第三十九楽章 獄中婚
それから、数日が過ぎた。オグは地下にいて正確な時間がわからないが、苦痛な時間は非常に長く感じた。痛めつけられることもあったし、食事を抜かれることもまともな睡眠がとられないこともあった。思考が回らず、減らず口を叩けない状態で尋問を受けることもあったが、どうにか秘密を漏らさずに済んでいた。
そろそろ真実が明かされ、腹いせに痛めつけるなり、殺されるなりすると思っていたが、一向に正体がバレていないようだった。ラドたちは躊躇っているのだろうか。お優しいことだ。いっそのこと自分からバラすのも良いかもしれない、と終わりなく感じる拷問にそんなことまで思ってしまう。今更自分はラドではないと言ったところで、苦痛から逃れるための方便だと拷問官たちは信じないだろうが。
今、目の前に座っている尋問感は人の好さそうな笑みを浮かべている。しゃべる言葉も帝国語ではなく、白の国の言葉である。尋問の際、乱暴な尋問官と優しい尋問官と交互に話すことで、取り調べを受けている人間は優しいほうに心を許し、情報を漏らしてしまうというテクニックを聞いたことがあったので、オグは内心警戒をしていた。しかし彼は、こんなことを言い出した。
「有益な情報を吐いたら開放してやっても良い。妻に会いたいだろ」
「……?」
今、自分と縁のない単語があった。
「俺、独身だけど」
「ははは。お前が結婚を隠していたことは既に周知の事実だぞ」
「あのさ、ハサンさん。結婚って一人じゃできないんだよ」
女と付き合ったことがないとは言わないが、渡り人で収入も安定しないので、大抵遊び相手としてで、相手も真剣にならない。結婚なんか考えたこともなかった。
「それはそうだ。なんでも、とんでもない美人な嫁さんだそうじゃないか」
美人と耳にして、今自分がラドを名乗っていることを思い出す。
ラドが結婚していたということだろうか? しかしラドとは行動を共にしていたが、女性には美女もそうでもない女も平等に接し、女っ気はまるで無かった。
「身に覚えがないんだけど」
「あくまで白を切る気か?」
「俺が結婚してるってことは、妻がいるんだよね。俺ってどんな女と結婚したと、世間では思われてるの?」
尋問官は灰色の紙の束を差し出した。どうやら帝国の新聞のようだった。そのトップを飾っている美女を見て、オグは息を呑んだ。
「ラド! ミラ、シラ~♪」
「なんで急に歌いだした?」
突然歌い始めた被疑者に、尋問官は胡乱な眼差しを向ける。危なかった。思わず名前を呼んでしまったが、力技で胡麻化した。
と言うか、それどころではない。もう一度新聞を見る。
間違いない。ラドの妻を名乗る人物はラドだ。
……。
つまり、つまり、どういうことだ?
「お前の解放を必死で訴えてるそうだ。こんな健気で美人な嫁さんがいてうらやましいことだ」
「いやこいつ、気に入らないと容赦なく蹴ってくるし、喧嘩売りまくって危なっかしいし、プライド高くて世話が焼けるし、胸ないし」
というか、男じゃん、と口に出せないがオグは言いたい。
「やっぱりよく知ってるじゃないか」
「違う。こいつが妻なんて何かの間違いだ。俺は独身だ!」
「なるほど。あくまでこの女性が自分と無関係と言い張るわけだな」
「嘘じゃないって。 ” 俺は独身です! 未婚です、一人身です! " ねえ、聞いて」
オグは自分でも嘘つきだと思っているが、その罰があたったのかもしれない。こんなに真実を訴えているのに信じてもらえない。
「大丈夫、わかってるって」
敵であるはずの帝国の尋問官に生温かく見守られている。
「 ” 俺は不能です! ホモです! 宦官です! ” ちゃんと通じてる?」
オグは帝国語で必死にアピールするものの、妻を庇おうとしているのだと好意的に解釈され、相手にしてもらえない。
これは何かの作戦かもしれない、と気づいたのは散々恥ずかしい言葉を喚き、自分を貶めた後だった。
「つまり、指導者であるラドが囚われている状態で自由の声を統率するには、ラドの後継者であることをアピールしなければならないというわけです」
夜、一人になったところで、シラが現れ説明してくれた。オグはいつも以上にぐったりしていた。今日の拷問は大したことなく、身体の疲労はそれほどでもないはずだが、どんな拷問より精神にきている。
「後継ってことなら、妹のミリちゃんじゃダメだったの?」
「人前に出られる性格ですか?」
「じゃ、ネナド」
「元将軍ではインパクトが弱い。身内、それも妻ならば同情が買えます。あなたの解放という目的には適切かと」
「でもラド、独身だろ。自分と結婚って自己愛が過ぎないか?」
あれだけ美しければナルシストでも仕方ないかもしれないが。
「今はミリャーナを名乗ってるです。彼女は妹ではなく、秘密婚だったという筋書きです」
ややこしくて、頭がこんがらがりそうだ。
「俺がラドで、ラドがミリャーナで、ミリちゃんは? 男装してオグとでも名乗るのか?」
「暫くは表には出ず、研究に専念します」
冗談だったんすけど、口の中で呟く。
しかし、ラドは一体どうする気なのだろう。自ら既婚者を名乗って妻のポジションに付いて。ラドを名乗るオグが解放されたら? 夫婦生活でも始める気か?
