第三十楽章 二度と戻らない
二人が新丘の町にたどり着いたのは、それから三日後、全てが終わった後のことだった。
「何があったんだ?」
町には重苦しい空気が立ち込めていた。窓は閉ざされ、人通りは少なく、その中を行く人々は俯いていた。山道を通ったので二人とも泥で汚れ、枝をかき分け進んで服も破れ、擦り傷もあったが、その自分たちの方が住人たちよりまだ活気があるように思えた。
「お前、もしかしてラドかい?」
通りを見回していたら、こめかみが白髪になっている年配の女に声をかけられた。
うなずくと、突然般若の形相になり、「あんたのせいでっ!」と襟首に掴みかかる。
「落ち着いて」
オグが横から握られた指を穏便に引き離し、刺激しないよう問いかける。
「今、町についたばかりなんだ。教えてくれ、一体どうしたんだ?」
「殺されたんだよッ! 皆が広場に集まっていたら、帝国兵が撃ったんだ」
何を言われたか、耳では聞いたはずなのに、頭で理解できない。ただ、深刻なことを言われたのだと、それだけはわかる。
「馬鹿な。お父様が伝えたはずだ。集会は中止だと」
「知らないよッ! あんたの親父は間に合わなかったんだ!」
全部お前のせいだ、と女は体中を震わせて叫ぶ。
彼女は悪夢のような光景を語る。無差別に飛び交う銃声。子どもの泣き声、甲高い女の悲鳴、男たちの怒号、老人のうめき声。人々は次々と倒れ、立つ者のいなくなった広場と、散り散りになった人影。嗚咽交じりに語った内容によれば、死傷者の中に彼女の夫がいたのだという。
赤切れた手が拳を作り、ラドの胸を叩いたが、二人とも防ごうとも避けようとも思い至らなかった。
「ご婦人、この度はお悔やみ申し上げる。彼らには俺から事情を説明しよう」
横から聞き覚えのある声があった。
ネナドだった。
生きていたのか、と再会を喜ぶ気分にはならなかった。
元軍人の彼は分厚い生身の方の手で手で震える女の肩にそっと触れる。彼女の拳から力が抜けると、その手に銀貨を握らせた。
「とっておきなさい」
「要らないよっ!」
投げつけようとする女に。
「葬儀は何かと入用だろう。故人への花代だ」
ネナドは優しく諭し、棒立ちになっている二人の背を押してその場を離れようとする。
振り返れば、女は銀貨を握りしめたまま、その場で泣き崩れていた。
‡ ‡ ‡
ネナドの後に続いて町を歩く。彼は盗賊から逃れ、二人が来る二日前に町に到着できたらしい。彼は町の人や先に現地入りしていた自由の声のメンバーから話を聞き、既に事情を把握していた。
集会を開く予定だった広場を横切った。死体は片づけられたが、鉄と焦げた匂いが鼻をつき、生々しい血痕が残っていた。
「死傷者は数十名。怪我人を含めると百名を超える」
淡々とした口調は、彼が理不尽な死に慣れていることを伺わせた。
その歩みは遺体が運び込まれた教会へと続く。
鉱山の町だけあって教会には石材がふんだんに使われていた。そうした石床の上に、遺体は横たえられていた。足の踏み場もない、というほどではないが、教会内を進むのには支障がある。全部で二十はあるだろうか。棺の数がとても足りず、多くは粗末な布に覆われている。
彼らの死から三日たち、残っているのは引き取り手がいなかったり、親せきが遠方にいたり、葬儀の手配がつかない遺体だった。幾つかの棺の前で遺族であろう人々が泣き疲れ、遺体の傍に真っ赤な目で座り込んでいた。
ラドが、先ほどから何度も聞こうとして、その勇気が出なかった問いをようやく口にする。
「……父、は?」
ネナドは無言で奥へと足を進める。祭壇の銀の聖杯は蝋燭の光を受けて鈍く輝き、壁に描かれた聖人の顔を淡く照らしている。ネナドは壁際で屈むと、そこにあった布の塊をそっと摘まむ。
そこには、変わり果てた父の顔があった。
仲間たちがせいいっぱい手を尽くしてくれたのであろう。遺体は清められ、衣服を整えられ、まるで眠っているようだった。ただ、眠るようだと表現するには、些か肌から血の気が引きすぎて、眼球は落ちくぼんでいた。三日経つのに腐敗の匂いはしていない。恐らく、ネナドが氷属性の魔法をかけてくれたのだろう。
胸の前で組まれた手のひらには穴が開いていた。近くには恐らくミリャーナの作であろう、真鍮のラッパのような形状の魔法具があったが、形はひしゃげ、虐殺の痕跡を伝えていた。
ラドは膝を折る。触れようと手を伸ばし、肌のあまりの冷たさに驚いて引っ込めた。
確かな死の体温を感じ、遺体を眼前に突き付けられても、二度と瞼を開けることがないなんてどうしても信じられなかった。父はすぐに目を覚ますのではないか。或いは家に帰ったら父が居て、書斎で書き物をしているのではないか。食事の時間になると正面の席に座るのではないか。
教会の窓から差す陽射しの角度が変わっても随分長いことその場に佇んでいた。
あまりの痛々しさに見かねたネナドが、ラドの腕を引いて宿屋につれていく。
いつのまにか吟遊詩人は姿を消していた。




