終曲 旅立ち
白の国は独立を宣言したが、国家元首は誰かということすら決まっていない。
帝国をはじめ、関係が深い国は未だ独立国であることを認めていないし、メンツを潰された皇帝陛下は再び侵略するつもりだろう。
支配が空白となった国土を狙うのは、何も帝国だけではない。黒き王国を含めた周辺国、国内の元貴族、食い物にしようとするハイエナはたくさんいる。
意見を聞かれ、オグは帝国と黒き王国の両方と軍事同盟を結んではどうかと答えた。
どちらかの国が侵略されたらもう一方の国と共に戦う。そう明言しておけば、どちらの国にも抑止力になるだろう。
二大強国に挟まれた生まれたばかりの弱小国が生き残るのは中立であることだ。どちらにも肩入れしない国なら、緩衝地帯として存在が許されるかもしれない。独立を保つため、この国はこれからが正念場だ。
それでも今くらいは、喜びに浸っていても良いだろう。
独立をようやく実感できた民衆たちは、皇弟殿下を無事送り届けたネナドを迎え、盛大に祝った。
オグは白の国の成り立ちや、黒き王国との連合軍で戦った時代の白壁の街の奇跡的な勝利、栄華を誇ったドゥシャン大帝の婚礼といった明るい情事詩で存分に場を盛り上げ、頃合いを見て中座した。
お菓子のスペースを離れようとしないシラを横目に、保存が効きそうなパンや燻製、チーズを包み、ワインをくすねて革袋に入れ、師から受け継いだ一本弦を背に担ぐ。ごったがえす入り口は人目があるので、人気のない通路で窓開き、枠に足をかけた。
「どこに行くつもりだ?」
誰もいないと思ったのに、後ろからすっかり馴染みとなった凛々しい声がした。
「ちょっと外の空気を吸おうと思ってさ」
「旅支度をしてか?」
服の裾を掴まれた。オグは諦めて、背後を振り返る。
「俺、渡り人だから、一つの所に長く居られないんだ。ここには、長く居すぎた」
こちらを見つめるモスグリーンの瞳と視線が合い、すぐに後悔した。
「この国にはまだお前が必要だ。残ってくれないか」
いつも強気で帝国兵にも果敢に向かっていくラドの、縋りつくような声に、決意が鈍りそうになる。
オグはため息をつく。黙って去るつもりだったのに、こうなっては仕方ない。
「今まで黙ってたけど、俺は――」
「黒き王国の工作員だろ」
嫌われる覚悟でした告白をあっさり言い当てられ、肩透かしを食らう。
「知ってたのか」
「逆に、なんでバレてないと思ってたんだ。シラは黒き王国との繋がりを隠す気もないし、魔玉を密輸できる伝手のある吟遊詩人がいるか」
それもそうだ。
「じゃあ、わかるだろ。俺が残ったらどうなるか。自分で国の独立を勝ち取ったって喜んでるやつらが、実は他国からの援助がありましたって聞いたらガッカリするだろ。お前らもスパイの仲間にされて支持を失うかもしれない。関与を黙っておいてやるからって、黒き王国の良いようにされるかもしれないぞ」
「ふーん。この国のために旅立つと言うわけか」
確認する声はどこか嬉しそうだ。本当にわかっているのか、と念を押したくなる。
「そんなに国を思ってくれるなら、残ってもいいだろ」
「さっきも言ったけど……」
「傾国の美女が妻になってやると言ってもか?」
思考が止まる。つま? つまとは配偶者のつまか? 誰の? 俺の? 自分が知る中で一番美しい女と言えば。
「え? ミリちゃん、俺のこと好きなの?」
以前紹介するように頼んだが、冗談のつもりだったと目をぱちくりさせる。
「妹も妻に欲しいのか? そう言えば、預言者教は四人まで持てるらしいな。欲張りめ」
なんとなく話が噛みあってない気がする。
「も、ってどういうこと? 一人はミリちゃんとして、もう一人は? まさかラドのことじゃないよね?」
ラドは傾国の美人だが女ではないはず。そういう性的嗜好の人はいるが、オグはそうではない。
「お前って驚くほど鋭いのに、時々酷く鈍いな」
ラドはやれやれとため息をついたかと思うと、黒い上着を脱いだ。
身体の輪郭、特に肩の形が丸みを帯びる。筋張った首筋や腕が見るからに柔らかそうになり、胸には男ではあり得ない膨らみが現れた。
なんで女装したんだ、と咄嗟に思った。でも不思議なことに、その姿は違和感が無かった。
「改めて名乗ろう。私の名前は、ラドミラ=イヴァンチカ。イヴァン家の長女、ミリャーナの姉だ」
「おんなァ!?」
口から泡を吐くと思った。だってずっと男だと思ってて、それなら自分の葛藤は一体。
「妹は優れた魔術師だ。しかし、あるものをないようには見せることはできても、ないものをあるようには見せられない」
そういえば女装?した時の膨らみは、妙にリアルだった。感覚を反芻しながらにぎにぎしていると「それは忘れろ」と怖い顔で睨まれた。
「でも、お前に肩を貸した時や、負ぶった時はそんな感じ……」
