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第十三楽章 隻腕の傷痍兵の追憶

谷間に、帝国軍の蹄音が遠雷のように響いている。


この先の白壁の街で、自軍が帝国を迎え撃つ準備をしている。自分たちの部隊が勝つことは端から捨てている。けれど、時間を稼ぐためにも、少しでも戦いを優位で終えるためにも、戦わねばならなかった。

幸い、ここは道が狭まっている。部隊は十数人しかいないが信頼できる者ばかりだ。善戦できるだろう。

農民の話によると、この部隊は豪華な馬車が含まれていたという。大将である皇帝か、皇太子を撃つことができれば、大軍相手に勝利できるかもしれないという微かな希望があった。


手で戦闘開始の合図を送る。部下たちが声を出さずに動き出す。

事前に近くの川を魔術で冷やしたので、木々もまばらな渓谷には時季外れの霧が発生していた。


「天よ鳴れ 暗き雲裂き 我が声に集いて顕現せよ ペルーンの矢!」


空から降ってきた電撃か、帝国兵へと降り注ぐ。威力は低いが、足止めには十分だ。

途端に響く、馬が嘶く声、悲鳴、怒号、そこへ部下たちが、疎らに生えた木の陰から矢の雨を降らせる。狭い道では帝国の数の優位は生かせない。先頭が倒れれば、後続は身動きが取れず押し寄せるだけだ。


しかし相手は飛ぶ鳥を落とす勢いの手練れの帝国兵。鼓の音が聞こえ、狼狽えていた兵たちが即座に隊列を組む。すぐさま魔術の紋章を組んだ盾が整然と並び、その隙間から黒光りする銃身を掲げた兵士たちが一斉に光弾を放つ。

魔力を溜め込む鉱石を芯にしたその武器は、特別な訓練をしなくても強力な魔術を放てる。発弾に魔術による魔力の干渉を受けにくい、現在の戦争の主流である。


「暗夜に舞う 死の女王の翼 我らを守り給え モラナの盾!」


詠唱がどうにか間に合った。大気が凍てつき、前方に透明な盾を形成する。魔力を帯びた弾丸は盾に衝突し轟音を上げる。氷の結晶が砕け散りながらも、衝撃を完全に受け止めた。


「あそこに魔術師がいるぞ!」


兵の一人がこちらを指さす。

帝国軍は次なる魔弾を充填する間、自分を隠すように前方に分厚い盾を展開する。魔力を帯びた弾丸が飛来し、ぶつかるたび白い亀裂が走ったが、直線攻撃なら砕けることなく弾きを返す。


だが帝国も黙ってはいない。障壁の上を大きな影が飛び越えた。突進する重装の帝国騎士は馬を駆り裂帛の気合いと共に槍を突き出す。

詠唱中だったため、自分を守るのは手にした剣一本。


” 死ね! ”


刃が豪腕の一撃を受け止め、火花と共に地面が砕けた。続けて剣を大きく横薙ぎに払うと、相手はたまらず距離をとる。幸い、詠唱の声は途切れない。大気中の精霊は呼ぶ声を聞き逃さず、言葉に応じ続けてくれる。


