第4話 エマと初仕事
【エマの初仕事】
昨日エマが選んだ部屋でエマの着替えなどの準備を整えた俺は、隣で落ち着かない様子でたたずむエマに声をかけた。
「よし、エマ。出発するぞ働かざる者食うべからずだからな」
昨日の着の身着のままから一転、姉貴に選んでもらった動きやすいデニムパンツとパーカーを着込んだエマは、緊張交じりに小さく頷いた。
「……今日は朝からの出発ではないのですのね? あなたの仕事は午後から始まりますの?」
「おう。俺が主に運ぶのは港で揚がった魚だ。明日の朝イチの市場の競りに間に合わせるためにな、夜のうちに市場へ届けるんだ。他には野菜や養殖魚の餌の仕事もあるがまぁ後で覚えればいい」
バッグに自分の着替えを詰め込み、二人は屋敷を出た。
駐車場で俺達を待っていたのは、俺の相棒である大型トラックだ。
職人技が冴え渡る造りボディの箱車で、観音扉には繊細な桜柄のエッチングが施された桜ステンレスが美しく鎮座している。
太陽を浴びて各所の輝くメッキのパーツが眩しく光を弾き、圧倒的な存在感を放っていた。
『……改めて見ると、やはり恐ろしいほどの巨大さですわね。この後ろの銀色の扉……細かな桜の花模様が彫り込まれていて、工芸品のようですわ……』
エマは圧倒されながらも、桜ステンレスの繊細な輝きと輝くメッキのパーツ群に目を奪われていた。
「おう。俺の自慢の相棒だ。今日からこいつがお前と俺の相棒であり、足になる。乗り降りは高いから気をつけるんだぞ」
俺はキャビンのドアを開け、助手席へとエマを押し上げるようにして座らせた。シートに収まったエマは、高い視線と昨日は気づかなかった内装にに目を丸くする。
高級生地貼りの内装とシャンデリアに水中花のシフトノブそれはまるで城の一室の様でる。
「シートベルト締めろよ。カチッと言うまで差し込むんだ」
車内を見渡してキョロキョロしているエマの安全を確認し、運転席に乗り込んでイグニッションキーを回す。
ガシャコンと言う音と共にセルモーターが回り、ズドオンッ! という重低音とともに巨大なディーゼルV8エンジンが目を覚ました。大型トラックならではの重厚な振動が車体全体を揺らし、輝くメッキのパーツに反射するメーター類や、天井で揺れるシャンデリアが陽の光を色鮮やかに反射し光る。
暖気を終わらせエアブレーキのプシューッという豪快な排気音とともに、俺たちはまず港のへと向かって走り出した。
15分程の距離にある港に到着すると、水揚げされた魚の選別作業や出荷準備に追われる活気あふれる作業音が響いていた。
フォークリフトが走り回り、砕氷と一緒にきれいに箱詰めされた発泡スチロールのケースがずらりと並んで積まれていく。潮風と魚の独特な匂いにエマは少し鼻をひくつかせながらも、港の男たちが手際よく荷を運ぶ様子を助手席から興味深く見つめていた。
俺がトラックをバックで着け、観音扉を開いて積み込み作業に入ろうとすると、助手席のドアが開いた。
エマが「よし!よっと!」と声を上げて地面に飛び降りてくる。
「おいおいエマ、危ねぇぞ。大人しく乗ってろ」
『私だけただ見ているなんて嫌ですわ!働かざる者食うべからずですもの! この箱をあちらの銀の扉の中に運べば良いのですわね? 私もお手伝いしますわ!』
腕まくりをして意気揚々と積み上げられた箱へ向かっていくエマ。周囲の港の男たちが「おいおい、なんだあの綺麗なお嬢ちゃんは……?」と目を丸くしてどよめいた。
『これくらい、お城の訓練に比べれば造作も……ぬぐぐぐっ!? 重……重いですわこれ……っ!』
氷とぎっしり詰まった魚が入った箱は、見た目以上にズシリと重い。エマは小顔を真っ赤にし、華奢な手足をガタガタと震わせながら、一つの箱を必死で持ち上げた。
『わ、私はこれでも少しは王家の血を引く者……これしきの試練、乗り越えてみせますわ〜〜っ!』
よちよち歩きで必死にトラックの後ろへ回ると、プルプル震えながら箱を荷台へと置いたエマ。その瞬間、港の男たちから「おおーっ!」「やるじゃねえか、お嬢ちゃん!」と大きな歓声と拍手が巻き起こった。
エマは息をハァハァと切らしながらも、どこか誇らしげに胸を張り、ドヤ顔で俺を振り返った。
『ふふん、見ましたかあなた! 私の勇姿を!』
「大したもんだよ。……だが腰痛められたら困るからな、手袋着けてとりあえず俺の動きを見て段取りを勉強しろ」
「……っ、優しいところもありますのね。感謝しますわ!」
