第四楽章 美しき革命家
真上からの陽が照りつける広場の一角に、重厚な石壁の大聖堂が堂々とそびえている。十字架を支える二つの塔の屋根は青銅に覆われ、バラ型の窓には、かつての栄光を今に伝える褪せた色硝子が嵌っていた。都市は帝国の支配下にあるものの、異教徒にも寛容な政策のおかげでこの教会は破壊を免れたらしい。
「あれがこの教会の司祭、スベティスラフです」
シラは鐘楼の影に身を潜める。別に姿を隠す必要はないのだが、オグもなんとなく一緒に隠れている。
その人物は背は白の国の人間にしては小柄だが、白い長足首までのローブの上に濃紺の大祭服を羽織り、威厳すら漂っている。白髪の頭には柔らかな布製の帽子をかぶり、慈悲深い笑みを張り付け、胸には正十字のペンダントが鈍く光っている。
宗教的指導者は、民衆を扇動して兵を集めることもあるし、時には自らが軍を率いることもある。そう考えれば、悪くない目の付け所だ。
だが、同じことは敵も考える。とっくに帝国にも警戒されているだろう。
観察を続けていると、どうやら司祭は集まった人々に施しを与えているようだった。伸びてくる手を優しくとり、祈りの言葉を唱えながら一人一人にパンを渡している。子どもには笑顔を向け、病人には労わる言葉をかける。まるで聖人のようだ。
だが、聖職者の仮面は簡単にひび割れた。ゆったりした白い服に丸帽子を被った男性を認めると、司祭は眉を潜めた。
「おまえ……預言者教か?」
「お恵みを司祭様。税金が払えず仕方なく改宗したんです。頼みます、子どもが腹を空かせているんです」
「出て行け。ここはおまえのような者の来る場所ではない!」
荒い怒気が広場を満たす。呼応するように非難を向ける周囲の視線に、背を丸めた男が項垂れる。
「ないな」
物陰から様子を伺っていたオグはそう結論づけた。
「しかし彼は、この街で最も信頼されている人物の一人です。救世主教、正十字派の信徒はこの国の七割を占めています。彼らは司祭に従うだろうし、資金もある。宗教のつながりで、外国にも顔が利く」
シラのフォローにも首を振る。
「裏を返せばこの国の三割は従わないってことだ。
帝国は、自称天才軍師が匙を投げるほど強力なんだろ。国が分裂してて、勝てるのか?
少なくとも、自分の信仰には目をつぶって、他の宗派や異教と協力しないと」
司祭が異邦人らしい黒い目の老婆を口汚く罵って追い払っているのを、顎でしゃくる。
「そもそもあいつが、よそ者の俺たちの言葉に耳を傾けてくれると思う?」
シラは何か言いかけ、反論できずに息を吐きだした。
「あの人が一番の候補でした」
「幾ら凄くたって、味方を分断するような奴は願い下げ。できれば、もう少し寛容な奴がいいんだけど。他に候補は?」
‡ ‡ ‡
その後もシラに紹介された候補者たちを訪ねた。時には観察し、時には直接言葉を交わしたが、芳しい成果は得られなかった。
夕暮れの長く伸びた影は肩を落としている。すっかり重くなった足でオグは教授室を出た。
悪い人物ではなかった。突然の来訪者にも気さくに振る舞い、知識を惜しげもなく披露してくれた。シラの前情報では白の国の歴史を研究しているとのことだったが、その内容は帝国支配の正当性を証明する、言わば帝国に迎合しようとする主張だった。
「……駄目だな。生き延びる知恵はあっても、抵抗する気概がない」
かつてここは、国教に定められた救世主教の正十字派の神父を養成する学び舎だったらしい。しかし今は、帝国語で預言者を称える聖句が聞こえている。
壁には煤けた跡が残っている。占領される際に火薬を使って抵抗したのだろう。そもそも帝国に反抗しようとする気骨ある人物は母国を守ろうと戦死したか、占領された際に殺されている。
「……あなたは、誰を、または何を探しているんですか?」
陰のように付きそうシラが、不機嫌な犬のように唸る。
無理もなかった。オグがダメ出ししたリストはシラ、またはその仲間たちが国を守るために血と汗で集めた情報なのだから。
