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Episode4:それでも、彼女は前を見る

左手の甲に刻まれた、紅い薔薇の痣を見つめながら茨は驚きで固まっていた。何故なら、茨は信じていなかったから。これは、何かのドッキリ。適当に合わせていれば家に帰ることが出来ると、そう思っていた。


(……きっと、これはシールで…だから、剥がせるはず。大丈夫、そんな訳ない…)


そう思いながら、自身の手の甲をガリガリと引っ掻くが、タトゥーのように刻まれているのか、どれほど取ろうとしても痣が取れることはなく、ただ悪戯に自分の手に傷を作る事しか出来なかった。


その様子を見ていたティオは、茨の右手を掴むと苦しげな表情で「…残念だけど、これが取れることは無いんだ。……永遠に」と茨に告げた。


「…なんで、だって、そんな筈…!!」


嘘だと信じたかった。嘘で在れと願った。…それでも、この二人が嘘を吐いているとは思えなかったし、嘘を吐いているとも思いたくなかった。であれば、残る真実は一つだけ。


───この世界は、私が居た世界じゃない。


原理は分からない。けれど、そう考えるのであれば。エスペランサ王国と言う存在しない筈の国。オリアナ学園と言う、存在しない筈の学校。意識を失う前には確実に無かった、手の甲の痣。そして─────


「……そっかぁ、二人は最初から知っていたんですね。…まぁ、当たり前か…」


─────死んだはずの私が、生きている理由。


(…全ての謎に説明が付く。…説明が、付いてしまう。もし、この話が嘘だったとして…何故私を選んで攫ったかが、分からない。こんな事をしてもこの人達にだって、メリットはない)


無差別誘拐だと言われてしまえば、そこまでの話ではあるけれど。どちらにしろ、よく分からない話をして芝居を打って、そう見せかける必要はない。であるならば、真実は一つだけ。


それは、とても信じ難くて…でも、何よりも納得できる真実(もの)


「……私、『聖女』だったんですね」


そう言って茨は微笑んだ。たった一言。けれど、その一言は茨にとってとても重く、苦しい言葉だった。


(…私は、この世界に召喚された『聖女』。そして、この世界は私の世界とは異なる世界。それは、つまりこの世界には私を構成するものが、存在しないということ)


この世界には、何もない。私が育った家も、私が通っていた学校も。近所の公園に居た、私をよく慰めてくれていた野良犬ですらこの世界には存在しない。


(……なんて、そんなこと…認めたく、なかったなぁ…)


この世界には、私が頑張り続けた理由は存在しない。『あの人』に、私と言う存在を認めてほしくて今まで頑張ってきた。…けれど、今その頑張る理由を失ってしまった。何故ならこの世界に、『あの人』は存在しないから。それが…それだけが、どうしても耐えられなかった。


(…それでも、戻ったってきっと、どうにもならない)


私はきっと向こうの世界では死んでいる。死んでなかったとしても、きっと、私は助からない。そもそも、今向こうの世界がどうなっているかが分からない。時間軸がズレているのかもしれない。この世界にとっての一分が、向こうでは一年だったり。


元の世界に戻れたとしても、そこが何十年も経過している世界なら、本末転倒だ。『あの人』に存在を認めさせる以前の問題。そこまで長い年月が経っていると、『あの人』自身が生きているのか、と言う問題にもなる。


(…私が今、やるべきことは「この世界でどう生きるか」を決めること)


どうせ、向こうでもこっちでも、私に存在していいと言われるほどの価値はない。…だから、向こうに居ようが、此処に居ようが何も変わらない。


「……と、言うか…そもそも私って、元の世界に戻れるんですか?」


落ち込んだと思ったら、キョトンとした顔でそう自身に問い掛けてくる茨を見て、ルークとティオは内心、茨の切り替えの早さにドン引きながら茨の問いに答えた。


「…まぁ、何にせよ、だ。元の世界に戻るのは、まず諦めたほうが良い。少し面倒くせぇ話になるが…そもそもの話、この世界とお前の世界の間には見えないし絶対に通れない扉みたいなものがあんだよ」


「だから、お前の世界の住人はこっちの世界に来ることは出来ねぇし、こっちの世界の住人もまた、お前の世界に行くことは出来ない。…此処までで何か質問は?」


「質問、と言うか…割と当たり前な事だと思いますけど…お互いの世界に行き来することが出来ないなら…何で私、此処に?」


その質問に、今度はティオが答える。


「確かにその質問は正しい。イバラの世界がどうかは分からないけれど、こっちの世界だと一つだけ例外があるんだ」


「例外?」


「そう、例外。それは、『世界の意志』による『召喚』だよ。『世界の意志』により、世界を繋ぐ扉を一時的に解放すれば、異なる世界から人を呼び込む事が可能になる」


「今まで、これはただの推測だったが…実際、お前がこの世界に来た、と言うことはやはりこの説は正しかったようだな。…話を戻すが、次の問題だな」


「何故、この世界に来れた聖女が元の世界に戻れないのか。答えはとても簡単だ。イバラは『世界の輪廻』から外れたんだよ」


(また変な言葉が出てきた…)


「世界の輪廻って言うのは、イバラの世界にも僕達の世界にも存在している、世界が決めたルールみたいなものだよ」


『白崎茨』は、この世界に召喚された時点で『茨の世界の輪廻』から外れて、『ティオやルークの居る世界の輪廻』に新たに組み込まれた。とても分かりやすく、簡潔に言うのならば。


「イバラは僕達の世界に召喚されたことにより、僕達の世界の住人になったんだよ」


故に、白崎茨はもう元の世界には戻れない。彼女の生きる場所は、元の世界では無く、ティオやルークの居る『この世界』なのだから。

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