第二楽章 大法螺吹きの吟遊詩人
世間に疎いオグでもわかる。地図の下側……南にある大きな国に視線を落とす。ここ百年で急速に勢力を伸ばす新興の国。
「帝国、かな」
正解、とイストバンネは頷いた。
「知っての通り、干渉国であった白の国が陥落し、さらなる領土獲得と新興宗教『預言者教』の拡大を目論む帝国と我が国との対立が鮮明になっていますわ。
現皇帝は領土拡大の野心を隠そうともしません。いずれ衝突することになるでしょう」
感情を揺らすことなく事実を冷静に分析し、静かに未来を告げる。彼女こそが予言者のようだった。
「わたくしは毎夜、眠る前に今日得た情報を振り返ります。砦に配置された人員、弾の備蓄数、小麦の価格、ありとあらゆる全てを。そして、目を閉じて夢うつつに帝国相手に戦う算段を致します。今まで毎夜、何十、何百回も帝国相手に戦いましたわ。でもね」
膝に置かれた白い手に折れそうな健が浮く。
「でもね、勝てませんの」
俯いたせいで表情は読み取れないが、声はひどく弱弱しかった。
「なるほど、初戦は勝利で飾れるやもしれませんわ。数か月は華々しく暴れ回れるやもしれません。しかしその後は? 我が国は平原でだだっ広い。戦線は広がり、だと言うのに物資の運搬の殆どは陸路。魔弾の原材料である魔鉱石は九割輸入に頼っています。
一方、帝国は海洋国家。主要な街道を押さえ、巨万の富を持ち、現在戦争の主力である魔弾の材料の入手ルートを確保しています。加えて、相手は幾つも海に面した港を持ってます。一時的に戦争で勝利を収めても、魔弾の入手が滞れば、長期的には敗北するでしょう。いずれ物量で押し切られますわ」
英雄的な活躍、勇敢な少数が掴む奇跡的な勝利は、大衆に好まれる物語だ。しかしオグは、そうした物語は過去のものになりつつあると気づいていた。
かつて、戦場の要は一握りの魔法使いだった。呪文で辺りを火の海にし、落雷を降らせる。しかし魔法使いは長い長い詠唱の末、声の届く範囲、目で見える範囲でしか術の行使ができないという特性がある。だから戦術は、戦場で如何に魔法使いを呪文を唱え終える前に始末するかに主眼が置かれ、騎士の活躍があった。
ところが、魔弾が発明された。
魔弾の前身の銃という武器は、殺傷力は高いが、魔法使いとは頗る相性が悪い。火薬を用いて鉛弾を高速で飛ばすという仕組みなのだが、魔法使いはその火薬をトリガーを引く人間の手元で爆発させることができるのだ。
しかし魔弾は、魔力を発射の原動力としているので、魔法使いによる干渉を受けにくい。これにより、呪文を唱える魔法使いを、遠くから狙撃することが可能になった。白兵戦では活躍する騎士も、射撃されれば成す術がない。加えて、引き金を引く人間の魔力を自動的に変換するので、剣術や槍術に比べ、短期間で使えるようになってしまう。個人差はあるが、余程の魔力不保持者でない限り、何発も撃てる。
戦いは、英雄の個人競技から陣形を組んで一斉射撃を行う集団競技へ。そしてより大きく、経済力がある方が勝利する。原材料である魔鉱石と、生産のノウハウと、魔力を込められる職人を集められるだけの金を持ち、魔弾を大量に揃えた方が有利なのだ。
帝国はその中でも、新しい兵器をいち早く取り入れた国家だ。
「持ってあと五年で我が国は地図から消えます。皇帝が進軍を命じればすぐにでも。……数か月というところでしょうね。我が国が存続しているのは皇帝の気まぐれですの」
