第二十八楽章 虫の知らせなんかない
盗賊たちが獲物を追って道を駆けている間、オグとラドは森へ分け入っていた。
ネナドとは土砂崩れの際にはぐれてしまった。合流できたら良いが、盗賊と合流してしまっては元も子もない。元軍人である彼なら一人で大丈夫だろう。むしろ足手まといの二人のお守りをしなくて済むので動きやすいかもしれない。
他人の心配するより、まずは魔術も武器もない自分たちの身を守らなければならない。
盗賊たちは、いずれ二人が道の先にいないことに気づくだろう。何しろ靴跡が途中から消えているのだ。一刻も早くこの場を離れなければならない。旅慣れているオグは荒い息を整えつつ、できるだけ草の生い茂った場所を選んで歩く。これでも痕跡が残るが、泥濘に靴跡を残すよりはマシだ。オグは出発した礫の街に戻るつもりで北寄りの進路をとっていたが、ラドはオグを追い越すと確かな足取りで、南へと舵を取り始めた。
「おい、どうするつもりだ」
押し殺した声でオグが問う。
「この先に伐採した木を運ぶ道があるらしい。新丘の町にも続いているそうだ。村人から聞いた」
「そんなこと言ってる場合かよ」
まだ新丘の町に行くつもりかと、苛立ちが声に漏れる。いつも飄々とした彼も殺されかけたばかりでさすがに気が立っているようだ。
「盗賊も帝国も土地勘がないのではないか? ならば知られている可能性は低い」
「そうじゃない可能性もあるだろ」
「……どういうことだ?」
ラドの言葉が途切れる。
オグは渋々口を開いた。
「今回は町の有力者からの招待だったよな? 帝国の連中はあの場所にイリヤたちを配置していた」
新丘の町に裏切り者がいるかもしれないと、オグは言っているのだ。
「だが、道に沿って退却しても、奴らに追いつかれる可能性が高い。それなら少しでも進もう」
可能性はなくはない。しかし、ラドを待つ民衆の多くは無関係なのだ。それなら彼らをがっかりさせたくない。このまま留まっていたら追いつかれる可能性が高い。待ち伏せされていたとしたら、その時はその時だ。
湿った落ち葉は二人の歩みを隠す。泥と葉の匂いが鼻を満たし、時折聞こえる鳥の声は緊張を与えるだけだった。
オグは時折立ち止まっては後方に耳を澄ませていたが、追手は遠いようだ。
ラドは懐の地図を取り出し、太陽を見ながら方角を合わせる。
しかし自然が作った道は、地図のように単純には行かない。
枝が生い茂っていたので平地だと判断し、ラドは何の気なしに足を踏み出す。
「あっ」
しかしそこは凹凸があり、足を踏み外してしまった。そのまま湿った斜面をずるずると滑り落ちていく。
「ばか、気をつけろ!」
幸いなことに、ラドはそれほど長い距離を滑落せずに止まることができた。オグは重心を低くし、手近の枝や背の高い草を掴み、慎重に足場を選びながら、ゆっくり坂を降りていく。
「大丈夫か?」
「っ」
ラドは立ち上がろうとして、顔をしかめその場に蹲る。
「……少し、捻ったみたいだ」
オグは膝をつき、靴を脱がせて足首を確かめる。腫れはないが、無理に進めば悪化しかねない。
いつ追手がくるとも限らない。体を拭くために持ち歩いていた布で手早く患部を固定し終えると、しゃがんで背を向ける。
「すまん」
小声で謝罪するラドをおぶると、オグはそのまま道なき道を歩き始めた。
「お前が女なら、羽のように軽いから気にしないで、って言ってやるけど。言ってやらないから。あー、重いなー。バイソンのように重いなー」
「そこまでじゃないだろ」
ラドはむっとした。成人男性よりは軽いはずだ。しかし普段楽器くらいしか持たないオグに力があるわけではないので、長時間は担げないだろうと予想できる。
肩にかかる重み、棒のような足、神経を張り詰めている疲労で、オグの息は切れてくる。
「お前って、文句を言う割には面倒見が良いな。気も長いし」
ネナドに比べると厚みはないが、自分よりは肩幅の広い、熱く大きな背に呟く。
文句を言いつつも見捨てないし、先ほども失敗して落ち込むラドを気遣って軽口を叩いたのだろう。
「何? 俺の魅力に気づいちゃった? 照れるなー」
「やっぱり無駄口が多いのが難点だな」
濡れた赤茶けた地面は滑りやすく、足を取られる。旅慣れている彼は脂汗を浮かべながらも進むが、盗賊たちから距離をとらなければならないというのに、あまり距離が稼げない。
「これじゃ、間に合わないな」
切り株に腰かけての何度目かの休憩で、ラドが呟く。陽は既に西に傾き、肌寒くなっていた。
夜の森は危険だ。日が落ちたら進めない。
明後日、町で集会を開く予定だった。今どの辺にいるのかすらわからない。道も定かでなく、負傷し、追っ手を避けながらの移動となると、期日に間に合わないだろう。
「町の住民に申し訳ない。期待して集まってくれるだろうに」
「これ、言っていいのかわからないけど……」
さすがのオグも喋るのがしんどくなっているようだ。それでも、これだけは伝えておかねばと言葉を絞り出す。
「中止にした方が良いんじゃないか? 俺らが殺されそうになるくらいだから、集まっている奴らも危ない気がする」
今回、帝国は一線を越えてきた。他の者を介してだが、命を奪おうとした。武器を持たぬ無力な市民たちの動きを危険視し、潰そうとしている。
「……そうかもしれないな」
ラドは手元の指輪に触れた。銀の装飾が施され、石座にはガラス質の鉱石がついている。
「父が近くに行っているはずだ」
石が割れたことでできた破片を兄弟石というが、純度の高い魔鉱石の兄弟石は、互いに持ち手の意思を疎通する力がある。この兄弟石を使った魔法は古くからあり、装飾品として持つことで、より強い精神感応ができるのだという。
ラドは石を額にあて、目を閉じて集中した。
「お父様、お父様、聞こえていますか?」
やがて父親から反応があり、ラドは簡単に事情を説明した。
別行動だった父は他のルートから新丘の町の目と鼻の先に来ているようだ。
町民に集会の中止を伝えることを承諾させ、ラドはようやく肩を撫でおろした。
「心配させてしまったようだ」
何度も「無事です」「大丈夫ですから」と伝える羽目になった。盗賊に襲われたと言えば、どんなに楽天家の親でもそうなるだろう。案ずる家族をうっとうしく思いつつ、ありがたく思う。
親子の何気ない会話だった。そこには何の予感もなかった。
陽はまた昇るし、今日の延長線上の明日は続いていく。二人は当たり前のようにそう思っていた。それがいかに脆く、呆気ないものだと思いもせずに。