「人は外部からの情報を視覚に七割頼っているらしい。ミリャーナは視覚からの錯覚を助長するような術を組み込んだ。おかげで、神学校に通っていた時もばれなかった」
うちの妹は天才だからな、とどこか自慢げに言う。オグは首を振った。
「そもそも、なんで男の振りなんかしてたんだ?」
「預言者教の支配地域で女がどんな目に遭うか、お前は目のあたりにしたはずだが?」
家を出られないし、自分の好きな服も着られない。社会に参加できず、仕事にもつけない。自立する術がなく、男の所有物のように扱われる。そう考えると、活発なラドには苦痛かもしれない。
「それに、私もミリも美人だ」
自分で言ってしまったが、頷けるだけの美貌である。
「父は私たちの身を守るために帝国兵に降伏したが、敗者の所有物は勝者に接収される。娘である二人が帝国兵にいいなようにされてしまう可能性があった。権力を失った父では守ることが出来ない。かと言って私は、ミリのようにどこか人目につかない所に閉じこもって平気でいられる性格でもない」
ラドなら性別を偽っても、自分の好きなように生きたいと思っても不思議ではない。
「よくバレなかったな」
「私が女であると知っている親戚は大半が戦死した。親しい者には事情を説明して口止めした。
私は気が強く、小さいころから男に交じって遊ぶことが多かったので、それ程疑問を持たれなかった。私の裸を見たことのない連中は、騎士にとられるのを防ぐため、父が息子を女扱いしていたのだと勘違いした」
そのおかげで臆病者と散々馬鹿にされたが、とラドは肩を竦める。
「中には洗礼してくださった大司祭のように、察したが黙っていてくれた人もいたかもしれないな」
本人の口から理論的に述べられ、事実を疑う余地はない。でも今まで同性だと思っていたので、女だという事実がなかなか飲み込めない。
「待て待て、さっき妻になってやるって言った? え? お前、俺のこと好きなの?」
まさか嫌いな男の妻になりたいという女はいないだろう。オグなら結婚してもいいと思うくらいの感情を持っていてくれるということなのか。
「言わせる気か?」
ラドは朱に染まった目で睨みつける。
美人に睨まれると迫力がとんでもない。すいませんでした、と平伏したくなる。
「単純な疑問デス」
女の年齢に触れる際は気を付けろ、体重には死んでも触れるな、とは師の教えである。自分はラドを利用していたわけだし、体重を揶揄するというタブーを犯したし、好かれる要素が思い当たらない。
「キサマ、私に好かれようとしなかっただろう。媚を売ったり、崇拝したり、嫌らしい目も向けなかった」
それはお前のこと男だって思ってたからね! 女だって知ってたらもっと取り繕ってたから! と喉まで競り上がりそうになる。
「妙な騎士道精神を発揮して必要以上に私を守ろうとすることもなかったし、時には諫めて、同志として、私と肩を並べて戦ってくれた。それが私にとってどれほど貴重だったかわかるか?」
なるほど。オグは完全に理解した。つまり、あまりに他人に惚れられすぎて、恋愛センサーが誤作動を起こしているのだろう。
「行くなら、私も連れて行ってくれないか」
ラドらしくない。ラドという革命家は誰かに寄り掛かるような人間ではない。だからオグは気の迷いだと断じた。
「お前こそこの国に必要だろ。なんてたって、独立の立役者だぞ」
しかしラドは自嘲気味に、儚く微笑む。
「私は皆に男だと偽っていた。嘘を抱える人間が人の上に立てるはずがない」
もしかしたら、ラドはずっと孤独で。男と言う仮面で自分を隠し、強がっていたのではないだろうか。人は一人では生きていけない。このままこの国で英雄“ラド”として生きることはもう無理だと、判断したのかもしれない。
「別に政治家がみんな清廉潔白ってわけじゃないと思うけどな。反発はあるだろうけど、帝国支配下では女が社会に関わる方法がなかったわけだし、事情を説明したらわかってもらえるだろ」
ラドミラとして白の国で生きる方法もあるはずだ。騙されたと怒る人もいるだろうが、そんな人ばかりではきっとない。積み上げたものが全部無くなるわけじゃない。ラドの思いを、奮い立たせるような力強い言葉を、人々は忘れないだろう。
「それはどうだろうか。それに、私は強権的な支配に反発していただけで、特に政治信条があるわけではない。国づくりはネナドたちに任せるさ」
「馬鹿だな。命を懸けるほど国を好きな奴が、国を離れられるわけないだろ。自分の生まれた国をどうしたいかはこれからゆっくり考えていけばいいさ」
はぁーっと、ラドは顔を覆い、大きなため息をつく。
「お前はそうやって……。オグはどうなんだ? お前も国のために命をかけただろ」
オグはわざとらしく胸をそびやかす。
