第十八楽章 見えない脅威
オグは真顔で、命の保証はないと宣言した。
言葉の重さに、群衆は息を呑み、夜の市場に重い沈黙が流れる。
「今までは奇跡的に犠牲が出なかったが、俺もラドも帝国兵に何度殴られたかわからない。
その内に逮捕されるかもしれないし、処刑されても不思議じゃない。
俺はお前らに死ねとは言わない。犠牲を少なくするために、物陰に隠れればいいし、逃げてもいい。但し、踏みとどまらなけりゃならない時もある。今から、身を守る基本的な方法を教える」
宣言して一歩踏み出し、周囲の障害物がない所に立つと、身振り手振りで示範を始めた。
「まず、相手が殴り掛かって来たら、両手で頭部を抱え頭蓋骨を守れ。顔を怪我しないように、両肘をくっつけて目の前に持っていくといいぞ。
相手が引きずり倒してきたら、蹴られることを覚悟しろ。身体を亀みたいに丸めて顔まで膝を引き寄ろ。それで内臓は守れるから、あとは両手で頭を守れ。誰かが殴られていたら、そいつに覆いかぶさり、衝撃を少しでも和らげろ」
聴衆たちの中には真似をして、肘を顔の前でくっつける者もいた。
「相手に向かっていくのは言語道断だ。絶対に相手に暴力を振るうな。相手に武器を使わせる正当な口実を与えることになる」
それだけは絶対に守ってもらわなければならないと、周囲に鋭い視線を走らせる。
「今から、何を言われても手を出さず我慢する訓練をする。ペアになって、帝国兵役と俺たち自由の声役で別れてくれ。まず、お手本を見せるぞ」
そう言って、屈強そうに見える青年を相手に指名した。
「俺が帝国兵役をやります。君は何を言われても礼儀正しい言葉で返し、耐えてくれ」
「はぁ」
「じゃあ始めます。やーい、ばーか、ばーか!」
オグはそこら辺の悪ガキのように全力で煽った。すぐに青年の額に青筋が浮かび、聴衆たちも引いた。
他にも「猿め」「うすのろ」「神は偉大だぞ」「お前が信じてる神は糞」と罵り、小突き、頭からコップの水をかけたりした。
「やーい、手も出せないのか。臆病者ー!」
調子に乗って彼が座っている椅子を揺すっていると。
「なんだとッ」
ついに青年は激高し、肩を振り上げた。
「「「あ」」」
傍から見ていたラドが、至近に迫る拳を見てオグが、殴ろうとしている本人が、同時に声を上げた。拳が眉間に命中する。吟遊詩人はその場に昏倒した。
‡ ‡ ‡
蝋燭の火が揺れる薄暗い書斎に、重い扉が開く。湿った外気をまとった影が一つ、足を踏み入れる。
「……戻りました」
室内で待っていた男は問いかける。
「それで、首尾は」
「はっ。例の集まりに参加しました。こちらの正体には気づかれてないようです」
きびきびと報告する部下には、先日、ラドとかいう学生が主催する集会に潜入させた。
街頭でわざわざ帝国に不満を持つ者を呼び集めていたのだ。警戒するのは当然だろう。
「それは重畳。どんな話が出ていた?」
武器の作り方、蜂起の相談。そうした話題が出れば警備の役に立つだけでなく、反逆罪で中心人物たちを摘発し未然に防止できる。
「まず、帝国にどんな不満があるか参加者に話をさせました」
「ほう。奴らは参加者に我々に対する反抗心を植え付けたのだな?」
「いいえ。主催者たちは話を促していただけでした」
部下の話を聞くに、参加者たちが愚痴っているのを聞いていたのだという。そう簡単に尻尾を掴ませるほど単純ではないらしい。
「その後は」
「帝国に抵抗する方法があると賢しげに語っていましたが、どうも有効とは思えませんでした。何しろ、武器を一切使わず戦うと宣言したくらいですから」
「武器を使わない戦い? なんだそれは」
素手で戦うと言うことだろうか。危険性は低そうだ。がっかりしたが、気を取り直す。
「もしかして、巷を騒がせている発信機の使い方や作り方の講義をしたのか?」
それならば十分取り締まる理由に成り得る。
「いいえ、特に。その話題には全く触れませんでした」
上官はがくりと肩を落とす。
「では一体何を話したのだ」
「えっと、身なりを整えること、帝国兵に礼儀正しく接すること、あとは、上手な殴られ方……?」
「何を言っているんだ?」
反乱軍を想定していたのに、まるっきり無害な市民の集まりではないか。不満を吐き出させ、帝国兵に礼儀正しく接するよう指導しているなら、寧ろ帝国の統治に貢献している。
「他に何か……収穫になりそうなものは……」
「指導者らしき人物を殴ってやりました!」
部下の自慢げな宣言に、上官は頭を抱えた。
例え正体はバレなくても、指導者を殴った人物など警戒されるに決まっている。
部下は悪い奴ではなく、兵士としては優秀だが、根が単純で直情的だ。どう考えても人選ミスだった。こいつを潜入に使うのは止めよう、と上官は思った。
そんな上官の思いは露ほども知らず、部下は楽天的に告げた。
「奴らは絶対に帝国相手に暴力を振るうな、と何度も口酸っぱくして言っていました。奴らは我らを恐れているようです。大した脅威にならないでしょう」