刑場でも背筋を伸ばし、血なまぐさいセリフで武装する淑女が小さく体を縮め、今にも泣きだしそうに俯いている。
咄嗟に二の句が継げない。地図では、この国は帝国の領土に比べてやや小さい程度。魔法が付与された武器で戦う兵は勇敢で、聖国にいる教皇も、西側諸国で盛んな救世主教の擁護者として位置付けている。
職業上、国の興亡の物語には幾つも触れてきたがが、この国は盤石で、いつまでも続くと思っていた。
その国家元首が、悲観的な予測をしているとは思いもしなかったのだ。
「わたくし、思いましたの。どうやっても勝てないのなら」
俯いていた王姉は吹っ切れたように顔を上げる。
「戦わなければいいじゃない、と」
「……は?」
一呼吸置いて、間の抜けたような声しか返せなかった。
「何があっても戦わない。敵からの挑発には乗らない。教皇からせっつかれても相手にしない。血に酔った愚か者は先んじて消しておく。情報操作をして士気を削る。敵の名目を奪い、戦う意義を失くす。
臆病者だと罵られても、だから女はダメなのだと侮られても、売国奴と歴史に刻まれても、いざとなったこの首を捧げても構わない。我が国の尊厳を失わない程度に、持てる限りの全てを使って、徹底的に争わない」
後ろ向きな発言だというのに、まるで戦場の陣幕で提案される策ように、吐き出される言葉一つ一つ揺るがぬ意志が込もっている。
「それで、俺に興味をもったのか」
オグはようやく腑に落ちた。
「舌で国を亡ぼすと言った俺なら、帝国に武力以外の方法で対抗できると考えたわけだ」
とは言え、笑顔を作ろうとした唇は歪んでいる。あれは自分の舌を惜しむ心と、危機的な状況への反発からついつい魔が差した大口だ。この王姉殿下は自分の手先となり、史上最強の帝国に干渉しろと言うとんでもないことを言っている。どこの工作員だ。一介の吟遊詩人には荷が重すぎる。
「正直、あまり期待してませんわ。あの三流の領主に捕まってしまうくらいですものね。
あの領主にしたようなお口の上手さで敵のお財布に損害を与えてくれれば、それでこの国の命運を一日でも伸ばしていただけるなら、十分ですわ」
ばっさりぶった切られた。
自分の大口が評価されず悔しいような、でもどこかほっとしたような複雑な思いを息を吐いてやり過ごす。
「とは言え、一人だと心細いですわね。レヘル」
「は」
国王に忠実な騎士が、見るからに重そうな革張りの長椅子を片手でひょいと持ち上げた。
途端に、何かが転がり出てきた。そのままころころ転がっていき、壁際ですくっと立ち上がる。それはお仕着せを着た、濃い灰色の髪の少女だった。
「彼女はシラ。暗くて狭いところが大好きですの」
「この子、ダンゴムシかなにか?」
というかこいつ、いつから部屋にいたんだ。オグはすぐさま柱の陰に隠れた子どもを胡乱気に眺める。
「シラ、ご挨拶なさい」
相手が年下であるせいか、オグには胴体を切り離すと宣言してきた王姉殿下の物言いが言い聞かせるように優しい。
「シラです。王国の間諜をしてます。趣味はダーツ」
観念したように少女が姿を現す。年は十四くらいだろうか。色白にアンバーの目がぱっちりした、見目のよい子どもだった。髪に埃がついていなければ、だが。
「この子、姿を消す固有魔法も使えますのよ。凄いでしょう?
