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第四十一楽章 暴動

「夫を助けるために、ご協力をお願いします」


人垣の中で、その女は明らかに目立っていた。着ている服は暗い緑の柔らかなウールで仕立てられた長衣で、決して華美ではない。しかし、肩から裾にかけて流れるようなラインは、垣間見える仕草とともに優雅さすら感じさせる。

何よりその美しさが、そこだけ光が差しているように、周囲を圧っしている。黒髪は、実はカツラであるが、色白の肌がよく映えた。


帝国に要求を通すには、より多くの民衆を巻き込む必要がある。そのためには、自分の容姿を最大限活用し、人々に協力を呼びかけなければならない。


「ミリャーナさん、応援してます!」


人々の目を引くために、意思の強い瞳は今は柔らかく細められ、愛想を振りまき、握手を求められると丁寧に応じる。彼女の周りには、民衆が集まり、彼女に少しでも近づこうとする。

だが一人の男が手を握り、そのまま離さない。男の手のひらは、あまりにも強く、ねっとりと白い指を触る。


「お触り禁止! お触り禁止です!」


近くに控えていたネナドがすぐに男を引き剥がす。


「何だよ、ちょっとくらい良いだろ」

「節度を持ってください」


言い合いをしている間に、女は素早く引っ込んだ。小さな天幕に入り込み、中で何かあった時のために待機したいた妹の肩へしがみつく。


「ラド、大丈夫?」

「気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……」


妹は優しくラドの背を撫でる。

女の魅力を使うことが、今の自分にできる効果的な方法だということを、嫌でも理解している。かと言って、自分を見る色欲を含んだ視線も嫌だし、他人に無遠慮に触れられる感触も嫌だ。なんで生き恥を晒し、こんな嫌な思いをしなければならない。全て身代わりに捕まったあの男のせいだ。


「くそっ、あいつめ。絶対許さん。解放された暁には、脛に延々ローキックを浴びせてやる」


本人がその怨嗟を聞いたら「いや、俺頼んでないよね? こっちこそ知らないうちに既婚者になってて迷惑なんだけど」と反論しそうなものだが、生憎この場にはいない。


ミリャーナは「拷問受けてるらしいから、勘弁してあげて」と言うに留めた。


「まさに魔性だな。男でいれば女に追っかけまわされるし、女に化ければ男に人気だし」


元将軍なのに、ガードマンと化しているネナドが天幕に顔を覗かせる。


「いつでも替わってやる! お前が女装して夫人を名乗ればいいんだ!」

「俺が女装したって人が集まらんだろ」


自分の女装を思い浮かべ、元将軍は身震いした。


「ラド、嫌なら私が変わりに行く」

「お前にこんなことさせられるかっ!」


ラドががばりと顔を上げる。

でも、とミリャーナは言いよどむ。身代わりに捕まったのは、たぶん自分が余計なことを言ったせいだ。彼のおかげで、たった一人の肉親は今、自分の腕の中にいる。

自分も何かできないだろうか、と妹は思う。


「休憩は終わりだ」


ラドはふらりとその場から抜け出す。まだ仕事は終わってないし、夫人を待っている民衆が幕の外にいる。


「外、騒がしいな」


入り口の近くにいたネナドが呟く。歓声とも怒号ともつかない、混乱のような音が流れ込んできている。

外に出ると、思ったより注目されなかった。民衆たちは街の外から来たらしい男を取り囲んでいる。息を切らし、顔は汗が噴き出る。しかし夫人を目に留めると、大声で叫んだ。


「大変だ! 流水の街の奴らが、帝国人を襲ったらしいぞ」


         ‡   ‡   ‡


” 襲われたのは、流水の街に住む母と子です。買い物のため街を歩いていたところ、数人の白の国の若者に取り囲まれ、殴られたそうです ”


征服した城の漆喰の壁には、帝国の威信を示す巨大な地図が掛けられている。その一地点を指しながら、年配の官僚が報告書を読み上げる。


” 母親は頭部と背に深い傷を負いましたが、幸いにも命に別状はありません。しかし、幼い息子の方は……。目の前で母親が打ちのめされる様を見せつけられ、言葉を失っております ”


そんな非道なことが、と会議に並ぶ面々に言葉にならない動揺が走る。


” 信じられん……。今まではただ道を歩き、勝手に塩を焼き、我々の品を買わぬと駄駄をこねるだけだったではないか」

” ああ。不快ではあったが、少なくとも野蛮ではなかった ”


出席者たちがひそひそと話す声は、一つ上座に座る若き統治者、サリフの耳にも届く。腕組をしながら考える。確かにこうした知らせは今までなかった。しかし、通常の反政府運動とは暴力を伴うものだ。今までが行儀が良すぎたのだ。


” 目撃者の証言では、数人の若いならず者たちが通りすがりの者を狙ったと見られています。被害者は抵抗できず、近隣の者が駆けつけるまで放置されていたと。街の帝国人は震え、怒りと恐怖で支配されています ”

” 他の街はどうだ? 白壁の街(このまち)でも襲われるのか? ”

” どうする。もうすぐ聖なる月が始まるのだぞ ”


彼らの宗教にとって、この月は教祖の受難を追体験する重要な期間だ。日頃の恵みを神に感謝し、断食という共通の試練に挑んで富める者も貧しい者も連帯感が高まる。この事件は、その神聖な儀式を台無しにされかねない。


” ラドが居た時はこんなこと無かったのに…… ”


文官の一人がぼそりと呟く。指導者であるラドは、徹底して暴力の禁止を訴えた。

そのラドを名乗る者を捕らえているので、指示を出す者がいない。指導者が不在で(たが)が緩んでいるのかもしれない。


” まずは被害者を保護し、一刻も早く犯行の首謀者を捕らよ ”


反政府組織の指導者に期待しているとは。サリフは奥歯を噛み締めた。


         ‡   ‡   ‡


オグがその知らせを聞いたのは、牢の中だった。尋問官たちがどこか浮足立っていたので問い詰めたのだ。お前には関係ないと最初は突っぱねていた帝国人たちだったが、言葉巧みに聞き出している内に、事件の全容を知ることができた。


” お前が命じてるんじゃないだろうな ”


尋問官の一人が険しい目を向ける。


” 指示なんか出せないって。ここに囚えているあんたらが、一番知ってるんじゃないか? ”


オグは短く息を吐きだした。


” 言っとくけど、俺が命令できるんなら、そんなこと許さないから。ラドが運動を率いてた時、そんな暴力事件あったか? ”


尋問官たちは黙り込む。それが真実だと思い当たったらしい。


自分を監視している尋問官たちですらそういう発想が出てくる。まずい流れだ。この事件は帝国側の都合のいいように扱われる可能性がある。

今まで暴力を用いなかったことで、被害者面ができて、正義を名乗れた。しかし一度暴力が使われれば、相手に糾弾される口実を与えてしまう。少なくとも、この事件とラドが無関係であることを表明せねば、自分の命も、ラド夫人を名乗るラドも、自由の声の仲間たちも危ない。


” ハサンさん、あんた、妻と娘とこの国に来てるんだよな。ギュネイは今度、従妹とこの国で会うことになってるんだろ ”


ゆっくりと顔を上げ、看守たちの目を見据えた。


” あんたら帝国人が襲われるのは、俺としても本意じゃない。これを放っておけば、さらに大きな暴力に繋がる。今は事態の拡大を止めることが先だ ”


オグは頭を下げた。


” 協力してくれ。俺ならこの騒動を止めることができる ”

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