第四十四楽章 看病
「あ~ん」
寝かされているのは、木製のベッドだ。藁を詰めた寝台の上に羊毛の敷物が重ねられ、暑い時期にはやや寝心地が悪い。窓は開け放たれ、部屋の隅には救世主教の聖像が置かれ、厚い石壁は煤で汚れている。
「ミリちゃん、俺の手は飾りじゃないんだけど」
白いんげん豆のスープをすくった木の匙を突き出したミリャーナに断りを入れる。
髪を布でまとめ、袖をまくり、まるで修道女のような真剣さで世話を焼いている。美少女にお世話をしてもらうなど普段なら大歓迎だが、今は些かうんざりしていた。
やせ細った体重はもどりつつあり、身体を動かすのも苦ではなくなっている。だというのにミリャーナはオグをまるで重病人のように扱う。驚くほど何もさせてもらえない。
匙を唇に押し当てられ、観念して口を開けた。よく煮込んだ豆が口の中で崩れて、熱が喉から胃袋に落ちていく。
「もっと食べて」
「スプーンくらい持てるんだけどな……」
ミリャーナは頑固だった。オグが匙を受け取ろうと手を伸ばしても、無視して次の一口をせっせと給餌する。彼女の気が済むようにさせようと、オグはされるがままに無心で口を開けた。
食べ終わると、ミリャーナは炉のそばに置かれた鉄鍋から湯をすくい、乾燥したハーブを沈めた。セージやジンジャーの滋養に良さそうな香りがふわりと広がる。素焼きのカップに注がれた薄い琥珀色の液体は湯気が立っている。ミリャーナは当然のようにカップを持ち上げ、オグの唇へ運ぼうとするので、思わず苦笑した。
「もしかして、責任、感じてる?」
ミリャーナの手が止まった。視線を湯気の立つ分厚い素焼きのカップに落とす。
「……そう。私がラドのことお願いしたから、代わりに逮捕されたんだよね?」
「君がラドのことを大事に思うのは当然だろ。たった一人の家族だ。俺には家族がいないし」
言った瞬間、余計なことを口にしたと後悔した。ミリャーナはラドと同色の瞳を大きく見開き、口元に手を当てる。
「今、気づいた。私、とても残酷なことを言った」
「別に。ただの事実だ。気にしなくても」
軽く流そうとしたが、叶わなかった。
「オグは優しいから許して、ごめんなさいすら言わせてくれないんだね」
ミリャーナは寂しそうに微笑む。
カップを近くの文机に置くと、オグの手をそっと包み込む。
「家族がいる人のほうが命の価値が高いとか、そんなことない。家族じゃないけど、オグがいなくなったら悲しい。そう思う人がいるって、覚えておいて」
オグは言葉を失った。自分は傷ついていたのだな、と思った。家族と言うグループからのけ者にされて。こんな言葉一つで、心のどこかにあった氷塊が解けていくような気がするから。
「私、人を傷つける言葉ばっかり言う。ずっと黙ってた方がいいのかな」
ミリャーナは瞳を伏せる。声はいつになく弱かった。
「そうかな。俺はさっきの言葉は嬉しかったよ」
声をかけると、驚いたように顔が上がった。
「言葉ってそういうもんだろ。欲しい時にもらえば嬉しいし、相手がそっぽを向いてる時にぶつければ傷つけることもあるし、急所に叩き込めば痛い時だってある。
でも俺たちには必要なものだ。言葉ってね、人と繋がるためにあるものだから。
言葉は自分の気持ちを全部に伝えられるわけじゃないし、誤解されることもあるし、全然完璧なものじゃない。でも俺たちは言葉を使う。今まで何千年も使ってきたし、この先もきっと使うだろう。傷つけたり傷つけられたり、そんなことを繰り返しながら。不器用でも不完全でも他者を信じ、理解し、繋がり合いうために。俺たちは誰かと繋がってないと生きられないどうしよもない生物なんだよ。俺も、君も、他の誰かも」
ミリャーナは唇を噛みしめる。華奢な肩がわずかに震えていた。
「でもまた、傷つけるかもしれない」