グローブボックスから手袋を取ってきて嵌めたエマと並んで作業を進め、やがて無事に箱いっぱいの積み込みが完了した。汗をかいてどこかすっきりとした表情のエマを助手席へと押し戻し、知り合いからの質問攻めに会う前に俺は走り出し夕暮れの高速道路へと滑り込んだ。
夜の八時を回った頃、俺たちは休憩を兼ねて大きなサービスエリア(SA)に滑り込んだ。
「積み込み頑張ったからな。夜食とご褒美の買い食いだ」
プレミアムソフトクリームと特大の豚串を差し出すと、エマの青い瞳が輝いた。
『これ……昨日テレビでやっていた冷たいアイスクリームというお菓子ですわね? 甘っ…労働の後の甘味は格別ですわ……!』
恐る恐るペロリと舐めたエマは、その濃厚さに頬を緩めた。甘いソフトクリームと、ジューシーで塩気の効いた豚串を口へ運ぶエマは、お姫様らしい気品を完全に忘れて夢中になっている。口の端にクリームをちょこんと付けたまま幸せそうに笑っていた。
「ついてるぞ、クリーム」
俺が指で拭ってやると、エマは顔を真っ赤にしてパッと距離を取った。
『な、生意気ですわよ馬車引きのくせに! 自分で拭けますわ!』
「はいはい。残さず食ったら行くぞ」
——深夜一時。目的地の卸売市場へトラックを滑り込ませる。
流石に不慣れな肉体労働が効いたのか、助手席を覗き込むと、エマはシートベルトに体を預けシートへ埋もれるようにしてすやすやと心地よさそうな寝息を立てていた。普段の強気な態度が嘘のように、無防備で可愛らしい寝顔だ。
「……初日から張り切るからだ」
俺は静かにキャビンのドアを閉め、起こさないように気をつけながら荷降ろし作業に入った。朝イチの競りに向け、全国から集まったトラック野郎や手伝いたちが活気あふれる声を行き交わせる中、手早くローラーを使い箱車から荷を降ろして納品を完了させた。
荷卸を終え伝票を貰ってきて、トラックを静かな近くの道路へ移動させエンジンを落とす。
「おい、エマ 奥のベッドで寝直せ」
肩をゆすると、エマは「んん……っ」と目をこすりながら体を起こした。
『あ……私、寝てしまって……荷降ろしのお手伝いは……?』
「大丈夫もう終わったよ。お前はよく頑張ったからな。ほら、奥の寝台いきな」
俺が運転席の後ろの寝台スペースのカーテンを開けると、エマは照れくさそうに感謝しながら、慣れた足つきでひょいっと寝台へ移動した。
『ふう……申し訳ありませんわ。……でも、ここはなんだか落ち着きますわね』
もはや自分の居場所になっている助手席から寝台のマットレスに腰を下ろし、毛布を膝にかけながらエマがフッと息を吐く。
「お疲れさん。体動かしたから疲れたろ」
『……いいえ。自分の世界にいた時は『常に立派であれ』と型にはめられ、誰とも心を通わせられませんでした
わ。……でも、数日ですがあなたと一緒に汗を流して、美味しいものを食べて……私、ただの『エマ』でいられる気がしますの』
毛布を顎まで引き上げ、暗闇の中で俺を見つめるエマ。
『ありがとう……あなたといる時間、本当は少しだけ……楽しいと思っていますわ』
「……柄にもねぇこと言うなよ。照れるだろ」
『なっ……! 人がせっかく素直に感謝してあげたのに! やっぱりあなたは意地悪なガサツ男ですわ!』
プイッと背を向けるエマだったが、その背中には温かい空気が漂っていた。
睡眠を取ってすっかり日の登った午前六、荷を降ろして空になった荷台を乾かしていた俺たちは、観音をしっかりと締め再び帰路の高速道路を走っていた。
助手席でエマは、ラジオから流れる現代のポップスに合わせて機嫌よく足を揺らしている。
『〜♪ 意外と悪くない歌ですわね。この世界の音楽は軽やかで』
「そうか? それ、たしか今週のヒットチャート第一位だぞ」
和やかな空気が車内に満ちていた。
何日か時が過ぎいつも通りの航海を終えて俺達は無事に地元へと戻ってきた。
一日で何百キロと走り込んできた愛車には、汚れがうっすらついている。
「よし、エマ。帰ってきたぞ。だけどガソリンスタンドへ寄ってこいつを綺麗に洗ってやらないとな」
俺は大型トラックが停められる広大な敷地を持つ、行きつけのガソリンスタンドへトラックを入れた。
ガソリンを入れ洗車に取りかかる前に、俺はシートの後ろから刺繍の入った真新しいツナギと白い長靴を取り出し、エマに差し出した。
「その綺麗な服だと汚れたり濡れたりするからな。こないだエマが寝てる時これ頼んでおいたんだ。車の中で着替えてこい」