「俺は指導者になる人物を探そうと」
「必要ないです。我々の任務は、帝国が我が国に侵略できない程度の損害を与えること。この国の現執政官、またはそれに連なる人物に詐欺を働き、国庫に損害を与えればいい。そのために、帝国の指導者に橋渡しをしてくれる人間と知己になればいい。後はあなたの偽りを吐く口にお任せします。
イストバンネ様は確かにあなたの大言壮語に興味を持ったけれど、それで充分と仰った」
じろりと、アンバーの瞳でオグを見定める。
「あなたが探しているのは、帝国に損害を与える人材ですか? それとも、この国を帝国の支配から解放する人材ですか?」
「俺は……」
言われてはっとした。
オグはいつの間にか、物語の登場人物にでもなった気でいた。この国の指導者を自分が決めるという立場に酔ったのかもしれない。
自分は、探していた。叙事詩に歌われるような英雄を。
とんだ思い上がりだ。自分は、お告げにより王を探しに来た占星術師ではない。第三国の工作員、しかも監視付きだ。誰かを選定する立場にないし、資格もない。利用されるだけの借金奴隷で、そんな自分が目星をつけた人物もまた、誰かの思惑に利用されるだろう。
オグは俯く。疲れがどっと肩に押し寄せてきた。
「言いすぎました」
あまりに落ち込んでいるので、シラが困惑して取り成す。
「いや、俺が悪かった」
オグは珍しく素直に謝り、踵を返す。
――この国に、俺が求める英雄はいないのか?
答える声はない。遠くの鐘楼の音だけが、寂しげに響く。
もうここに用はない。正門に向かってとぼとぼ歩いていると、ちょうど帰宅時間と重なったらしい。今は帝国風の幾何学模様が描かれた校舎が、学生たちを吐き出している。夕暮れの光が、彼らを空と同じ色に染める。
「いつまで項垂れている、愚か者め!」
オグは飛び上がった。自分に語りかけられたのかと思った。
広場の中央、行きに噴水を見た辺りで、学生たちが滞留している。
猛禽類に遭ったツグミのように鋭く、澄んだ声はその中心から聞こえている。オグは吸い寄せられるように足を向けた。
「我々の敵は強く、賢く、抜け目がない。奴らはこの国を征服したと考えている。我々の半分を武力で黙らせ、残り半分を買収したと考えている。奴らは異教徒の考えることは全てお見通しだと自惚れ、あらゆる事態に備えたつもりでいる。
ふざけるな! 足元を見ろ! ここは我らの母国だぞ? 我々の祖先が血と汗で築き上げた国だ!」
熱心に耳を傾けていた学生たちへ分け入り、最前列に到達した。
呼吸が、止まった。
現実は単純だ。噴水の縁に立ち、一人の学生が熱弁を振るっている。
「それでお前らは、いつまで黙っている気だ?」
但しその人物は、あまりに美しかった。
夕闇に浮かび上がる肌は陶器のように白く、頭を飾る髪は、金星のように煌めいている。鼻筋と交差する眉間もまたまっすぐで、凛々しい眉が沿うように並ぶ。何より、こちらを睥睨する、差すような目。
「お前たちは、この先も帝国の奴隷でいるつもりか? お前の子どもも、その孫たちも?」
オグは自分の容姿が良い方だという自覚がある。今までそれなりに良い思いをしてきたし、同じくらい不快な思いもしてきた。
そんなオグでさえ一目で敗北を認めるほどの、圧倒的美。
嫉妬することすらできない。男だとか女とか、人という枠組みを超えた、神のような造形。その人物は拳を固く握り、天へと振り上げた。
「自分を他人の手に委ねるな! 戦え! 自分の運命を自分の手に取り戻すのだ!」
指で額縁を作り、その光景を収める。
それはまるで宗教画のようだった。オグは遥か西の国の教会で、神の声を聞いて国のために戦った農民の娘の絵を見たことがある。甲冑姿で旗を翳し、天を見据えるその聖女に不思議と重なった。
武器を持つには線が細い。頼りがいはないだろう。歳は若いし、帝国を滅ぼすだけの英雄性も、不屈の意思もあるようには見えない。だが、言葉には力がある。オグの胸にさえ火を灯すような力が。
「あいつにしよう」




