第五楽章 グスラール(吟遊詩人)
聴衆が自分の言葉に酔っている。
噴水の縁の上という壇上からでも、革命家はそれを感じとった。鋭い言葉は、自分の誇りを忘れたことにして帝国に従順な日々を送る彼らに、ひと時でも現状を突きつける。
「そこで何をやっている!」
怒声とともに靴音が近づいてきた。
講堂の方からターバンを巻いた教師たちが駆けてくる。遠目にも眉間に皺が刻まれ、苛立ちが群衆を射抜く。演説を聞いていた学生たちは魔法が解けたように一斉に顔を伏せ、群れる羊のように散っていく。
いつものことだが、今日は特に教師たちの行動が早い。触りしか演説できなかった。舌打ちし、噴水を飛び降りる。しかし、逃げ惑う学生たちのせいで身動きができない。
突然、手首をとられた。振り向くと灰をかぶったような頭の見慣れぬ少女がいた。
「こちらへ。あいつが注意を引いている間に」
自分と反対方向に歩いてくる者がいる。くすんだ金の髪の青年だ。砂っぽい旅装で、背に荷を担いでいる。そして先ほどまで自分が立っていた噴水の縁にあぐらをかいたかと思うと、包んでいた布をばさりと振りほどく。
現れたのは一本弦。流浪の民がよく使う楽器だ。楓の木をくり抜き革を張られた胴体、ネックには山羊の頭が彫られており、眼の部分には瑪瑙が嵌められている。
「さあさ、お集りの皆様、はじめまして。俺はのオグ。王族に召集されたこともある実力者だ。今からこの国での初公演だよっ!」
膝の上に一本弦を構え、交差させた弦を、ゆあんゆあんかき鳴らす。それは心地よい音色と言うより、耳に障る音だった。それ故に、際立つ。教師たちの歩みが鈍る。
「帝国が来た時のことを語ろう。この国へ。黒歌鳥の地へ」
ネックを押さえる指を巧みに変え、擦弦音の最中に、少しノイズのある伸びやかな声で物語の始まりを宣言する。
「おびただしき帝国兵、山頂から川の際まで、果てしなし。
人馬はひしめき、槍は隙間なく並び、黒き林の如し。
軍旗はたなびき、宿営の白き幕、山覆う雪の如し」
突然始まったリサイタルに、誰もが茫然としている。吟遊詩人は構わず弓を弾いた。
「黒歌鳥の原、大軍の第一波、怒涛の如く打ち寄せぬ。
老将ユーグ・ボグダン、九人の息子と共に、迎え撃つ。
九人の将軍を斃し、十人目と刃を交え、力尽く。
兄弟九人、庇い合い、最後の一人となるまで戦いぬ」
歴史学者に言わせると、このユーグ・ボグダンはこれほど活躍したのか、息子はそんなにいたのか、と疑問視されているらしい。しかし、物語の多くがそうであるように、吟遊詩人は史実より聴衆が聴きたいと思ったものを語る。
「ラザルの娘婿、勇敢なるミロシュ、単身皇帝の元へ。
投降を偽り、靴に口づけと見せ、玉体に太刀浴びせぬ。
英雄はその場にて討たれしも、皇帝深手を負いぬ。
然れど皇子はすぐに指揮を執り、軍はなお崩れざる」
英雄たちの活躍、そして悲劇的な死。こういうものは、聴衆たちの受けが良い。自分の胸にも哀愁のような音色が響く。今は惨めに隷属している白の国が、かつては帝国だと互角だったと思いたいのかもしれない。
情感たっぷりに語る声に縫い留められ、ごった返していた聴衆の足が止まる。
少女が手を引いて物陰に導こうとしたが、自分もその場を動けなかった。
「白の国皇帝、光輝あるラザル、血の海へと出撃す。
七万余の王兵、広大な野にて、帝国軍を追い回す。
しかし裏切者ヴーク、雄々しき騎馬兵、一万を引き上げし。
槍数多折れたる場、我らがラザル、最後を迎へり」
皇帝とされるラザルは、実際には南の領主を束ねた存在で、生涯侯の称号しか持たなかった。帝国の北進を警戒し、様々な同盟を結んで備えたが、この物語のように善戦できたとは限らない。
しかし彼は、確かにこの国の皇帝だった。帝国相手に勝ち目はないとを知りながら、この国を守ろうと戦った。それは、それだけは揺るがしがたい事実だ。
