第十四楽章 お手紙を書こう
白の国の首都、白壁の街。
その中心に、かつて王の居城だったこともある白亜の城館がそびえている。過去の持ち主の紋章は柱や窓の隅で僅かに残っているが、城の壁紙は帝国風の植物の文様や幾何学模様で飾られ、絨毯が敷かれている。
謁見の間は薄暗かった。高い天井には絹の帷が吊られているが、どこかこの土地の石肌となじんでおらず、その場に座す領主のように浮いて見えた。
十六歳の若き統治者、皇帝の弟であるサリフは、見事な意匠の象嵌の文机の前で胡坐をかいていた。細かな模様のある絹の上着に包まれたその身は、帝国の威厳の象徴である。だが、本人は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえていた。
実際、頭の痛い問題があった。黒き王国の君主は幼いが、実権を握っている王姉が厄介だ。部下たちに集めさせた戦闘記録は常勝無敗。帝国とは今のところ表立って対立していない。しかし得体が知れず、気味が悪い。古に存在したという帝国の歴史に憧れ、版図拡大の野望を抱く兄は、近いうちこの国を侵略するつもりでいる。
自分は結果を出さなければならない。異母兄弟のように死ぬのは御免だ。地図を眺めながらどこにどれだけ兵を置くか、兵糧はどうするか考えを巡らせる。
傍には帝国が誇る高名な魔術師の一人、ゼキが控えていた。サリフの前に置かれた地図を横目で眺めながらも、蓄えた白髭を撫でながらも、口を出す気はないらしい。元家庭教師らしく、まずは教え子の回答を待ち、後で答え合わせをするつもりかもしれない。
そこへ、官僚が領主の判断を仰ぐため静かに入室してきた。
両手を前で重ね、腰を軽く折る。そして一段低いところで待機する。手には折り畳まれた羊皮紙の手紙があった。
「殿下、礫の街より、殿下宛に届けられた手紙がございます。街の衛兵隊長が、是非殿下にご采配いただきたいと申すそうで」
侍従が受け取り、恭しくサリフに差し出す。統治者は、地図の上で筆を弄んでいた手を止め、官僚を一瞥した。
「差出人は?」
「それが、ラドと申すものだそうで」
サリフは首を傾げる。ラドという名前は珍しくもなんともないが、礫の街など着任の際に通り過ぎただけで、そこから高貴な血を引く自分宛てに手紙を出す輩がいるなどとは思い当たらない。一先ず目を通すことにした。
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神の御名の元に
尊き栄光ある統治者サリフ殿
はじめまして。私は白の国の神学校に通っているラドと申します。
このたび、貴殿が統治する礫の街の大通りにおいて改築された道に関して、少しばかり意見を申し上げたく、ペンを取らせていただきました。街を横断する道に敷かれた赤煉瓦の舗装は、街の景観と住民の情趣を損なっています。散歩や商いを営む者どもは口々に嘆き、旅人にも悪い印象を与えております。住民の内でこの変化に心を痛めている者も少なくありません。
つきましては、誠に恐れ入りますが、この煉瓦舗装を撤去していただき、かつての風情を取り戻していただければと存じます。もしも撤去が難しい場合には、本日より三週間後に、我ら有志で白い道を敷設し、街の調和を取り戻す所存でございますことを、事前にお伝えさせていただきます。
この願いは、私個人の美意識のみならず、多くの住民の安寧と街の将来を慮ったものにございます。
貴殿のご理解とご決断を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
敬具
ラド
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「はあ」
気の抜けた声を漏らし、受け取った手紙を眺める。装飾が施された上質な紙。混ざり物のないインクに神経質そうな字。捻りのない教本通りの定型文は学生が書いたという事実に信憑性を持たせていた。
「馬鹿げている。通りの舗装の要望が何故私に届く?」
礫の街で起きていること、ラドがその嵐の目だという報告は、サリフの元に届いてなかった。街を統治する太守は、自分が治める街で問題が起こっていることを積極的に上司に伝えたくなかった。だいたい、武力を用いないので反乱とは言い切れない。何しろ、通りで歌っているだけだ。十分に言い訳は立つ。
「こんな些事は役人の仕事だろう。それに、学生風情が皇族に直訴とは、何を考えているのか」
だが、ラドの一行と実際に対峙した衛兵隊長は漠然とした危機を感じ取っていた。だからこそ、無理を言って若き執政官へ取次ぎを頼み、指示を仰ごうとしたのだ。
その危機感も、相手に共有されなければ意味がない。
「殿下――」
老魔術師、ゼキがゆっくりと口を開いた。
「この白い道とは、ただの色のことだけではないように思えます。赤い道を敷いたのは我らが栄えある帝国。それを覆すとは、叛意の現われではないでしょうか」
「たかが舗装の色だぞ。先生は昔から心配性だな。まさか帝国の宮廷魔術師ともあろうものが、手紙一通に怯えているのか?」