「将軍を狙わせるな!」


副官が叫び、槍を突き入れて騎士を馬上から引きずり落とす。別の兵がすかさず剣を振るい、血飛沫が渓谷に散った。

その隙に呪文を結ぶ。


「今こそ、炎となりて道を断て!」


崖の壁を舐めるように炎が走り、帝国兵の列を焼いた。悲鳴と煙が渓谷にこもり、進軍は一瞬止まる。


「押せ! 奴らは怯んでいる!」


号令で白壁の兵たちが前進し、狭路に槍の林を築く。

だが、敵は数で押してくる。後続が次々と到着し、再び魔弾の火線が走る。氷の盾に亀裂が深く刻まれ、兵の一人が胸を撃たれて倒れた。


「まだだ……!」


歯を食いしばり、大剣を高く掲げる。氷と炎を交互に操りながら、兵たちに強化の術を施す。彼らの動きが鋭さを増し、槍先が敵の隙を次々と穿っていく。

道は狭く、用意に退くこともできない。だがその狭さこそが、少数の力を幾倍にも引き上げていた。

自身をも叱咤させようと、声を張り上げる。


「ここを越えさせるな! 白の国の未来は、この刻に懸かっている!」


その時だった。


帝国の陣の奥、四頭立てで植物文様が描かれ、縁は金で飾り立てられた豪奢な馬車の扉が開いた。内部のビロードの織物から現れたのは、白髪を背に流した老齢の魔術師だった。その背筋はまっすぐで、長い眉毛と刻まれた皺の奥に潜む双眸は、渓谷に渦巻く戦の熱を冷静に見守っていた。


” 者ども下がれ! 戦はこれからだ。無駄に兵を削っては陛下に面目が立たない。私が決着をつけよう ”


彼が杖を掲げた瞬間、空気がざわりと震えた。


” 我が呼び声に応え、天突に秘せられし炎を顕現せよ ”


魔術師は乾いた唇が、重々しい詠唱を刻みはじめた。詠うたびに渓谷の空気が震える。荘厳で、ただの一節でさえ血の匂いを帯びた戦場に不似合いなほど澄んでいた。基本的に詠唱の長さが威力に比例する。皇帝並みの豪奢な馬車に乗っていた魔術師だ、相当な実力者だろう。呪文を完成させてはならない。


「奴を止めろ!」


数人の部下が駆け出した。

しかし老魔術師を守ろうと、幾重にも盾が構えられ、他の魔術師たちも厚い障壁を展開する。さらに護衛の騎士たちが左右から殺到する。


「くそっ、刃が通らない!」

” 天を裂く炎柱は雲を赤く染め上げ、大地を焦がし尽くせ ”

「詠唱が終わるぞ!」


焦りが生まれる。前方を守っていた兵が、障壁を残して姿を消す。詠唱が終わるまでの僅かな間、魔術師に到達する見込みはないと判断されたのだ。


即座に悟った。この老魔術師を斬るのは不可能だ。詠唱を止められる見込みはない。かといって、今から声の届く範囲……呪文の効果がある範囲から逃げるのは遅すぎる。


――くそったれっ!


剣を地面に突き刺し、砂埃ごと真一文字の線を引く。


「俺の後ろに!」


すぐさま詠唱に移った。

大剣に刻まれた紋章と、刺繡されたローブの力も借り、身体を盾印の結界に包みながら、即席だが持てる限りの全ての力を注いで結界を展開する。


” 天へと届く炎柱よ、雲を赤く染め上げ、大地を焦がし尽くせ ”

「四方を巡る風よ、精霊の息吹よ、呼び声に応えよ」


背後には部下たちがいる。命を託されているのだ。


” 神よ、我らの敵を滅せよ ”

「神よ、我らを守り給え」


呪文が終わったのはほぼ同時だった。皮肉なことに、どちらも神に祈っていた。


世界が一瞬、静止した。


次の瞬間、渓谷の空気が一瞬で燃え上がり、灼熱の炎が周囲を飲み込んだ。光と熱が渦を巻き、視界は純白に塗り潰される。結界が火焔を受け止めたが、押し寄せる熱は山を崩すほどに苛烈だった。


「――もて!」


あらゆる魔力を振り絞り、右腕を前に突き出した。

脆い障壁は焼け落ち、爪先、指の皮膚がはじけ飛ぶ。神経がすり潰される様な痛みに呻き声をあげながらも、魔力の放出を維持する。

鋼鉄のはずの大剣が、足元で飴細工のように溶けている。指の形が、砂に還るように消えてゆく。肘まで迫り、皮膚が焼け剥がれ、骨ごと潰えていく。精霊に呼びかける声はもはや掠れ、喉から血が上がる。それでも退かなかった。


