第七楽章 即席の戦歌
市場のある通りは、狙い通り人も多い。通りの脇の建物は真新しい帝国様式とこの国の伝統がせめぎ合っている。赤茶色の瓦屋根が連なる中、薄緑色に塗られた公衆浴場のドームがひときわ目を引く。横長の木製バルコニーには洗濯物がはためき、遠くには教会の塔が空に向かって並んでそびえている。
「で?」
通りにせり出した露店では干しブドウやイチジクが山盛りに並び、別の店では香辛料が、その隣では炭火で炙った羊肉の匂いが食欲をそそる。
そんな路上の中央でラドは腕を組み、不機嫌な眼差しを投げかけた。
「それがお前の言う策とやらか?」
「だって、これ目障りだって、お前も言ってたじゃん」
ラドはよく怒ると怖いと言われる。人間離れした美貌のため冷酷さが際立つらしい。その迫力に自信満々だった吟遊詩人の発言は委縮し、言い訳じみている。
「それはそうだが」
視線を落とすと、誰もが目にするのは雑踏の中央に走る赤い帯。石畳に埋め込まれた赤レンガ、帝国がこの街を占領した折に敷いた帝国人専用の道である。地元の人々は避けるように左右の石畳を歩き、その帯を跨ぐ者は一人もいない。子どもですら、近づくと親に腕を引かれ、離される。
「この土地はお前の祖先が汗水たらして開墾した土地なんだろ? その真ん中に『帝国のための道』なんて作らせておいて、お前平気なのか? 祖先の土地を取り戻すっていうなら、まずはこの道を取り戻そうぜ」
道に敷き詰められた石畳は石灰岩だ。白っぽいこの石は、この土地で多く採れる。白の国と言われる由縁は、首都がこの白い石で築かれた城壁に囲まれているからだ。
母国を象徴とするとも言えるその道を切り裂くような赤い境界。占領されたこの地が流す血のようだ。見過ごすことなどできるわけがない。
「だが、どうやって」
「相手が勝手に定めたルールなんて、向こうが根負けするまで徹底的に無視すりゃいい。街の隅から隅まで、この道を歩きまくろうぜ。真似して歩く奴が増えれば、取り締まりも追いつかなくなるだろうさ」
オグは事も無げに言う。確かに剣も魔法も要らない。ただ道を歩くだけ。死ぬ覚悟があると言うのなら簡単だ。
「お前の言うことも一理ある。歩くか」
ラドは一歩踏み出した。煉瓦がかつん、かつん、という靴音を吸収する。
最初は周囲を警戒しながら慎重に歩いていたが、周囲に帝国の巡回兵が見当たらないので張りつめていた肩から次第に余分な力が抜けていく。
吟遊詩人はその後に続く。しかし十数歩進んだところで、ぽつりと漏らした。
「なんか、地味だな」
「お前がやれと言ったのだろうが!」
たまらず背後へ怒鳴った。
確かに期待したほどの反応はない。通行人たちは不思議そうな顔をするか、多くはそもそも禁じられた道を歩いていることにすら気づかない。帝国の法を市民の前で堂々と破っているのだから、もっと注目されるべきである。オグは「なあ」と呼びかける。
「俺たちは、間違えて、或いは悪ふざけでこの道を歩いているわけじゃない。帝国を挫こうという確固たる意志を持っている」
「それはそうだが」
「なら、もっと主張をアピールして行こうぜ!」
笑顔で親指を突き立てられた。
何を言われているか察し、「結局、他人任せか」と額を抑える。しかし乗りかかった船だ。意を決して息を吸い込んだ。
「聞け、我らの同胞よ! この道を見よ。祖先が築いたこの石の道に引かれた醜き血を」
声を張り上げ足元の道を示すと、目立つ容姿もあってか耳目が集まる。
「これは帝国が敷いた支配の証だ。帝国人専用の道だと? こんなもの、私は認めない!