あの美人が俺の妻か……。
いけないことを考えそうになって慌てて頭を振る。傷もあってガンガン痛む。
「今、活動の方はどうなってるの?」
「どこから話して良いのか。……あ」
シラが目を留めた先に、尋問官が置いていった新聞があった。
「ここにほぼ書いてあります。読みましたか?」
「あー、目が霞んで見えないや。なんて書いてあるの?」
シラは何でもかんでも妻にやらせる夫を見るような冷めた目を向けたが、相手が拷問を受けていることを思い出したらしい。
「……わかりました」
文句を飲み込み、なけなしの優しさで了承してくれた。
「白壁の街で開かれた反逆者たちの集会はかつてない規模となった。彼らは指導者ラドの解放を求め、牢のある施設へと行進した。
参加者たちの顔ぶれは以前と違って女の割合が少なくなっている。以前熱心に参加していた彼女らに何故参加を辞めたのか聞いたところ、
『結婚を黙ってたなんて最低』
『思ってたよりイケメンじゃなかった』
との声が聞こえた。代わりに男性の比率は上がっている」
なんてこった。女性ファンと言う、ラドに成りすます唯一の利点が失われてしまった。
同じように劇や見世物をする旅芸人の俳優が、結婚した途端見向きもされなくなったことがある。ファンの女性はどういう真理なのだろう。結婚しようとしまいと、俳優とどうこうなる可能性は薄いというのに。
「運動を率いるのはミリャーナという美女だ。彼女はラドと同じ苗字であることが確認できている。とある司祭が秘密婚を取り行ったと証言している。
名前は伏せるが、運動に熱心に参加していた青年にインタビューをすることができた。
『俺、元恋人が自由の声の運動に夢中で、それが原因で別れて以来、この運動を忌み嫌ってました。
ラドってムカつきますよね。あんなに女の子にキャーキャー言われてたくせに、絶世の美女と結婚してたなんて殺意が湧きます。でもミリャーナさんに夫を助けたいので力を貸してください、って言われて、手をぎゅっと握られたら、もうね、何でもしてあげたくなりました。
ところでラドが死んだら、ミリャーナさんは未亡人になるわけですよね。未亡人って良い響きですよね。
あ、俺が手を下さなくても、きっと帝国の方たちが手を下してくださることでしょうけど』」
「待って。俺、白の国の人たちにも死を願われているの?」
オグは力が入らない手で頭を抱えた。というか、ぶっちゃけすぎだ。こんなインタビューを載せるなんてどうかしてる。
「それにあいつ、女装するのあんなに嫌がってたのに。妻を名乗るなんてどういう心境?」
「今では握手会してるです。あの人、女を武器にすることもできたんですね」
シラは新聞から目を上げ、「ん? 女装?」と首を傾げた。
「てっきり知ってて身代わりになったと思ってたのに」
ぼそりと呟いた声は、思い悩むオグの耳には届いてないようだった。
「何なんだよ。もう筋書きが無茶苦茶じゃないか」
「本物から伝言です。『お前の筋書きなんか知るかッ!』」
「!?」
「『私は誰かに指図されるのが一番嫌いなんだ。私は私で好きにやらせてもらう』」
乾いた笑いが漏れる。そうだった。ラドは帝国にも親にも支配されるのが、命を懸けるほど大っ嫌いだったのだ。
「はー。人がせっかく犠牲になったってのに」
「親切の押し付けって、はっきり言って迷惑です」
「……」
痛いところを突かれ、反論も見当たらなかった。
「『お前が勝手に私を救ったように、私もお前を諦めない。お前に聞かせたい文句が腐るほどあるから、次ぎ会う時まで待っていろ』」
再会を願う言葉には物騒だが、なんだかくすぐったい。オグに腹を立てながらも、次に会う機会を作るため、手を尽くすつもりだろう。
自分を待っていてくれる人がいる。
今まで、そんなことはなかった。オグに家族はなく、帰る家はない。
でも今、この瞬間、家族というものの輪郭に触れた気がした。
目を閉じる。なんだか、胸の芯に薪が燃えているようだ。じんわりと暖かいものが全身を巡っていくような心地がしてくすぐったかった。




