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第五十楽章 精霊の歌

平の村 礼拝堂


” 天を裂く炎柱は雲を赤く染め上げ、大地を焦がし尽くせ ”


ネナドが忘れたくても忘れられなかった呪文を再び耳にし、「逃げろっ!」と悲鳴のように叫ぶ。

ラドとオグは駆けだそうとするも、出入り口は全て塞がれている。ネナドは詠唱を止めようと老魔術師へ向かうが、さらなる伏兵に行く手を阻まれた。


「ここは通さん」

「馬鹿野郎! お前らも逃げろ!」


元将軍は血相を変え、帝国兵相手に一喝する。


「この呪文はこの場にいる者を全て焼き尽くす。結界内に逃げ場はない。無事なのは術者と、その後ろのクソガキだけだっ!」


兵たちは、属国から徴兵された救世主教の子息たちで構成された親衛隊である。自分が捨て駒にされる心当たりがあるのだろう。目に動揺が浮かぶ。


” でたらめだ。信じるな! ”

「くそっ、盲信者共め!」


ネナドと帝国兵がもみ合う。ラドは槍の穂先が迫るのを見て、ここまでだな、と思った。やれることはやった。ここで焼け死ぬことになろうとも後悔はない。帝国に服従し、生きながらえたいとは思わない。


もっと焦燥に駆られると思ったのに、不思議と心は穏やかだった。一人で死ぬわけではないというのが大きいのかもしれない。

自分はこの男と死んでも良いと思っているのだな、とこんな時に自分の心に気づいた。


「オグ……」


ただ一つ、心残りがあるとすれば、芽吹きつつある自分の気持ちを伝えず死ぬことだ。


胡散臭い男だと思っていた。今でも全てを信頼しているわけではない。

けれど、命がけで庇われて何も思わないわけがないし、嘘だらけの言葉に一つの芯が通っているのを知っている。強い者ばかりがのさばる世を許したくない。その心は自分にも通じる所がある。

ラドは、こいつになら騙されても良いと思っている。だからここまで来た。


「私はお前のことを……」


しかし当の本人は取り合わず、その場に座り込んだ。


「悪いな。感傷に付き合う趣味はない。最後まで足掻かせてもらう」


素早く、背に負っていた楽器を構える。


「俺は暫く使い物にならなくなる。後は頼むぞ」


一本弦(グスレ)の音が礼拝堂に鳴り響く。吟遊詩人は目を瞑った。息を吸い込み、肺腑に空気を溜める。


サリフは目を見開き、続いて笑ってしまった。呪文をかき消す為により大きな音を出す。素人の考えることだ。

しかし解き放たれたのは、とんでもない声量だった。礼拝堂中の空気がびんと震える。


――男は、虹の儚さを歌った 夜を瞬く星々のきらめきを歌った


聞いたことのない言語なのに、なぜか意味がわかる。不思議と懐かしいそれは、人類が忘れてしまった原初の言葉なのかもしれない。


” 天へと届く炎柱よ、雲を赤く染め上げ、大地を焦がし尽くせ ”

「四方を巡る風よ、精霊の息吹よ、呼び声に応えよ」


ダメもとでネナドが呪文の詠唱を始めるが、右腕も媒体となる剣もない今、どれほどのことができるかわからない。それにしても不思議だ。以前耳にした時は周囲が熱を帯び、魔力が集まっていくように感じたのに、今は何も感じない。


” 神よ、我らの敵を滅せよ ”


呪文の詠唱が終わった。ネナドは義手を突き出す。ラドはオグをかばうよう、その前に立った。


そして……。

何も起きなかった。空気は燃えず、静寂が訪れる。


――男は、空の青さを歌った 熟れたリンゴの赤さを歌った


沈黙した礼拝堂に響いているのは、この世のものとは思えない美しい音色だった。耳障りなはずの一本弦の音が、いつの間にか伸びやかな声と調和している。


” おい、どういうことだ? ”


皇弟の疑問の声に、ゼキは、試しに” 灯れ ”などと簡単な呪文を幾つか唱えた。しかし何も起きない。


” 精霊が……応えない? ”


――男は、木漏れ日のざわめきを歌った 水面の静けさを歌った


” あの歌! ”


老魔術師は記憶を辿る。ゼキがまだ戦場に出たばかりの頃、先輩の魔術師から聞いたことがある。名も忘れてしまった小国。魔術が役に立たず、武力で滅ぼさざるを得なかった。


「精霊の歌」


ネナドが呆然と呟く。


「なんだそれは」

「俺も文献で読んだことがるだけで詳しくは知らん。なんでも昔、小さな国があったんだと。そこの神官は精霊に捧げる歌を知っていた。その歌は大層美しく、歌われている最中は精霊が聞き惚れて、魔法が一切使えなくなったそうだ」


