602.箱は王城へ帰る
時は少し遡る――
王城の中、布がかけられた大きな木箱がワゴンに載せられ、静かに運ばれていた。
ワゴンを押すのはスカルファロット家のヨナス。
その横を、ベガはぴたりとついて歩く。
箱の中、自身の主がどのような状態でいるのか心配でならない。
だが、今は口を開けなかった。
王棟へと入り、迎えの従僕に案内されたのは、オルディネ王の執務室だった。
「グイード・スカルファロット、王命により貴重素材をお届けに参りました」
グイードの声が室内に響く。
貴重素材ならぬ貴重な主を箱から出すためには、釘抜き作業が必要だ。
しかし、この場ではあまりにもやりづらい。
「スカルファロット侯と内々の話がある。皆、退室せよ」
王が低い声で言った。
従僕と近衛騎士は驚きに少しだけ目を見開いたが、すぐ廊下へと下がっていく。
室内に残ったのは王と、その斜め後ろに控える護衛騎士。
そして、グイードとヨナス、自分、箱の中の主だけである。
王に紺黒の目を向けられたので、ベガはフェルモから渡された釘抜きを取り出し、箱の釘を抜き始めた。
慣れぬ作業、かつ緊張のせいで、とてもやりづらい。
あと、ヨナスは釘をきつく打ち込みすぎである。
それでもどうにかすべての釘を抜き、蓋を開ける。
中には、目を閉じて動かぬ主の姿があった。
「セラフィノ様っ!」
思わず声を上げてしまったが、返ってきたのは緊張感の欠片もない欠伸だった。
「あー、もう着きました?」
膝から力が抜けたが、なんとかまっすぐ立つ。
とりあえず問題なくてよかった。
「護送に礼を言う。スカルファロット侯」
「もったいないお言葉です」
グイードとヨナスは深く一礼し、そのまま部屋を辞した。
残されたのは王と護衛騎士、そして主と自分のみ。
ベガはどうしても肩に力が入ってしまう。
しかし、主に緊張は無縁らしい。
セラフィノは箱の中で立ち上がると、大きく伸びをしながらゆっくり外へ這い出してきた。
その靴底が床を叩いた瞬間、王が口を開く。
「セラフィノ、危ないことはやめよ。万が一があったらどうするのだ?」
「職人しかいない場所へベガを同伴し、外には護衛、行き帰りは王城の馬車です。安全ですよ」
主はしれっと答えるが、いいわけがない。
彼は王族なのだ。
王の額に、深い皺が寄ったが、セラフィノは軽い声を続けた。
「それに万が一があったところで、私の代わりなどいくらでもいます」
「お前の代わりはおらぬ!」
ビリリ、魔力の乗った声が部屋の空気を震わせた。
ベガのこめかみに痛みが走る。
声だけでこれほどとは、流石はオルディネ王国で最も魔力の高いとされる王だ、そう感心してしまう。
王はセラフィノへ歩み寄ると、その腕を持ち上げる。
ベガが反射的に警戒を強めたとき、その紺黒の瞳にうるみを見た。
その両手が主の肩に置かれるのを、止めることはできない。
「セラフィノの代わりなどおらん。家族を心配するのは当たり前のことだ。お前に何かあっては、姉上に顔向けできん……」
己の肩をつかんで悲痛な声で告げた王へ、セラフィノはいつもの声で返す。
「叔父上は過保護ですね。本当に大丈夫ですよ。それと、そこまで血族を案じていただけるのはありがたいのですが、母はすでに亡くなった人です。叔父上が気になさることは――」
「セラフィノ! お前は大事な私の甥だ、家族だ。お前の代わりなど、どこにもいないのだ」
王の懸命な言葉が続いても、主の背に心の揺れは見えない。
「私を憎んでも構わん。お前にはその権利がある。望むものがあれば言え。できる限りのことはしよう」
「叔父上を憎んだことなど一度もありませんよ。ねだっているものも大体頂いていますし、これ以上何を望めと?」
「本来であれば姉上が王となるはずだったのだ。私よりずっと有能で、努力家で、王にふさわしく――それを後発魔力で私が成り代わる形になっただけだ。お前には王位を望む権利もあった……」
四人しかいない部屋、王としてではなく、セラフィノの叔父としての声が続く。
己にできるのは、ただ口を固く引き結ぶだけだ。
「何度も言っているではないですか。王位など微塵も欲しいと思いません。それに外部魔力無しが王位についた日には、国が揺らぎますよ。それとも、私の言葉は信用に足りませんか? ベガ、ちょっとウロス部長に頼んで、九頭大蛇の血を持ってきてください。コップ半分ほど――」
「やめよ、セラフィノ! そういうことではない。お前のことは信用している」
