表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/57

第二十七楽章 渡り人の職業

ラドとネナドを木陰へ押しやり、彼らが息を潜めるのを見届けると、オグは泥で服を汚し、できるだけ見すぼらしく見えるようにして、一人でぬかるんだ道を歩き始める。貧しい吟遊詩人なら追剥する意味がないはず。あの合図は渡り人のもの。ならば、この先で待ち受けているのも同胞だろう。同じ渡り人同士なら見逃してもらえるかもしれない。


目は常に木立の隙間を探り、耳は枝の擦れ合う音、遠い馬のいななき、石を踏む小さな音が聞こえないか警戒する。

楽器を入れた袋を担ぎなおし、肋骨を守るように胸元へ引き寄せる。もしもの時には急所を守る盾となるだろう。

やがて木々が拓けた場所に出た。枝から雫が落ち、木立の影から男たちが静かに現れた。

背筋がぞくりとしたが、その中の一人の顔を見て笑みを浮かべ、すっと手を挙げる。


「イリヤ!」


親し気に呼ばれた名に男たちの足が止まった。


「知り合いか?」


帯刀した男たちが黒い髭面の男に視線を集中させる。いくつかの表情が、荒事を前にした獰猛さから戸惑いへと変わる。見ず知らずの他人なら恥をさらせるが、それが知り合いとなるとそうもいかないものだ。物を盗むにも、殺すにも躊躇う程度の羞恥心は、彼にも残っているらしい。


「ほら、川のほとりの酒場でおごったろ」

「ああっ、あの時の吟遊詩人か」


イリヤは表情を一変させる。元々、どこに行っても鼻つまみ者の渡り人同士の繋がりは強いが、オグは物語の戦いの場面の参考にしようと同朋と会ったら酒を奢って参加した戦いの様子や、自身の武勇伝を何人かにねだっていた。彼はそうしたうちの一人だ。


手は鞘にかかっているが、すぐには抜くつもりはないようだ。

オグは「そうだ!」と明るい声を上げ、荷物から革袋を取り出す。蓋を開けると、酒精が香った。


「ワインあるけど、再会を祝して、どう? 勿論、お仲間も」


取っておいた秘蔵のものであるが、背に腹は変えられない。笑みを浮かべ、帯刀した男たちへ杯を差し出して回る。藪にも隠れていた全部で六人ほどの仲間は受け取ると一気に煽る者もいれば、ちびちびと飲む者もいた。盗賊たちの武器から意識が薄れ、空気が弛緩する。

これで殺されることはないだろうとオグは確信し、内心ほっと息を吐く。


「それにしてもイリヤ、お前の縄張りはもっと北の方だったろ。どうしてこんな所に?」


何気ない雑談のつもりで水を向ける。イリヤは口元を拭いながら、いかつい顔を顰めた。


「帝国の連中だよ。あいつらに捕まったのさ」

「ええっ! 大丈夫だったのか!?」


同情を装うつもりだったが、半分以上素で大げさなリアクションになってしまった。


「俺も一貫の終わりと思ったんだが、連中がここで待ち伏せをして、金髪の美少年を殺せば見逃してやると言われたのさ」


ちらりとオグを見て、「そういやお前も金髪だな」と付け加える。


「俺って美少年? 照れるな」


髪をかき上げ、にやりと笑う。だが心の中は冷や汗が浮かんでいた。こいつら、ラドを狙っている。


「自惚れんな。絶対お前じゃない」

「えー、ひどっ。結構イケメンだと思うけどなー」


軽口に笑いが起こる。


「言っとくけど、俺、帝国に命を狙われるようなことはした覚えがないからな。今、商団を手伝って新丘の町に向かってるところだ。道の途中で荷車が泥濘に嵌って、仲間たちが押してる。俺は飲み水を探しに来たんだ」


もちろんそんな事実はないので、全くの口から出まかせである。


「へえ。積み荷は」

「ワインさ。さっき皆に配ったやつ」


嘘だが、真に受けた男たちは色めき立つ。


「それはいい。こっちまでおびき寄せたら分け前やるぞ?」

「えー、どうしよっかな」


迷うそぶりを見せ、上目でそっと伺った。


「金払いは悪いが、人の良い奴らなんだ。命は奪わないでやってくれる?」

「仕方ないな」


イリヤがうなずいたので、交渉成立だと握手を交わす。


「じゃ、車輪が動くまで時間かかると思うから、そこでのんびり待ってくれ」


盗賊たちの話に乗るフリをして、彼らの視線が背中を刺してくるのを感じながら、平静を装って元来た道を引き返す。

暫く道を行き、木々の陰に隠れ、十分に距離をとったところで駆け出した。


――まずい、まずい、まずい


小枝が頬をかすめ、雨上がりの泥が飛び散る。

心臓が喉までせり上がる。

帝国はここでラドを葬り去るつもりだ。自分の手を汚さず、わざわざ犯罪者を使おうとしている。

ラドが新丘の町に行くということは、別に秘密にしていないので広く知れ渡っている。しかし、帝国は自分たちがこの道を通ることを見越して盗賊たちを配置していた。もしかしたら、新丘の町の有力者からの招待自体が罠だったかもしれない。