この細腕ではお首をちょんぎることはできませんけど、毒の扱いにも長け、心臓に向かって投げたら百発百中ですのよ。国に害をなす場合は、特別に腕前を披露してくれますわ。普段は他国の王宮に潜んで情報収集してくれますけれど、これからシラにはあなたを見守っていただくよう、命じますわ。シラ、よろしくって?」
シラと呼ばれた少女は不服そうだったが、雇い主の命令には逆らえないらしい。オグをアンバーの瞳で睨みつける。
「雑踏から、物陰から、ベットの下から、あんたを監視するです。任務を途中で放り出したり、帝国へ通じようとしたりした場合は、おはようからお休みまで、あんたの命を付け狙います。姿が見えないからと言って、ゆめゆめ油断しないでください」
握手する気に、まるでなれない。よろしくしたくない。どうせ女の子にストーキングされるなら、他のものを狙ってほしかった。
しかも監視者としてなかなか厄介だ。姿が見えないからといって、近くにいないとは限らない。物陰から、または魔法を使って、オグを監視しているかもしれない。いつ監視されているか確かめる術がないから、結果的に四六時中警戒する羽目になる。
「うっかり口を滑らせそうになっても大丈夫。永久に口を塞いでくれますの」
安心ね、イストバンネは顎の下で指を組み、可愛らしく小首を傾げる。
はいはい、監視役ということですね、とオグは唇をへの字に曲げた。
そもそも初対面の、どこの者かもわからない人間を国の命運を左右しかねない立場に置くというのが非常識だ。信用できないのは当たり前であるが、こっちが承知してないというのに勝手にそんな立場に追いやり、なのに監視され、面白くないのは確かだ。
そんな心中を見透かすように、王姉殿下は慈悲深いお言葉をおかけくださった。
「あら、残念ですの?
気に入らないと言うのならいつでも仰って。あの領主の借金奴隷に戻して差し上げるわ。確か彼、特殊な性癖の嗜みもあったんでしたっけ」
「誠心誠意、勤めを果たさせていただきます」
オグはありがたく拝命することにした。というかあの領主、舌封印で済ませたのはそれが目的だったのか、と改めて背筋が凍る思いだ。
「ところで、せっかくだから伺っておきたいのだけれど。
国を落とすことができると言うからには、さぞかし特別な力があるのでしょうね。
もしかして、魔法を使えますの?」
オグは胸を反らし、自信たっぷりに答えた。
「使えるとも。実は俺、高貴な血が流れてるんだ」
言いながら指で金の髪をすく。黄金に輝く髪は高貴さの象徴である。権力者はだいたい金髪で美人の嫁をもらうので、その子孫もそうであることが多い。
「まあ素敵。どんな魔法をお使いになるの?」
「えっと」
街角では酒場ではそんな馬鹿な、と嘲笑される。魔法を使うのは貴族や聖職者など、一握りの人間だけだからだ。ところが、イストバンネは期待に満ちた表情で突っ込んできた。
「俺は言葉の魔術師だ。言葉を巧みに操り、聴衆の心を動かすことができる」
「まあ! この任務にピッタリね」
感嘆し、瞳を輝かせるものの。
「でもそれならどうして、あなたは捕まって刑を受けそうになったのかしら。その力が他人を洗脳するものなら、衛兵を操って逃げることもできたはずよね」
自称天才軍師様がオグの言葉を全面的に信じるはずもない。
「俺の魔法は、そんなに便利なものじゃない。そんなことができるんなら、俺は場末の吟遊詩人ではなく王様になっているとは思わない?」
「わたくしの弟の代わりに? 笑えない冗談ね」
「ご気分を害したら申し訳ない。どうも師匠からもらった楽器がないと、上手く魔法が使えないみたいだ」
謝る振りをしながら、今は道具がないからあの領主にも、勿論あなたにも術をかけているわけではないよ、と布石を打っておく。
「言葉とは、相手に自分の思いを伝えるための手段の一つ。使い方次第で、相手を元気づけることも、傷つけることもできる。言葉の魔術師は鞴と同じだ。人の心に風を送るが、それで火が燃えるかどうかはその人自身による」
調子にのって関係ないこともペラペラしゃべってしまった。
「思ったよりささやかな力ですわね。それって証明が難しそうね」
実際に使ったとしてもそれが魔法なのか見分けることができない。王姉は残念そうに眉尻を下げる。
「そうだね。でも、俺の言葉を聞いてくれたから、あなたはあなたの自由意思で、俺を拾う気になったんでしょ?」
自分がオグの言葉を聞き、オグの身を守った以上、反論はできないはずだ。
イストバンネは笑顔のまま呟いた。
「うそつき」
「?!」
「わたくしも特別に教えて差し上げますわ。わたくし、精霊を見ることができますの」
オグは彼女の瞳を覗き込む。その時初めて、その瞳が緑の縁からから橙の瞳孔へ変じる、輝く虹のような美しい虹彩を描いていることに気づいた。
「わたくし、幼い頃にシルフに会ったことがございます。
物語を語るあなたなら知っての通り、力の強い精霊は人型をとることができますの。
泉で出会った不思議な方、その時は美しい人だとしか思わずに、アーモンドクッキーを分けてあげたのです。彼の方はお礼をすると仰って、何かしてみたいことはあるかと聞かれましたわ。わたくし、精霊が見てみたいと言いました。その時はおとぎ話に憧れる、普通の少女だったのです。自分は魔法を使えないけれど、精霊を見ることができたら、どんなに素敵だろうと思ったのですわ」
素敵な思い出を語っていた瑞々しい唇が、長く、疲労感の滲む息を吐く。背中を丸めた様は一気に年をとって見えた。
「何も素敵なことはありませんでした。魔法使いは嘘をつけないって、聞いたことある?
