始まるね」
隣のヴォルフのささやきに、そっとうなずく。
観客の話し声が消える中、赤の幕が上がった。
「恋とはどんなものかしら?
春の日差しのやわらかさ? 夏の緑の鮮やかさ?
秋の果実の甘やかさ? 冬の暖炉の暖かさ? ――」
舞台の左、花々に囲まれ、金髪の乙女、アウローラは明るく歌う。
楽しげで、夢と希望に満ちて、それでいて少しだけ心配で――
その思いをすべてかかえ、国境の伯爵家、顔も知らぬ当主へ嫁ぐ、そんな流れだった。
耳に伝わる声は、予想以上に大きく、豊かな表現力もそのままに思える。
この距離で歌詞まできっちり聞き取れるのは、歌い手の歌唱力もあるが、大型拡声器の効果も大きいだろう。
そう納得していると、舞台の光は左から右へ移った。
積み上げた魔物の骸の前、黒髪の騎士オルフェーオが暗い声で歌う。
魔物を倒したであろう剣を手に、執事に結婚の話をされても無表情のまま。
「恋とはどんなものだろう?
人を惑わす甘い毒 正気を奪う魔性の罠
道を迷わせる呪い 薬のない厄介な熱病 ――」
続く歌と台詞でわかるのは、魔物との戦いで当主であった父を失った絶望。
母は騎士が幼子のうちに、異国の商人と出奔し、すでにいないこと。
「目に見えぬものなど信じられぬ……」
歌に続いた台詞に、胸が痛む。
オルフェーオが人が信じられなくなるのも無理はない、そう思えた。
低く迫力のある声は、距離を感じさせない。
大型拡声器の効果もあるとは思うが――ダリヤは歌と音を確認しつつ、歌劇に向き合う。
アウローラとオルフェーオは、育ってきた環境が違い、話もなかなか合わない。
けれど、アウローラは婚約者として自分ができることをしようと頑張り、オルフェーオは礼儀正しき騎士、そして婚約者らしくあろうと努力する。
周囲は心配する者、見守る者、応援する者と様々だ。
彼らは歌にのせ、己にとっての恋を語るのだ。
花の妖精役の少女は、かわいらしく高い声で歌う。
「恋には落ちるもの 手綱のない八本脚馬 舵のない船
川に落ちた花びら 海に浮かぶ流れ木 行き着く先など誰も知らない」
歌いきると、広げた両腕から花びらを撒く。
それは舞台高くに舞い上がり――以前、歌劇『嵐の女王』のために作った大型送風機は、ここでもいい仕事をしているようだ。
恋人と別れたというメイド役の女性は、せつない声で歌う。
「人の心はうつろうもの 春の花が散るように 夏の雲が流れるように
秋の木々が葉を落とすように 雪が溶けて消えるように」
続く屋敷の馬丁役の男性が、やわらかな声で歌う。
「馬よりも速く 風よりも速く その人の元に帰りたい そう思うのが恋
愛しい人の泣き顔は何よりも辛いもの」
関係が変わらず続くことを祈り、遠征から早く帰ってきてほしいと願う、そんな自分と重なって、ダリヤはそっと目を伏せる。
隣のヴォルフが、浅い咳をした。
歌劇は場面を変えながら進む。
ようやくお祭りで、愛を示す花をアウローラへ渡したオルフェーオ。
しかし、その地にワイバーンがやってきて、彼は勝てるかどうかもわからない戦いに赴く。
舞台の奥、黒いワイバーンの模型に、ダリヤは九頭大蛇戦を思い出す。
あのとき、ヴォルフは自分より早く国境へ行っていた。
もし、王都で見送る形になっていたら――
自分は武運を祈って見送れただろうか、止めようとしただろうか、考えてもわからなかった。
舞台では、オルフェーオがワイバーンを討ち果たした。
そして、戻ってきた彼は、アウローラと結婚式をあげる。
白いウェディングドレス、黒い燕尾服の二人が愛を歌い、式の参列者は舞台から色とりどりの花びらを撒く。
歌が終わると、オルフェーオが花嫁を抱き上げた。
「この先に不安はありませんか、愛しいアウローラ」