「かくして二人の皇帝は、無数の勇者らと、戦場に眠る。
この血と屍の原に、黒歌鳥は居らぬ、カラスが舞うのみ」
「止めろ、演奏を止めろ!」
余韻もまだ冷めやらぬ内に、我に返ったらしい教師の一人が金切り声を上げる。
「帝国を敵とみなし、敗北を語る。貴様は帝国を愚弄する気か!」
吟遊詩人はわざとらしく立ち上がる。
「何を仰るんだ旦那様! この話は預言者教を称えるものじゃないか。
どちらの皇帝も永遠の眠りについたが、救世主教を奉じていたラザルの国は滅び、預言者教の時代となったのだから」
教師たちは反論の言葉を失った。
結局、学び舎でこんなことをするな、とお叱りを受け、早く去るように言われたが、それ以上の叱責を受けなかった。衛兵を呼ばれたり、たたき出されたりしてもおかしくないのだが。
一方で白の国出身である聴衆は大いに気分を害したらしい。なかなかの演奏だったが、お恵みを、と差し出した帽子の中には銅貨が数枚しか入らなかった。
吟遊詩人はやれやれと肩を竦めた。
「おい」
楽器を布で包んでいる吟遊詩人に呼びかける。視線が合った。
「アンコールは受け付けてないぜ」
少し垂れた青い瞳が、傍の所在なさげな少女を不思議そうに一瞥する。自分を逃がそうとしたのは、彼の差金だったのかもしれない。
「貴様、何者だ?」
鋭い誰何の問いに、相手はにやりと返した。
「あんたと同じことをしてるんだよ」
顔がかっと熱を持つ。
「渡り人無勢が。この私と貴様が同じだと?」
吐き捨てられた言葉には、根無草の彼への侮蔑がはっきりと現れている。しかし吟遊詩人は笑みを深める。
「同じだろう? 熱い言葉で人を酔わせるが、その実、何も生み出さない」
あれだけ雄弁だった口が結ばれる。侮辱されたと思った。だが、痛いところを刺されたとも思った。自分でも薄々勘づいている。
「本気で帝国に勝つ気か?」
問いかけた吟遊詩人は目を細め、じっとりと観察している。
「……無論だ」
胸を張って答えた。だがそれは、虚勢だと自分でも本当は気づいている。吟遊詩人は片眉を吊り上げる。
「へえ。この国にはもう、老将も、彼の九羽の隼も、三人兄弟の君主も、勇敢な英雄も、他称皇帝もいないのに? どうやって戦うつもりだ?」
歯をぐっと食いしばった。拳の腱を白く浮かばせながら、答えを絞り出す。
「それでも、戦わなければならない」
「ただの無駄死にだ。自殺なら一人でやれ」
せせら笑われ、頭に血が上った。
「では帝国の支配に甘んじろと言うのか! 外国が定めた法に従い、税を余分に払わされ、別の神を崇めるよう促され、子どもを兵に取られ、黙って従えと言うのか!」
溢れ出す言葉は、今まで胸の奥底でため込んでいた激情だ。
「私は死して皇帝と呼ばれる、ラザルが羨ましい。黒歌鳥の地で死んだ、名もなき兵ですら羨ましい。このまま戦わずして帝国兵の顔色を伺う日々など耐えられない」
目を瞑り帝国に支配されている日々を過ごしていると、ゆっくりと腐っていく気がする。このままでよいはずがない。
「私は絶望し、死に憧れているわけではない。母国をこの手に取り戻すため、死ぬ覚悟があるだけだ!」
興奮のあまり震える唇を引き結ぶ。
俯いた視界に、手が差し出された。指が長く、弦を押さえる左の指の先が分厚くなった楽器を弾く者の手。
目の前の男の瞳は、探し物を見つけたように煌めいていた。
不意に、周囲の喧騒が遠のいた。
「俺の手をとれ。あんたに帝国と戦う術を教えてやる」
作者は学校に行く前におはスタを見ていた世代です。
オグの声は脳内で怪人ゾナー(森久保祥太郎さん)でご再生ください。
参考文献:ユーゴスラビアの民話 2 セルビア英雄譚
世界史で言うところのコソボの戦い。興味がある人は調べてね!




