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第三十七楽章 身代わり

オグは荷馬車の隅の方にある衣装箪笥を示す。それは以前この馬車の主であった夫婦のもので、妻の服が入ったままになっていた。


「なあ……前にやってた女装、できるか?」

「はあ!?」


ラドはぽかんとしたオグを見つめ、どうやら冗談でなく本気であることを知る。


「捕まる際、悪い評判が立つような格好ではいたくないのだが」

「お前ってほんとプライドだけでできてるよな。探してるのは若い男だろ。女に化ければ検問を逃れられるかもしれん」

「お前はどうするんだ、吟遊詩人(グスラール)。お前も面が割れているんだろ」

「面が割れているったって、報道の光板は主観が入っているものだし、面識があるやつもいない。トレードマークの一本弦がなければ、どうとでもごまかせるだろ」


夫婦が居住していたであろう幕で仕切ってあるスペースにラドを押し込め、「時間がない。さっさと着替えろ」と急かす。ラドはため息をついた。


「覗くなよ」


背を向け、上着に手をかける。


「そう言えば、なんで覗き見を警戒してんの? 着替える時に蛙になったり、ヘビの足が出たりするの?」

「そうではないが、普通に嫌だろ」

「そう? はいはい、覗かないって。心配ならここで喋っててやるよ」


オグの言葉はあまり信用できないが、こういう寓話で覗いたらろくなことがないと知っている彼は行動を起こす気はないようだった。


「俺、お前を初めて見たとき、あまりに綺麗で教会で見た聖女みたいだと思ったんだ。十代の女が軍を率いて国を救ったけど、最後は捕まって火刑になったっていう」


絵の少女は勇ましく、随分美しかった、と。だいぶ脚色され美化されているのかもしれないが、ラドを目にしたとき、こんな美しい人間が現実にいるのだと思ったと語るので、どう反応して良いかわからない。


「だから俺はお前を殉教者にするつもりだった」


荷馬車の中から一瞬音が消える。


「知ってるか? 昔、一番美しい羊を神に捧げたんだと。美しいものが失われるのは悲劇だ。誰もがその喪失を惜しむ。その意を継いで国を救おうと、士気を高め、人々が奮い立つ薪。お前は生贄にぴったりだと思ったんだ」


ラドは「そうか」と平坦な声で返す。


「せいぜい私の死を上手く利用しろよ」


答えは沈黙だった。代わりにがさごそと物音が聞こえた。


「俺さ、悲劇作家とか理解できないんだよね」


オグはまた、脈絡なく話題を変えた。


「神話とか史実は仕方ないけど、語っている内にどうも登場人物に感情移入しちゃうんだよな。そいつらをわざと不幸に陥れるなんて理解できない。そいつらには幸せでいてほしい。俺が筋書きを描くなら、めでたしめでたしで幕を引かなくっちゃ」

「……? どういう意味だ?」


返事は返ってこなかった。

着替え終えたラドが幕を開くが、馬車の中には誰もいない。

代わりに彼が大切にしている楽器と、香水瓶のようなものが置かれている。何故これが、と手に取り確認する。

ポケットにいれていたはずだが、無くなったことに全く気付かなかった。孤児で渡り人でもあるオグは綺麗ごとだけでは生きていけなかっただろう。まっとうでない、それこそスリのような技術も必要に迫られ、身につけざるを得なかったのかもしれない。

だが、香水瓶の魔術は魔法陣の回路が切り裂かれ無効化されていた。こんな芸当、専門家でもない彼にはできないはずだ。ミリャーナに教えられなければ。


嫌な予感がして幌を開く。


オグは待ち構える兵にまっすぐ近づいていた。まるで歓迎のハグでもするように両腕を広げて。


” やあ、帝国の諸君、ご苦労さま。俺がラドだ ”


せっかく待ち人が来たというのに、帝国兵はぽかんとしていた。


” お前が? ”


一人が手配書の絵と見比べている。


勝算があるのだろう。人が美しい、理想とする顔の黄金比と言うのは決まっていて、それに配置が近く、取り立てて特徴のない容姿のことを美形と評価する。

ラドの顔立ちは理想的だと人から言われるが、オグもやや垂れ目だが整った顔立ちをしている。つまり、二人の顔はある程度似ている。


おまけに二人とも金髪で、活動歴の浅い構成員には間違えられることもある。

手配書の下になっている光板は主観的なものなので、実物より美化している可能性も十分考えられる。


「違う、彼はラドじゃない。ラドは……」


幌馬車から転がるように降り、短い髪を隠したスカーフをとろうと手をかける。


「ミリちゃんを一人にする気か?」


オグの声は穏やかだった。鞭に打たれたようにラドの手がだらりと落ちる。


「お前……それは、それは、卑怯だぞ」


(かぞく)を亡くした喪失感。それをまた妹に味合わせることを、ラドは考えないようにしてきた。膝がかくんと折れ、その場に蹲る。

こいつも仲間か、と兵の一人が一歩近づく。


「おっと、そこのご令嬢は唆されてこんな所まで来てしまっただけで運動とは無関係だ。慈悲深く、私が捕まるのを惜しんでくれているようだが」


色男は辛いな、と髪を掻き上げる。


「彼女は高貴な身分で、偉大な父親がいる。丁重に扱うことをオススメする」


嘘は言っていない。ラドの父は偉大だった。ラドは打ち震え唇を噛み締めた。涙を堪えるその様が、オグの説明に説得力を持たせている。


「で、私の方は捕らえなくていいのか? 先に捕まった仲間に申し訳ないし、君等の苦労に報いたいのだが」


我に返った兵たちが群がり、オグに槍をつきつけ、乱暴に引き倒した。必要以上に髪を捕まれ、殴られても、無抵抗にされるがままだ。やめろ、とラドが顔を覆って呻く。呆然と眺めていたジカがオ、と名を呼びそうになって、慌てて口を抑える。


オグは引きずられるように立ち上がらされ、連行用の、出入り口を格子で覆われた馬車につき入れられた。錠がかかる音がした。


鞭がしなり、車輪が動き出す。そして、彼を乗せた馬車は見えなくなった。

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