「私がオルフェーオ様を信頼しますので、すべてをお任せします」
甘い雰囲気の二人が去っていき、残る演者全員の合唱が始まった。
素晴らしい歌声の中、ダリヤがつい反芻してしまうのは、花嫁の台詞だ。
『私がオルフェーオ様を信頼しますので、すべてをお任せします』
以前、ヴォルフにこの言い回しを避けるように言われたのがよくわかった。
確かに、二人で過ごす初めての夜の言葉に聞こえる。
知らぬこととはいえ、まったく同じ台詞を服飾ギルド長のフォルトへ言った過去を、砂ではなくセメントで埋めてきたい。
最後の合唱が終わると、さざ波のような拍手が起こった。
舞台に演者がそろい、観客に笑顔で手を振りはじめる。
大団円の安心感。
歌劇には嵐の女王のような悲恋ものもあるが、個人的好みとしてはハッピーエンドの方がいい。
現実はなかなかそうはいかないが――ダリヤはそっと息を吐いた。
「予想以上によかったです」
まだやまぬ拍手に混じり、セラフィノの感嘆の声が響く。
とてもいい歌劇だったからだろう、そう思ったとき、言葉は続いた。
「以前より台詞がはっきり聞こえます。歌詞も埋もれにくくなりましたね」
そちらですか、そう思ってしまったのを許して頂きたい。
今日の目的はそれだった。
「ロセッティ、どうでした? 偏りなどはありました?」
「いえ、左右均等に聞こえました。とても音の響きがよかったです」
ダリヤがそう答えると、彼は満足げにうなずいた。
「人数の多い合唱のときは、ちょっと反響が強すぎる気もしますが、そこは支配人に判断してもらいましょう」
確かに、最終判断は専門家の方がいいだろう。
音の大小、バランスなどもあるかもしれない。
拍手の音でわかるだろうか、そう確認をしていると、耳が長い吐息を拾った。
「モーラ、どうでした?」
「はい、とても楽しかったです……」
セラフィノが問いかけると、彼女は深くうなずく。
歌劇にとても感動したのだろう。頬には少し赤みがあった。
「歌はなかなかでしたが、私には題材が難しいですね。ヴォルフ君、恋とはどんなものだと思いますか?」
「――その人を守りたい、そう思うものではないでしょうか」
いきなりの質問に、ヴォルフは一拍あけ、まっすぐな声で答えた。
まるで誰かを想っているようで――息が浅くなりかけたとき、名を呼ばれた。
「なるほど。ロセッティはどうです?」
「その、想う人とずっと共にありたい、ということではないかと……」
薄まりかけた平常心をかき集め、全力で声を整えて答える。
さらに尋ねられることはなく、セラフィノは反対のソファーへ顔を向けた。
「ベガは?」
「わかりかねます。それに、恋愛より優先すべきものがございますので」
即答であった。
その優先すべきものが何なのか、聞かなくてもわかった気がする。
「モーラはどう思います?」
「その方がずっと健やかで、幸せであることを祈るものです」
彼女は今までに見たことのない、優しい笑みで答えた。
祈りの相手が誰か、聞かなくてもわかった気がする。
「皆、それぞれに違うものですね。統計にはできないようです」
「失礼ながら――セラフィノ様は、どうお考えですか?」
意外にも、質問したのはベガだった。
セラフィノは顎に指を当て、視線を右下に流す。
「わかりませんね。生まれてこのかた、恋をしたことはありませんから。ただ見ていたい、そのまま変わらずにいてほしいと思うことはありますが、それは恋とは別でしょう?」
その問いかけに、答える者はいない。
彼はサイドテーブルに置いていたチケットを、黒手袋の指で持ち上げる。
「『恋とはどんなものかしら』――もしかしたらわかるかもしれない日を、人生の楽しみとしましょう」
オルディネ大公はチケットを手帳にはさみながら、優雅に笑んだ。