二人と別れた辺りに到達すると、僅かに歩調を緩め、木立の向こうに二人の姿を探す。


「逃げんぞ!」


息を切らしつつ、低く、盗賊たちには聞こえない程度の鋭い警告を発す。


「何があった?」


茂みから二人が顔を覗かせる。


「盗賊が待ち伏せてる。帝国の息がかかっている。ラドを殺すつもりだ」


簡潔に状況説明に、敵の狙いを悟った元軍人から血の気が引く。

ラドがずっと運動を指揮できればそれに越したことはないのだが、もし衆人の前で逮捕されれば民衆は怒り、奮起するだろう。帝国兵に命を奪われれば悲劇だが、まだ士気の高揚に役に立つだろう。

ラドの命は有限だ。こんな山道で、人知れずに、ならず者たちに浪費されるわけにはいかない。しかし当の本人は乗り気でなかった。


「町で人々が待っているんだ」

「諦めろ。待ち伏せしている奴の一人は知り合いだった。さっぱりして、酒が入ると陽気な奴だが」


オグは首を振った。


「人殺しなんだ」


一度でも人を殺した者は、殺しが選択肢に入る。殺しに対するハードルも下がる。説得も交渉も諦めた方が良い。

ここに至り、ラドもようやく退却を決断し、無言で来た道を駆け始めた。

その時、耳が馬の蹄の音を捉えた。

振り返ると、木々の向こうから一団が迫ってきていた。馬に乗っている者もいれば、その後ろで剣を抜いている者、駆けながら弓を引き絞る者。全員先ほど顔を合わせた連中だ。


「悪いな。帝国から頼まれたリストに、義手の男や吟遊詩人ってのも入ってるんだ」


泳がされたのだと、唇を噛む。


「同じ渡り人の誼で逃がしてくれよォ!」


全速力で逃げながらオグは背中越しに叫ぶ。


「こっちも縛り首がかかってんだッ」

「酒飲ませてやったじゃん!」

「はッ。あれっぽっちじゃ、命の値段にならないな」


言い合いの最中にも距離が縮まっていく。


「ラドを殺したら、次はお前らの番だぞ! 帝国に口封じされるんだ!」


オグの鋭い指摘に、追手の歩調が僅かに緩まる。


「その時は、せいぜいお前らの首を高く売りつけてやるさ」


しかし相手は死線をしぶとく潜り抜けてきた盗賊たちだ。イリヤは強がり、動揺は僅かだった。


「待て、何か……聞こえないか」


盗賊の一人が注意を促し、彼らは口を噤んだ。その耳に、ぼそぼそとつぶやく声が届く。


「……の如き水よ、山を轟かせ」


オグが喚いて誤魔化している間に、ネナドは呪文の詠唱をしていたのだ。


「魔術師がいるぞ!」


ネナドは突如足をとめたかと思うと、地面に左の掌をつけた。その脇を、オグとラドが駆け抜ける。


「湿潤を司る女神モコシよ、敵の行く手を塞ぎたまえ!」


声に答えるように、遠雷のように地響きが鳴る。

危機を察知した馬が、鞭打つ乗り手に反して真っ先に足を止め、つんのめる。


立っていられぬ程の地鳴りが鼓膜を震わす。道の横手にある斜面から最初に濁った水が流れ、やがて木々をなぎ倒し、土砂が流れてきた。


わあ、と悲鳴のような声を上げ、盗賊たちは体を翻し、必死で距離をとる。


一人が逃げる際に土砂に足を取られかけたが、這ってでも進んだことで、どうにか逃げおおせた。


暫くして、転がっていく小石の音も止み、森は元の静けさを取り戻した。

元来た道へと逃げていた盗賊たちだったが、ようやく我に返り、おっかなびっくり先ほど土砂か崩れてきた場所の様子を見に行く。


森の道は姿を変えていた。それほど大規模なものではなかったが、それでも元の道は塞がれ、大きな土の壁ができている。これ以上の滑落を警戒しつつも、服や靴が汚れるのも、足をとられるのもかまわず、盗賊たちは泥の山をよじ登る。

しかしそこにはもう、人影はなかった。


「追うぞ! まだ近くにいるはずだ!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