高慢な統治者は嘲笑する。彼は知らない。国が奪われる喪失感も。家族を殺される悲しみも。その敵に従わざるを得ない屈辱も。
ゼキの霜のように長い眉毛が動く。
彼は勝利することが多かったが、それでも重ねた長い年月の間に、敗残兵の苛烈な眼を知っている。
この熟年の魔法使いは嫌な予感がしていたが、それを若い、挫折を知らぬ統治者に伝える術を持たなかった。
「差し出がましいことを申し上げました」
言っても詮無きことだと老魔術師は引き下がる。官僚がおずおずと声をかけた。
「では、どう返答いたしましょう」
サリフは手紙を侍従に戻し、追い払うように手をひらひらと振る。意識はもう、地図に戻っていた。
「相手にするな。捨て置け」
今や屈辱を知ることになった彼は、その判断を生涯悔やむことになる。
一方、ラドたちはその判断を当然のこととして受け止めた。
思ったよりすんなりいったとは考えたが、思いがけない幸運とは微塵も思わなかった。運動を続けていけばいずれ叶うことだろうと考えていた。寧ろ、そうなるまで運動を続けるつもりだった。
「漆喰が足りないぞ! こっちだこっち」
「おい、ここ塗ったの誰だよ。靴跡がついてるじゃないか」
真昼の空は青い。暑さにも関わらず、通りはいつもより賑わっていた。
統治者に与えた三週間の猶予に、ラドたちは民衆たちに呼びかけ、ひたすら漆喰を集めた。当初はレンガを引きはがし元の石材を敷く予定だったが、費用も時間も莫大にかかることを知り、あきらめた。一方漆喰はこの国でよく採れる石灰石が原料であるし、上から埋めるだけなので作業も単純だ。
寄付金を募り、自分たちでも材料を集め、商業組合へ直接運び入れた。傘下の工房をフル稼働してもらったが、十分な量を確保できたとは言えない。
作業する道具も十分ではない。漆喰を平らに均すには鏝が必要だが、数が足りないので、ヘラや木の板、文房具や調理器具で塗り拡げている人たちもいる。
左官屋から一通りレクチャーを受けたものの、素人がやる仕事だ、道はぼこぼこでムラもある。
それでもいいとラドは思う。自分の手で帝国の支配を塗り替える。皆がそれに貢献することにこそ意味がある。
誰もが、慣れない作業に苦労しているが、その顔はどこか晴れやかだ。
白の国の人々は自信を失っていた。戦いに負け、皇帝や英雄を失い、服従するしか道はないと諦めていた。この成功体験がきっと力となるはずだ。
立ち止まり、掌に残る白くもったりとした液体を指先でこすり落とす。腰に手をあて、うんとのびをする。
通りの様子を見守ると、赤い煉瓦の道はほぼ見えなくなっていた。道の端で、帝国の巡回兵が苦虫を潰したような顔をしている。
人伝えだが、皇弟は「捨て置け」と言ったらしい。そのままにしておけという意味だが、二通りの解釈が可能だ。一つ目は積極的にそのままの状態を保つよう働きかけるということ。二つ目は、消極的に必要な手段を講じず、放置するということ。
皇弟から「捨て置け」とお言葉を拝領し、部下たちはさぞ混乱しただろう。
そこへ、どうやらシラの暗躍があったらしい。打ち合わせのメモ書きに書き足したり、伝令の封書を入れ替えたり、報告を捻じ曲げたりして、こちらに都合の良いように誘導してくれたとオグが言っていた。そのため現場には「民衆に手を出すな」という意味で伝わっているようだ。現場を預かる衛兵隊長はこの状況に危機感を抱いてはいたけれど、なまじ皇族に聞いてしまったばかりに、命令を無視することができず、手を出すことができない。巡回兵の表情は、一部始終を見守るしかない彼らのやるせなさが現れている。
「どれ、一曲弾こうかな」
「そんな暇があるならこっちを手伝え」
さぼろうと道具を放り出した吟遊詩人の服の裾を掴む。
先ほどから元将軍は必要な場所に漆喰を届けるため、バケツを両手に何度も往復していた。
通りの向こうでは、農夫が荷車を停め、年配の婦人が箒を掃く手を休め、若者が立ち止まって作業に加わった。子どもたちがその間を駆けていく。風に漆喰の匂いで満たされる。
民衆たちの手で、支配の痕跡が薄れていく。
吹けば消えそうな小さな勝利だが、それでも勝利だ。反抗の火種は、やがて大きく燃え上がるだろう。そんな予感がして、ラドはかすかに笑った。
拙作で敵がオスマン帝国風なのは、決してトルコやイスラム教に偏見を持っているわけではなく、国と時代設定的にどうしてもそうなってしまうのと、それだけ敵が魅力的だからです。
何しろ、この時代のオスマン帝国は経済的にも軍事的にもチートすぎる。敵が強ければ強いほど、それに立ち向かうっていう展開が燃えるよね! どうやって挑むか全然思いつかないけど!
寧ろ作者の愛読書は、オスマン帝国を舞台にした将国のアルタイルです。
作者「この図書館に将国のアルタイルを置いてください!」
司書さん「残念。もう売ってないらしいよ」
作者「Amaz〇nで購入しました。寄贈するので置いてください!」
司書さん「……」
と司書さんをドン引きさせるくらい好きです。
オスマン帝国の悪口を言われて傷ついちゃたって方は、是非将国のアルタイルを見てね! おススメだよ!