やがて、燃え盛る炎が軋む大気を焼き切って、暴風のような灼熱が唐突に途切れる。谷には再び沈黙が訪れた。

腕は骨がむき出して、焼け焦げて血すら出ていない。立っていられず、膝をつく。

朦朧と意識をつなぎとめ、かろうじて後ろを振り返る。そこにいたはずの部下たち――共に剣を振るい、共に笑った仲間たちの姿は、


どこにもなかった。


灰の塊が風に舞い、肉片すら形を留めず、散らばっているだけだった。


「……あ……」


身体中の痛みが意識を奪い、視界の縁が揺れるのを感じながら、その場に崩れ落ちた。戦友を守り切れなかった。その事実を理解する前に、意識は闇へと沈んでいった。


          ‡   ‡   ‡


「こうして自分は、しぶとく生き残ってしまった」


元将軍は淡々と締めくくったが、どこか罪悪感と後ろめたさがあった。

気絶したことで、先を急ぐ兵は死体と勘違いして止めを刺さなかったらしい。

幸いと言うべきか、腕は失くしたが失血死にもならず、数日後、地元の農民の介抱で意識を取り戻した。その時には戦いは終わっていたという。

元々兵として帝国と戦った者は官職等に就くことを妨げられるのだが、さらに腕も失われている。碌な仕事にも就けず、今は乞食のような真似をして食いつないでいるのだという。


「後から知ったが、それが当時帝国の宮廷魔術師だったゼキだ」


聞き覚えがある。確か、今皇帝の弟の補佐をしている男だったか。


「相手は呪文一つであたり一帯を灰にしてしまえる力の持ち主だ」


彼の知るを告げる言葉は容赦がない。それを突き付けて、どうするか、こちらを冷徹に観察している。


「それでも、君らは戦うのか?」

「そうだ」


ラドが迷いなく答える。かつての将軍に半ば挑むような強い眼差しで。


「武力に差があるのに?」

「俺、それがよくわからないんだけど、なんでわざわざ武力で戦ってやるんだ?」


オグが疑問を挟む。ネナドはぎょっとして振り返った。


「戦争ってのは、目的を達成するために取る手段の一つだろ? 目的を達成、ないしは妥協できれば、交渉とか、金を払うとか、他の手段でもいいわけだ」

「それはそうだが……」

「あんたは騎士道精神に溢れた立派な将軍なんだな。でもさ、相手は強大なんだろ? 余裕をかけてやれる相手か? 律儀に相手の得意分野で勝負してやる必要はないだろ。武装した少数の相手が戦いを挑んでくるなんて、兵隊さんが最も得意な状況だろ?」


ネナドは呆然としている。不意打ちをし、死力を尽くして結果腕を失ったはずなのに、わざわざ相手の土俵で戦った善人扱いされている。


「俺のレパートリーの中に、強者と正面切って戦った話もあるが、知恵で打ち負かした話もあるぜ。

武力が得意な相手には、武力以外で挑めばいいじゃん」

「だが……どうやって戦う気だ? 路上パフォーマンスをすることが帝国の打倒に繋がると、本気で思っているのか?」


オグは両肩を上げた。


「少なくとも、相手が今まで戦ったことのないルールで戦うんだ。武力で攻撃するより、勝てる見込みはあるんじゃないか?」


どこまで本気かわからず、元将軍は額を抑える。


「おいおい。相手を打ち負かさずに何を持って勝つと言うんだ? 大将の首をとるわけでもない」

「目標が達成できれば、それが勝利じゃないか?」


但し、目標達成のためにはあらゆる手段を使うのだ。武力以外のあらゆる手段を。


「では、どうやって赤い道を白い道にするつもりだ? まさか、総督に頼むつもりじゃないよな?」


黙っていたラドは、大きく頷いた。


「そうだな。やってみるか」

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