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第二十六楽章 鉱山の街へ

厚手の天幕と繊細な絨毯に囲まれた宮殿の一室は、昼下がりの光が彩っているにもかかわらず、張りつめた空気に満ちていた。部屋の隅ではできるだけ静かに書記が羊皮紙を整え、侍従が香炉の灰を払っている。

皇弟は文机の上の帳簿を荒々しく閉じた。


「……塩税が、半減だと?」


金糸の袖口から覗く手が、苛立ちのあまり震えている。


「他の税も遅延、ないしは回収出来ずにいるようです」


報告書を持つ官僚が身をすくめた。


「税だけではありません。香辛料、穀物、生糸といった輸出品の売り上げが下がっていると、本国の組合長たちから陳情が来ております」

「白の国だけでなく、近隣の国、特に救世主教を報じる国が影響を受けているようです」

「市場では『帝国の品を買えば帝国に魂を売ることになる』と吹き込まれているようでして……」

「吹き込んでいるのはあのラドとかいう学生か?」


サリフが文机を叩いたので、香炉の灰が舞い上がった。部下たちは一斉に沈黙した。

厚い絨毯の上で、皇弟の靴音だけが響く。


「捕らえろと命じたはずだ。なぜまだこの宮殿に届かぬ?」

「は……民衆の人気が高く、逮捕すれば暴動の恐れが……」

「勇敢な帝国兵ともあろう者共が、武器を持たぬ民の暴動を恐れているのか!?」


民衆の支持を得られず、失敗するはずではなかったのか、とサリフは怒鳴りたかった。塩を作る行いは運動をより勢いのあるものにしてしまった。誰も責められない。部下たちの報告のせいでもあるが、自分に都合の良い想定をし、甘い判断をしてしまったのは自分だ。


「問題は白の国の民衆だけではありません。近隣の国、特に救世主教を報じる国がどう出るか」


宦官の一人が、銀の盆を恭しく差し出す。そこには花の香りがする白い便箋が鎮座していた。皇弟はそれをぞんざいに受け取る。

宛名を確認すれば、黒き王国の王姉からの親書であった。内容は白の国の統治の仕方を諫めるものだ。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ラドの要求は、あながち的外れではないと考えますわ。内容を知って驚きましたわ。

自分の着たい服が着れないなんて、同じ女として同情致します。

わたくしは、救世主教の同胞ということもありますが、どうにか彼らに力を貸してやりたいと存じます。

そうならぬよう、寛大な処置をお願いします


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




王姉であるイストバンネは帝国との正面衝突を回避するため一兵卒も動かさないだろうが、皇弟は知らない。それに、動かすぞ、と脅すことはできる。

サリフは唇を噛みしめる。あの目狐がようやく動く気になったかと、戦々恐々だった。

そのとき、扉の外で控えていた宦官が一歩進み出て頭を垂れた。


「殿下、帝都より陛下からの書状にございます」


我が物顔で煌びやかな宮中を徘徊していた皇弟の肩が跳ねる。


「……兄上から?」


宦官が宝石が散りばめられた金の盆を掲げる。刻印された皇帝のみが許される紋章が眩い。沈黙の中、封が切られる。紙の上には、流麗な書体でわずか数行。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


弟へ。

白の地は乱れつつあると聞く。

どうやら幼いお前に任せるのは早かったようだ。

我が統治を汚すことなかれ。

もし治められぬなら、治める者を替えるのみである。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「お叱りの手紙だ」


サリフは奥歯をぐっと噛みしめ、すぐに返信を認める。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


親愛なる兄上。

どうやら事実と異なる噂がお耳に入っている様子。

羽虫が騒いでいるだけにございます。ご心配召されるな。

ラドは大層美しい男だと聞きます。

捕えたら宦官にして、兄上の後宮にお届けしましょう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




勇ましい言葉を並べ立てたが、心は重く淀んでいた。皇帝の役立つ駒でなければ、母の違う兄たちと同じ最後を迎えるだろう。


「くそっ。一体どうすれば」


見通しが全く立たず、皇族にあるまじき所作で髪をかきむしる。


「ラドを消すしかありますまい」


熟考していた宮廷魔術師のゼキの声が宮中を満たす。


「だが、下手すれば殉教者になるぞ」


サリフが苦々しく反論する。征服の際にこの国の教会を見たが、祀られている聖人のうち殆どは、宗教に殉じて死んだ人間だ。救世主教徒たちはそうした者たちを崇める傾向にある。