「俺はミリちゃんの言葉を聞ききたいよ。ちゃんと受け止めたい。ミリちゃんのことわかりたいって思うからだ。多少傷つけられてもいい。安心してぶつけて来なよ」
ミリャーナの手を握る。先ほど、この小さな手で包んでくれた温かさが、少しでも伝わるように。
「確かにミリちゃんの言葉はストレートだ。でもそれって、自分の気持ちに正直だってことだろ。俺の言葉は偽りばかりだけど、幻想の世界に閉じこもって生きていけるわけじゃない。偽りだらけの優しい世界が必要な時だってある。厳しい現実を突きつけなきゃならない時もある。
俺はミリちゃんの言葉が必要だと思うよ。何より、ミリちゃんの声は綺麗で聞き取りやすいからね」
大きな、モスグリーンの瞳が潤む。その頬はほんのり赤く、表情は迷い子が親をみつけたようにどこか安堵しているように見えた。
「ありがと」
どうにかカップを自分で飲むことを了承してもらい、オグがお世辞にも美味しいとは言えないハーブティーを口に流し込んでいる内に、ミリャーナはてきぱきと食事の片付けを終えた。
そして、ベッドの近くで床に座り込み、何やら作業を始める。
ベッドに横になったまま、退屈しのぎに天井の梁を眺めていたオグは、金属が擦れる音に床を覗き込む。ミリャーナは銃身を膝に乗せ、真剣な表情で分解を試みていた。
「何してるの?」
「外部からの刺激で魔弾の機能を停止できないか研究している。ここで魔力を充てんして、引き金を引くまで溜めこみ……」
ミリャーナは魔弾の構造を一通り説明してくれた。父の命を奪った銃に思うところがあるのかもしれない。
「ふーん、そこの綺麗な石に寄ってきた精霊に力を貸してもらうんだな?」
「正式名は精霊誘導宝。でも、だいたいそう」
「じゃ、俺にできることあるかも。よっと」
身体を起こしかけると、ミリャーナが慌てて止めようとする。
「絶対安静」
「そんなことしてたらカビ生えちゃうよ」
「皮膚にカビが生えるのは死んで代謝が止まった場合……」
「比喩だって」
制止を振りきってベッドから数歩踏み出し、藁の座板の椅子の上に置かれた楽器に向かう。久方ぶりに一本弦を手に取った。板は椿の油で磨かれており、弦も上等な馬の尾に張り替えられ、手元にあった時より状態が良いくらいだ。
ラドはあの時、オグの言外の意図をくみ取り、責任を持って預かってくれたのだな、と気づいた。
背筋を伸ばしてベッドの上に座り直す。目を瞑り、心を鎮め、肺腑に空気を吸い込む。
そうして、ある歌を吐き出した。
痩せた身体からは考えられないくらい、その声量は大きく、のびやかで、拷問の記憶など無かったかのようだ。指は弦の上を滑らかに滑り、ブランクを全く感じさせない。旋律はどこか物悲しく、しかし力強く、部屋の空気を震わせていた。ミリャーナはぽかんと聞きほれていたが、やがて我に返り、銃を手にとる。
「どう?」
オグはふーっと息をつく。曲の四分の一にも満たない短い時間だったが、久しぶりなので息が上がっている。
「……こんなことが」
ミリャーナは信じられないという顔でもう一度銃を担ぎ、銃口をオグに向けた。
「ちょ」
引き金を引いたが、カチという音だけで何も変化が起きない。
「すごい、完全に停止してる」
「……それは良かった。でも、もう少し心臓に優しい検証方法にしてもらえる?」
オグの顔は引き攣っている。もしかして、ラドを運動に巻き込んだこと恨まれているのだろうか、と邪推までしてしまう。
「今反応を起こしたのはどの音、或いは旋律なのか。恐らく精霊に作用していると仮定できるが、どの部位に働きかけているのか検証したい。それから……」
「ミリちゃん?」
「効果が表れるまでの時間は? 録音でも効果ある? それとも……」
この後、ミリャーナの疑問の解消に散々付き合わされることになり、オグは久しぶりに疲労したのだった。




