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第二十五楽章 ストーカー対策

違法な塩を作る運動は海岸の街や漁村を中心に、一気に拡がった。そうした塩は市場に流通し、政府が禁止しているにも関わらず、家庭で使われるようになった。


もちろん、逮捕者も続出した。塩作りに関わった者、販売した者、購入した者。反逆者たちは抵抗することなく粛々と逮捕されたので、留置所はたちまちいっぱいになった。

にも拘わらず、ラドはまだ逮捕されていない。


奇妙な幸運が重なった。

実家に踏み込まれた時、たまたま不在だった。逮捕に来た兵たちが、群衆の抗議を受け怖気づいた。運動の中心人物であるラドを逮捕することで、却って運動が収集つかなくなるのではと帝国が恐れ、あまり逮捕に積極的でなかったこともある。それにメディアに取り上げられたことで国外からも注目を集めている。下手な扱いはできない。




通りを行く人々はまだ熱を帯びていた。さきほどまで旧広場の裏手で開かれていた密やかというには賑わしすぎる集会――帝国の圧政に抗う歌の余韻が、街の空気にまだ残っている。それだけでなく、噂のラドを見たと興奮気味に話し合い、娘たちは頬を染めている。


当の本人は集会を終え、白いシャツの襟を少し緩め、通りを歩いていた。金糸の髪を風に揺らす姿は誰の目にも明るく映り、たちまち人々が取り囲む。ラドは気さくに、知り合ったばかりの住民たちと肩を並べ、言葉を交わす。

しかし、坂を下る通りの角に建つ店の前で足を止めた。織物商の看板が不要なほど、色とりどりの布地が戸口に掛けられ、香油と染料の混じった匂いが漂っていた。


「悪いな。こちらの店主と約束がある。今日はありがとう。皆に会えて良かった」

「いいえ! また来てください!」

「ああ。ぜひ」


ラドが紅を引いたような鮮やかな唇でほほ笑むと、男までもが、ぽーっとその場に立ち尽くした。

その隙にラドは店の奥へと消えていった。

一部始終を、通りの向こうから二つの影が見ていた。彼らは軒の陰に身を潜め、互いに視線を交わした。


” よし、ようやく一人になったな ”


ずっと距離を置いて後をつけていた男の内、一人がひっそりと呟く。彼は帝国の皇弟直属の衛兵だが、今はそうとはわからぬよう、制服を脱ぎ、街人のような恰好をしている。しかし背にかけた袋の中には武器が忍ばせてあった。


” 踏み込みますか? ”


もう一人の、髭の生えそろってない若いほうの男が問いかける。先の男は静かに首を振った。


” いや、人員は俺たち二人だけだ。店から出てくるところを捕えよう ”


民衆の前で逮捕すると大変な騒ぎになることは明らかなので、慎重を期す必要がある。

二人がしばらく店の出入り口を見張っていると、戸がゆっくりと開く。

色彩の奔流の中から現れたのは、女だった。ヴェール越しでもわかる端正な顔、夕陽に燃えるような髪の端が、わずかに布の隙間から覗く。絹の衣の下からも女性らしい腰の曲線がわかり、袖から真珠色の腕が覗く。

陰に潜んでいた二人の男は、思わず喉をごくりと鳴らす。職務中でなければ口説きに行っていたであろう、とんでもない美女だった。


「待ってくれよ」


店の奥から、今度は頭にターバンを巻いた若い男が現れた。


「遅いっ!」


美女は甲高い声で文句を言いつつも、男の二の腕に華奢な手を絡める。


” ……なんだ、男連れか ”


帝国兵は肩を落とした。

因みに、恋人らしき男女は小声でこんな会話をしていた。


「しっかし、上手く化けるもんだな」

「不用意に喋るな」


そう。彼らの正体はラドとオグだ。

オグはつんと澄ましたラドを覗き見る。長い睫毛、白磁のような肌、頬に薄く付けた化粧が輪郭を和らげ、それらが絹のヴェールの下に隠されることで、いっそう妖しく、現実離れした美しさを帯びている。


彼の父と妹は何故か強固に反対しているが、本人は別に逮捕されてもいいと思っているし、逆に逮捕されないので捕まっている仲間に申し訳ないとすら思っている。

そんなラドがなぜここまで徹底的に、本人が嫌っている女のような容貌を利用してまで追跡を回避することになったのか。


――ストーカー対策である


有名になるにつれ、ラドは深刻な被害に遭っていた。会場に待ち伏せられるし、家を突き止められて押しかけられるし、処理に困るプレゼント、中には恋のまじないのかかったアクセサリーや怪しい惚れ薬が入った食べ物、呪術めいた長文の手紙を送り付けられる。