それに、指導者がいれば交渉し、運動を止めるという選択肢があるが、いなくなれば収集がつかなくなってしまう恐れもある。


「ですから、帝国は決して手を汚してはなりませぬ」


幾つも戦線を越えてきたゼキは動じることがない。白い髭の奥で僅かに笑みすら浮かべて宣言する。


「白の国の者たちに手を汚してもらいましょう」


         ‡   ‡   ‡


新丘の町に来てほしいと手紙が来たのは、塩の行進から半月ほどが経った頃だった。


「あのラザル侯が生まれた町か」


新丘の町は鉱山で栄えている、百年足らずで大きくなった町だ。周辺では金、銀、鉄、鉛が採れる。そのため、分厚い要塞が築かれている。大帝から要職を賜っていたラザルの父は、息子が生まれた当時、その要塞を守る役目を与えられていたのだった。


因みにラドの故郷である礫の街は白の国の中央やや南寄りにあり、海に行くのに西へ向かう道を通ったので、国の南にある新丘の町も、北にある皇弟のいる白壁の街も通らなかった。


「なんでも礫の街と同じように煉瓦の道があるらしい。町の顔役の一人からその道をとっぱらってくれないか、と声がかかった」


この町の近くにラザルの血縁が治めていた深雪の街があるが、この新丘の町は街が陥落しても二年近く反抗を続けた。一度降伏した後も再度反抗して四十日程包囲された後、役人は全員処刑され、少年は捕虜として、若い女たちは帝国人の妻として連れて行かれたという。

元々反抗的であるだけでなく、鉱山の町だけあって入植者も多く、異民族が混在している。ここを任された帝国の太守(パジャ)|は治めるのに苦労していることだろう。


ネナドの説明に、ラドは「わかった、行こう」と二つ返事で引き受ける。

住民の多くは鉱夫だ。彼らが採掘を一時的にでも止めてくれれば、帝国の財布にさらなる打撃を与えることができる。

英雄の生まれ故郷、さらには戦いの舞台を見ることができる、とあって異邦人のオグは観光気分でわくわくしているようで、その気持ちは皆にも伝染した。


新丘の町へは、急げば三日の日程だ。帝国兵の目につかないよう辿り着くため、旅は少人数、ラドとオグ、ネナドの三人で行くこととなった。因みにミリャーナはシラとともに、各地の隠れ家を回り精霊通信で広報を続けている。ラドの父は丁度近くの友人を訪ねていたついでに、一足早く現地に向かうこととなった。


昨日まで耕地を突っ切っていた道は、薄暗い森の中へと入っていく。この先は山道となり、道の起伏もある。

雨が上がったばかりだが、空気は清々しかった。

雲の切れ間から差し込んだ陽で、ブナの枝先の雫が光っている。道は泥濘を残し、土と藪の若葉の匂いが濃い。

距離を開けて先を行くネナドは、注意深く追っ手の影を気にしている。オグも移動中に歌うのを控えていた。どうせ帝国兵に捕まるなら、町の人目が多い所の方が良い。ありがたいことに、馬蹄や火薬の匂いといった痕跡は見られないようだ。


靴底がぬかるみに沈みこみ、踏みしめるたびにぐじゅりと音を立てる。革を編んだ先のとがったオパンチは泥で汚れ、隙間から水分がしみ込んでいる。ラドが水たまりを飛び越えたが、細かい泥が跳ねた。

オグも同じようにしようとして、ふと、木々に目を止めた。


「どうした?」


靴音が消えたのでラドが振り返ると、オグは足に根が生えたようにその場で動かなくなっていた。


「悪いけど、ここで待っていてくれるか? 身を隠して」


こちらに向き直った顔は蒼白だった。


「帝国が迫っているのか?」


ネナドが問いつつ周囲を警戒する。オグは首を振り、枝の一部を指さした。


「ハンノキの若枝が結ばれてるだろ。この結び方、ある渡り人の一団では、この近くで待ち伏せしよう、って合図なんだ」


言われて目を凝らせば、明らかに人為的に枝が絡まっている。

渡り人はオグのような楽師だけではない。人を殺すことを生業にしている者もいる。

オグは言葉を濁したが、ある一団とは盗賊に類するものだろう、と二人は察した。


「しかし、この道を通らねば期日に町に着かん」

「逃げ切れるなら突っ切るのも有りだけど。俺たち、馬もないんだぞ?」


何人で待ち構えているかわからないし、武器の所在も明らかでない。闇雲に会敵しないに越したことはない。


「俺が様子を探ってくる」

作者の(浅い)豆知識 うぃき抜粋


ノヴォ・ブルド

新しい丘の意。現コソボ自治区の東にある。15世紀にはバルカン半島の主要な鉱山の街として栄えた。最盛期には扇型の大きな要塞が建てられ、その一部が現在も残っている。

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