そんなことはないけれど、ある意味真実ですわ。大気を漂う精霊に呼びかけ、超常的な力を行使する言葉を呪文と呼びます。嘘を紡ぐ唇から唱えられた呪文は、大きく力を削がれますの。だから偉大なる魔法使いたちは正直者が、精霊に好かれる者が多い。
わたくしが宮殿に戻ってわかったのは、わたくしの周りの大人は嘘つきばかりということ。権力に群がり、肉親すら、私たち姉弟を利用しようと言葉巧みに近づいてきました。父の死後、長兄は殺され、弟は幽閉され、わたくしはどうにか政敵の手から逃れたものの、生き残るために軍を指揮しなければならなくなった。
わたくしはわたくしの心身を、生き残った家族を、父が遺したこの国を、何者にも脅かされないため、そうした相手を利用し、欺き、裏切り、すっかり嘘が上手くなりました。
後悔はありません。そうでなければ生き残れなかった。それでも自分が一歩踏み出すたびに、精霊が逃げていくのを見ると、愉快な気持ちではありませんわ」
イストバンネは片腕を嫋やかに天に差し出し、劇の一節のように鈴の鳴る声で歌う。
「かくして、シルフに気に入られ、恩恵を受けしかつての無垢な乙女は消え、偽りだらけの政治家のできあがり」
授けられたという美しい瞳孔が細まる。この話がどこに向かうか見えて、蛇に睨まれた蛙のように動けない。
「あなたの発言は嘘ばっかり。裁判を傍聴いたしましたけど、金に困っていたという動機も嘘、賭場で溶かしたというお金の使い道も嘘、素性も嘘、あなたの魔法も、そもそも魔法が使えるということ自体が嘘。普通はこれだけ嘘つきなら精霊は逃げていくものですが、どうもあなたのこと嫌いになりきれないみたい。
でもわたくしは、あなたのことがすっかり嫌いよ」
よくもこの国の最高権力者を謀ろうとしてくれましたわね。刺々しい非難は、獲物を甚振る猫のようにねっとりとしている。大柄な兵が剣の柄に手を伸ばす。額から滝の汗が流れていく。
王姉は常に浮かべていた笑みを消し、真顔で正面を見据えた。
「けれど、あなたが刑が執行される直前に放ったあの言葉は」
――この舌があれば、国を亡ぼせるのに
「あの言葉だけは、真実だった」
虹彩を描く魔眼にオグが映っている。
家もない、金もない、由緒もない、魔法も使えない、偽りの舌だけを持つ男が。
「わたしくしは真言を見抜ける。けれど、あなたに本当にそんな力があるのか、そう思い込んでるだけの自意識過剰な自惚れ屋か、わたくしにはわからない。もしかしたら、神にすらわからないかもしれない。
だからあなたに賭けることにしたんですのよ、吟遊詩人さん」