私はここに、意図せず立っているのではない。私は自らの意思で歩んでいる。私は決して隷属を望まない。私たちは決して彼らの法には従わない。
この歩みは小さいかもしれない。だが、この一歩がやがては国を動かすだろう。
私は帝国の支配に断固抗議する!」
「お堅いな」
横からのツッコミにラドは眉を吊り上げる。
しかしそれが正直な感想なのだ。真面目で遊びがない。突然市場で始まった高等な演説に、聴衆たちがぽかんとしている。
「みんなが聞いてるんだ。そんな辛気臭いのじゃなくて、もっと分かりやすく、シンプルにならないか?」
「お前はダメ出しばっかだな」
ラドはふーっと息を吐いたかと思うと、急に拳を振り上げた。
「勝手なことばかり言うな!」
「おお、いいじゃん。勝手するな!」
それはオグへの文句だったのだが、当の本人に賛同されては行き場がない。ラドは仕方なく憤りの矛先を帝国へと向けた。
「帝国人共、勝手をするな!」
「勝手するな!」
「ここは我々の国だぞ!」
「我々の国!」
「勝手に道を変えるな! 勝手なルールを決めるな!」
「勝手するな!」
「侵略者は出ていけ!」
「出ていけ!」
合いの手が入ると、調子が出てきたのか自分の声が大きく、張りのあるものになっていく。その内に言葉に節が生まれてくる。
「リズム出てきたじゃん。その調子。愉しくいこうぜ」
途端にラドは怪訝な顔になる。
「愉しくってどういうことだ。歌ったり踊ったりでもするのか」
オグは指をパチンと鳴らした。
「いいなそれ。採用」
「お前、ずっと何言ってるんだ?」
「そっちが言い出したんじゃないか」
困惑している間に、オグは手拍子を打ちはじめた。
「ほら」
ラドは渋面を作ったが、聴衆たちの視線を一心に受け、声を張り上げざるを得ない。
「踏みにじられし此の地
祖国の旗掲げよ
奪われし名も誇りも
胸に秘め進むのみ」
叙事詩の多くは十音節前後で詠まれるのだが、咄嗟でも基本を踏まえているのは家庭教師に仕込まれた教養のおかげだろう。
「お前、吟遊詩人になれるよ」
本職からの最大限の賞賛だったが、別にそんな職業目指してないのでちっとも嬉しくない。ラドは顔をしかめたまま歌を続けた。
「剣で脅されようと
我らの意志は折れず
夜が深まろうとも
我が魂は死なぬ」
吟遊詩人は歩いて弾くには不向きな楽器は置いてきたらしい。代わりに口笛で伴奏をはじめた。それだけでは市場の喧騒の中で心もとないと思ったのか、腿を討ち、靴底を踏み鳴らして軽快な拍子を奏でる。
旋律は即興なので鼻歌のように単純だ。何度か歌を繰り返せば、誰もが音程を覚えられる。
「故郷を拓きし祖は
我らと共にある
隷属の鎖砕け
命など惜しくない」
母に手を惹かれた幼子が口ずさむ。腰を曲げた老翁が杖で拍子をとる。
全身を使った律動に触発されたのか、ラドもいつの間にか踊りだしていた。
「侵略者よ出ていけ
ここは我らの国」
元々白の国の人たちは、祝い事の際に渡り人を呼ぶほど、歌や踊りに親しみがある。
ステップを踏む足、爪までまっすぐ伸ばされた指先は、身についていた所作のおかげだ。飛び散る汗すら輝いている。時折ウサギの如くしなやかな脚が煉瓦を飛び跳ねる。屈辱的なその帯は、まるでラドのために敷かれた赤い絨毯のようだった。
白いシャツに黒い上着という、この国では珍しくもない恰好だが、後ろで束ねた金糸のような髪が跳ね、真昼の陽で眩しいほどだ。白く曲線を描くうなじ、貝殻のような耳が露わになる。真っすぐな鼻筋、蒸気した頬に睫毛の影が落ち、踊りの息遣いにあわせてわずかに開いた唇は、気づけば吊り上がっている。
急に伴奏が途切れたので、訝しみ背後を振り返る。
「どうかしたか?」
「ああ、悪い」
不覚にも見とれてしまったオグは口笛を再開するが、まだ鼓動が不自然な音を立てている。ここまで美しければ、脳が誤作動を起こしても不思議ではない。別にときめいてしまったのは彼だけではなく、商談中の太った商人の手から小銭が零れ落ち、娘たちがこちらを指さし、きゃあきゃあ声を上げている。
「侵略者よ出ていけ
ここは我らの国」
ラドに吸い寄せられ追いかける人々もいたが、その後に続き、唱和しながら煉瓦の道を歩む者もいた。
人は皆、誰かに支配されるのを嫌がる。自分が選んだ人間ならまだ我慢できるが、暴力で無理やり服従させられ、納得するわけがない。表向きは帝国の支配を受け入れながら、本当は皆、不満を持っていたのだろう。
踊りに導かれるように、いつしかそれは数十人の行進となっていた。
しかしそれは、規則正しい軍靴の音によって中断される。
「おい! そこの者、止まれ!」
暗褐色の長衣を来た巡回中の帝国兵が二人、いや三人。これだけ騒ぎになっているので登場は遅いくらいだ。腰に差した剣や帽子の飾りをガチャガチャ言わせながらこちらへ向かってくる。
「逃げるぞ!」
観客たちは凍り付き、次の瞬間に散り散りに逃げていく。オグはラドの手を引いた。
「何故逃げるんだ?」
ラドは足を浮かしかけたが、思い直し、手を振り払う。
「はぁ?! だってお前、帝国兵が」
「私は私の国を歩いていただけだ。何も悪いことはしていない」
ラドはその場で仁王立ちし、迫る帝国兵に指を突き立てた。
「私は一歩も引かぬ。帝国人ども、ここは我らの国だ!」