「――叔父上のご心配はわかりました。今後は気をつけますね」
王の制止に、主は笑んでいるのだろう。
背中しか見えなくても、それがわかる。
王の言葉を理解しても、おそらく自分という存在の重さは理解していない。
ザナルディ家嫡男として生まれながら、外部魔力がないことでひどい扱いを受けた。
おそらくは母、王の姉からも大切にはされなかった。
けれど、セラフィノはそれを当然のこととしている。
その命は、その存在は本当に重いのだと理解してほしいが、どうすれば伝わるのかがわからない。
これまで自分やモーラが言葉を尽くしても、グイードが友として親交をつないでも、王が言葉にしても、その根本は変わらぬ気がする。
想い想われるような相手が現れれば変わるだろうか。
だが、立場と仕事上、それも難しい。
不意に、ベガの脳裏に赤髪の魔導具師が浮かんだ。
続いてその隣に立つ黒髪の騎士を思い出し――不可能と断じるしかなかった。
「ベガルタ、苦労をかけるな」
うっかり悲痛な表情になっていたのかもしれない。
王から言葉をいただいた。
「恐れ多いお言葉です。ですが、最上の主と共にあれますこと、苦労などとは思いません」
今後も胃の痛みは確実にあるが、きっぱりと答える。
そんな自分の横に、セラフィノが立った。
「では、これで。この変えた髪と目を戻さなくてはならないので失礼を――」
退室しようと向きを変えた主を、王が呼び止める。
「待て、セラフィノ。モーラ嬢をここへ呼ぶように」
「え?」
「髪と目はここで戻していけ。服もだな。その姿で王棟を歩かせるわけにはいかん。それと、今日こそお前の重さと危機管理についてしっかり話そう。あまりに理解が足りないようなのでな」
「えぇー……」
本日の主は、分が悪い。
しかし、これに関しては自分も王にもっと言ってくださいと願いたい、切実に。
「今日の外出についても聞きたい。魔力の少ない者達への救済の意図もあったのであろう。慈悲深いことだ」
「――慈悲? 『王』よ、それは彼らへの侮辱です」
不意に、主の声からぬくみが消えた。
「魔導具師と並ぶ腕、あるいは魔力がないからこそできる技術。そういったものがあるから職人達へ手を伸ばしただけのこと。この私が、ただの無能に同情で手を伸ばすとお思いで?」
灰色のレンズの下、その水色の目は凍えているかのよう。
久々に、思いきり背筋が冷える。
「――考え違いであった、忘れてくれ」
王が言葉を消した。
立場故、言葉を撤回するとは言えないからだ。
空気が重くなったまま、場にわだかまる。
けれど、それを壊すのもまた、我が主だった。
「これから叱られるのは覚悟しますが、私の作業話も聞いていただけません? 今日はとても面白かったので」
主は、話をうやむやにする天才でもある。
厳しかった王の表情が、ようやくにやわらいだ。
「もちろんだ。今日は別室に食事を運ばせ、二人で食事をするとしよう。その方が遠慮のない話ができそうだ」
「せっかくなので、食事はベガとそちらの護衛も一緒に、四人でどうです? 最初に配膳をすべてしてもらえれば、部屋に追加の護衛もいらないでしょう。気兼ねなく話せます」
「いえっ、私ごときが同席するわけには!」
王の食卓に自分を巻き込まないでいただきたい!
叔父と甥の食卓で、きっちり危機管理の注意になるのではなかったのか。
「今日はあなたも一緒に行ったじゃないですか。私が気づかなかったところが見えていたかもしれないでしょう?」
恐れ多すぎる提案に辞退しようとしたが、主はベガを逃がすつもりはないらしい。
「そうか。ならば客観的な話が聞けそうだな」
「お、恐れ多く――」
王へなんとか断わりの言葉を探す自分へ、セラフィノは少年のような笑顔を向ける。
「それに、私がしっかり叱られるのを確かめたいですよね、ベガ?」
「――そのようなことはございません」
否定する自分を置き去りに、王が四人分の食事を命じた。
それを受けた朱の髪の護衛騎士と目が合う。
お互い声に出さないが、完全なる意見の一致を見た。
王と大公の食卓への同席は、全力でご遠慮したかった!
最早、逃げられそうにないが。
そして、ふと思い出す。
今日一緒だった職人達は、今頃、セラフィノが大公だと聞いているだろうか?
皆、驚きと困惑に胃を痛め――今の自分と似たようなものかもしれない。
食卓につく前に、帰り際にもらった胃薬を飲もう、絶対に。
ベガはそう心に決め、オルディネ大公の後ろに控えた。