「俺は王族だからな。ノーブスオブリージュってやつ。敢えて言うなら自分の意地のためさ」
「ああ言えばこう言う」
それはこっちのセリフだ。埒が明かないので、もう一つの理由を明かすことにする。
「俺は渡り人だし、凄くおっかねぇ淑女に借金を追っている立場だ。お前の大嫌いな命令に服従しなきゃならんだろうし、そうでなくても……」
渡り人として生きるのは過酷だ。一人ならなんとかなるだろうが、同行者の面倒なんか見れない。ラドのような美しい人がどんな目に遭うのか想像したくもない。
「つまり、借金を肩代わりすれば、オグを好きにできる?」
いつの間にか、ミリャーナが近くに来ていた。気を使って持ってきたのだろう、手にした盆にガラスの杯を二つのせている。
「そういうことになる……の?」
思わず疑問形になってしまった。いやいや、人間を金銭で所有するなど、教育上良くない。相手は長年引きこもってい世に擦れてない少女だ。
「私、一生懸命働く。農具用に開発した魔法具、製品化したいって人もいる。いっぱいお金稼ぐ」
「止めて! 俺はジゴロだけはしないでここまで来たの。こんな純粋な娘のヒモになるなんて罪悪感半端ないから!」
叫ぶオグに、ミリャーナが近づいてきた。潤んだ目でじっと見上げる。
「じゃあ、どうしたら残ってくれる?」
「ミリちゃん……」
「オグ、怒らないで話聞いてくれる。私の言葉、ずっと待っててくれる。そんな男の人、今まで会ったことない。ずっと傍にいてほしい」
直球の好意に、心が揺れ動く。
「俺はこの国の人間じゃないんだ。だから、この国のこれからには関われない」
オグはどこまで行っても渡り人だ。当事者ではなく第三者でしかない。
「それに、また会えないわけじゃないんだしさ」
「ん」
ミリャーナは悲しそうに俯く。垂れた前髪の向こうで、噛みしめた唇が見える。
「せっかく酒持ってきてくれたから乾杯しようか」
取りなすように杯を受け取る。中には透明の液体が入っていた。微かに杏子の匂いがするそれは、この国で作られる蒸留酒だ。
「お前らが作る国を楽しみにしてる」
革命家と杯を重ね合わせると、小気味よい音がした。
「この国の新たな旅立ちに、乾杯」
あとがき(という名の自分語り)
ありがたいことに、ずっと夢だった自作を一つ世に出すという願いが叶いました。
しかし、あまり売れないので続きも出せず、ならばと次の物語の案を出しても担当さんに却下される日々。
この二年間で何案も出して、全部却下を食らい続けました。
本を一冊出すために、絵を描いてもらい、校正してもらい、印刷してもらい、宣伝してもらい、書店に並べてもらい……お金がかかります。関わってくださっている人はそれで給料が発生します。だから、売れない本を出すわけにはいきません。わかってはいるんですけど、売り出してもらうために担当さんの意に沿った話を考えて、他人の目を気にして、それって自分が書きたい話なのかわからなくなってしまいました。
マーケットと書きたい物語が一致しているのが良いのでしょうが、自分の場合はそうではない。
一番強烈だったのが「そんな話誰が読みたいんですか」と言われたことです。
すっごいショックを受けたけど、じゃあ、自分が読みたい話ってなんだろう、と自分に問いかけました。
よくニュースなどで「力による現状変更」と耳にしますが、強い国が軍隊を背景に無茶苦茶をすることが今起きていて、日本みたいな国は文句も言うこともできなくて、その結果を受け入れるしかない。
ご都合主義のような展開で恐縮ですが、物語の中くらいは、自分が神様でいる世界くらいは、弱いものが誰も傷つけずに、強い国を打ち倒すような、そんな奇跡が起きてもいいんじゃないかと思います。
でも実はこれは完全にフィクションというわけでもなくて、過去に現実でも起きたことを参考にしています。この話を書くために図書館やネットで調べると、インドの非暴力非服従運動、アメリカの公民権運動、チェコのプラハの春、エストニアの歌う革命、フィリピンのピープル・パワー、セルビアのオトポール!
そんな過去を知るたびに、なんだか勇気をもらえる気がして、これからだって、そんな奇跡を現実に起こせるかもしれないと思いました。
却下になったプロットを見てもらい、「これちゃんと書けたら面白いよ」と背中を押してくれた友人たち、おかげでどうにか書き上げることができました。本当にありがとう。
この話は担当さんに送り付け、もちろん(売れるはずがないので)却下を食らいましたが、こういう話を書きたいと見失いかけていたものを掴めたような気がします。
願うならこれが、読んでくださった方の読みたい話になってればいいな。
さて、この物語はこのへんで終わっときます。
お付き合いいただき、ありがとうございました!