さらには教会が認めたことで聖人扱いをされ、多くの人に握手を求められて手が痛くなるほどで、名付け親に指名されるし、本人の文房具等の私物がしょっちゅう無くなり、気づけば聖物として扱われて教会で展示されている。オークションで売ったら資金を回収できるのでは、とシラが提案したが、気持ち悪いとラドは強固に反対した。


先日は街で会った女の子に突然髪を切られた。出会った記念にしたかったのだという。ネナドやオグが防波堤になって防いでいるものの、ラドに危害が及ぶ懸念は日に日に高まっていた。


「預言者教の女のように頭巾を被りたい。顔も全身もすっぽり覆うやつ」


こんな目に遭うのは心底うんざりだと言わんばかりに、ラドの態度はトゲトゲしている。


「勿体ないこと言うなよ。女のファンが多くて羨ましい」


オグは自分が悪くない容姿だと自負しているようだが、ラドが近くにいるせいで見向きもされない。


「いつでも代わってやる」


ぎろりと、殺気の籠った目で睨む。ラドは自分の容姿の価値をわかって反抗運動に利用している。そうでなければとっくに自分の顔に傷つけたり焼いたりしているだろう。それくらい自分の容姿にうんざりしている。それもそのはず。尻を撫でられる、無理やりキスされそうになる、と言ったセクハラは日常茶飯事。元々帝国の支配から自由になりたくて始めたのに、日常を脅かされ、募る苛立ちに今にも爆発寸前だ。


「悪い悪い。えーっと、服に魔法が刺繍してあるんだっけ」


オグはとっとと話題を変えてきた。

ラドが着ている服は妹のミリャーナが刺繍したものだ。その刺繍というのが魔法陣を刺した幻を見せる代物で、その服を着ている人間の性別が変わって見える。

今のラドは元と背は同じなのだが、喉ぼとけもないし、輪郭はどことなく丸みを帯び、骨格から違うように見える。どっからどう見ても女にしか見えない。


「しかし、どうなってんだ、これ」

「あうっ」


何より、胸にある膨らみ。何か詰めてあるのかと、オグは手を伸ばす。


「おおっ」


そして、その完成度に思わず感嘆を上げる。ふくらみの造形、人肌の温かさがあり、何より、柔らかい。ラドはか細い声を上げて俯き、耳まで真っ赤にしてぷるぷる震えた。


「すっげーな。本物みたいだ」


その感覚を無心で堪能している男に、下からぎらりと鋭い眼光を向けた。




” しかし、あれがラドの可能性はありませんか? ”


様子を伺っていた帝国兵が問いかける。


” 身長が違わないか? ”


さっきまで観察していた相手と明らかに体格が違う、と観察しているとターバンを巻いた男の手が美女の胸へと延びる。往来でけしからん。兵たちは眉を顰める。


” シークレットブーツとか? ”

” そこまで言うならお前が追跡してもいいが ”


相談していたその時だった。


女の胸に手を置こうとした男が吹っ飛んだ。恋人と言えど行き過ぎた振る舞いに、頬に鋭いアッパーをお見舞いされたのだ。平手打ちではなく、腰の入った重い拳だった。

男はバランスを崩し、地面に傾いていった。


一部始終を見届けた男たちがぽつりと呟く。


” 失礼しました。あれはラドではありませんね ”

” そのようだ ”


彼らにとって、ラドは手ごわい好敵手である。断じて女に現をぬかすような男ではないし、セクハラをして返り討ちに合うような女好きではないし、女からの一撃で地面に転がって無様を晒すような人物ではない。


肩を怒らせて去って行った美女の方が独立運動のリーダーだとはゆめにも思わずに、兵たちは店の監視を続けたのであった。

作者の(浅い)豆知識 うぃき抜粋


クルシェヴァツ

川石の意。セルビアの中央あたりにある地方都市。十四世紀にラザルが築いたとされる。

作中ではラドたちの故郷。

因みに、コソボの戦いの時にはセルビア軍が終結し、ラザルの妻ミリツァはこの地で訃報を聞いたとされる。その後、ミリツァの居城となった。

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