一流のものは、それが絵であれ、踊りであれ、工芸品であれ、専門家でなくとも、見る者聞く者の心に訴えかけるものがある。

歌の場合もそうだ。

オグの楽器が、身体が隣光を放っている。常人でも目視できるほど、精霊が周囲に集まっている。精霊が、お気に入りの正直者の呪文に応えず、聞き惚れるほどの歌。


神話を目にしたかのように、ネナドは信じられないと首を振る。


「だが、あの国は滅んだはずだ」


ラドは思い出した。


『そうか。実は俺は亡国の神官なのだ。』


王の血を引くというオグの言葉は偽りだが、オグの師は真実を語っていたのだ。そして、その歌を、技術の全てをオグに伝えた。


国が滅んでも、その国で生きていた人が消えるわけではない。その国で過ごした記憶がなくなるわけではない。歌は、踊りは、言葉は、風習は、言い伝えは、そう簡単に消し去れるものではない。人から人へ伝えられ、残っていくのだ。


――男は、男は、男は、この世の美しさを歌った


高らかな声に、心まで震えてくる。ふと、この男の目に映る世界はこんなにも美しいのかと思った。


そんな訳なかった。親に捨てられ、飢えて、差別され、散々理不尽な目に遭い、人の醜い部分を嫌というほど見てきたのだ。それでも彼はこの世は美しいと、生きるに値すると信じているのだ。


切なく、いじらしい調べに、聞いていると涙が出そうになる。


” あの吟遊詩人を殺せ! ”


サリフが立ち上がる。我に返った帝国兵たちが木製の槍を構え、ばらばらとオグへと向かう。


目元を拭う。生憎、ここは戦場だ。ここが歌劇場なら、いつまでも聞いていられるのに、残念だ。


オグは視界を閉ざし、全身全霊で歌っている。避けることもできない。格好の的である。魔術を封じるためには吟遊詩人(グスラール)を死守しなければならない。

勇んで足を踏み出した先頭の帝国兵がその場でこけた。続く兵が勢いを失う。


「チッ。これ、魔法具や固有魔法にも効果があるんですか」


兵の足元が揺れ、つま先を延ばして兵の足をひっかけた姿勢のままでいた少女が姿を現す。すぐに槍が殺到した。シラは素早く躱しながら、飛び上がって一人の首筋にダーツの針を刺した。

刺された兵は首元からダーツを抜き、そのまま前に崩れ落ちた。金属の針でなく、木を尖らせた針なので出血量はそこまでではない。どうやら毒が塗ってあるようだ。しかし刺された男の胸は上下している。麻酔や麻痺の類だろうか。


” 伏兵だと? 卑怯な ”

「あんたに言われたかないんですよ」


シラは壇上のサリフに向かって針を投げたが、書記が慌てて羊皮紙の束で防ぐ。


「ラド、お前、戦えるか?」


ネナドが義手で槍と撃ち合いながら問う。

兵の一人ともみ合っていたラドは、容赦なく股間を蹴り上げた。相手は悲鳴を上げ、槍を取り落とし、青い顔で蹲る。


「父に護身術は叩き込まれている。とりあえず急所を狙えばいいんだろ?」

「いたそ……」


同じ男として、ネナドは敵に同情してしまった。


” 非暴力じゃなかったのか? ”


嘲るサリフの言葉に、ラドはにやりと笑う。


「そこで楽器を弾いている理想主義者と違って、私は現実主義者なのだ。

非暴力を訴えたのは、その方が勝算があったからだ。拳を振るうのを禁止していただけで、別に拳を振るえないわけではない」


ラドは元々喧嘩っぱやいし、すぐ手や足が出るし、負けん気が強い。今までは作戦だから堪えていただけだ。おまけに親まで殺された。相当フラストレーションが溜まっている。


「座して死を待つのは趣味じゃない。それに、今は暴力の方が勝算が高そうだ」


木の槍を拾い、切っ先を敵へと構える。


「無抵抗に死んだ父と仲間に免じて、貴様らの命を奪うことはしない。これは喧嘩だ」

「ラド、その姿……」


ネナドの呆然とした声に、妹が上着にしてくれた刺繍の効果が失われたのを知った。丸みを帯びた体。不便だが、長く付き合いのある自分自身のものだ。


「話は後だ。行くぞ」

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