『 これは確かツナギ?でしたかしら刺繍までお揃いですわね!』
車内で自分の体型にぴったりの小ぶりなツナギに袖を通したエマは、そういい嬉しそうに姿を確かめると、気合い十分で拳を握りしめた。
俺はエマが着替えている間に洗剤に洗車道具とバケツを道具箱から取り出し。洗車用の水道ホースを伸ばして準備すると、助手席から手袋を嵌めて降りてきたツナギ姿のエマが興味津々に目を輝かせた。
『洗車?……というものですのね? こないだテレビでやっていましたわ機械や乗り物を洗うのは大切な事なんだと、お城……いえ、私の領地でも馬のお世話のように大切にされていましたわ。私も手伝います!』
「おう、服を濡らさないように気をつけて、手袋も忘れるなよ」
俺は小さなスポンジとバケツ、カーシャンプーを渡した。
エマはツナギの袖をぎゅっと捲り上げ、バケツの中で泡立てたもこもこの泡をすくい取ると、トラックの輝くメッキバンパーへとおずおずとスポンジを滑らせた。
『まあ……! 洗剤を洗い流すと、この銀色のパーツがまるで鏡のように綺麗に反射しますわね……!』
「だろ? クルマは綺麗にしているほど良く応えてくれるんだよ」
ふと見ると、ツナギ姿のエマは位置の高いキャビンの窓ガラスやドア周りに届かせようと、つま先立ちになって一生懸命手を伸ばしている。
『ぬぐぐ……もう少し上……届きませんわ……!』
「無茶すんなって。キャビンの高いところやルーフは俺がやるから、お前は下の届くところだけでいいよ」
そう言って俺が洗車用の水道ホースを持ってトラックの足周りを流そうとブシャーッと水をかけると、はね返った水しぶきがエマに思い切りかかってしまった。
『ひゃああっ!? ちょっとあなた! どこに水をかけていますの!?』
「あっ、わりぃ! ははは、ずぶ濡れじゃねぇか!」
『な、笑い事ではありませんわ! お返しですわ〜っ!』
エマは泡だらけの手で俺の服にポンと泡を塗りつけてきた。
「おい! やったな!」
『ふふん、公爵家の娘を怒らせた報いですわ!』
スタンドの洗車スペースで、お揃いのツナギを水と泡で濡らしながら、二人は子どものように声を上げて笑い合った。いつの間にか、貴族としての矜持や見知らぬ場所への緊張は消え去り、そこには無邪気に笑う一人の女の子の姿があった。
ピカピカに磨き上がったトラックへ油を入れて家へ戻り、ツナギを脱いでシャワーを浴びてさっぱりした俺たち。
すっかり夕方になり、お腹の虫が盛大に鳴る。
「よし、今日は仕事も洗車も頑張ったからな。ガッツリ飯食うぞ」
俺はキッチンに立ち、手早く夕食の準備を始めた。今夜のメニューは、トラックドライバーのスタミナ源であり男飯の定番『特製豚の生姜焼き』と『具だくさんの豚汁』、そして山盛りの炊き立て白米だ。
フライパンから甘辛い醤油と生姜の香ばしい匂いが立ち込めると、ソファで髪を乾かしていたエマが鼻をくんくんさせながらキッチンを覗き込んできた。
『……なんという香ばしくて食欲をそそる匂いですの……! 肉を炒めている音もたまりませんわ……』
「はいよ、お待ちどおさま。体動かした後はこれが一番効くんだよ」
テーブルに料理を並べると、エマは目の前に置かれた山盛りのご飯と生姜焼きをジッと見つめた。
『この茶色いタレが絡んだお肉……そして、一昨日もいただいた真っ白な『お米』……いただきますわ』
箸をぎこちなく使いながら、生姜焼きを一口頬張るエマ。
次の瞬間、彼女の青い瞳がハッと大きく開かれた。
『……っ!! なんて濃密で、コクのあるお味……! お肉の旨味と、この甘辛いタレが……お米と合わさると、信じられないくらい美味ですわ!!』
ガツガツと勢いよくご飯をかきこむエマ。公爵令嬢らしい上品なマナーなどどこへやら、口いっぱいに頬張り、幸せそうに頬を膨らませている。
「落ち着いて食えよ、誰も取らねぇから」
『むぐ……だって、とっても美味しいのですもの! 私の家でもこんなに食欲を刺激するお料理は出ませんでしたわ!』
「そうか。お前の家は公爵家なんだろ? もっと豪華で美味いもん食ってたんじゃないのか?」
俺が尋ねると、エマは箸を止め、少し照れくさそうに微笑んだ。
『お屋敷のお料理は確かに見た目が華やかで豪華でしたわ。ですが……どれも規律やマナーに縛られていて、一口一口味わう余裕なんてありませんでしたの。……こんな風に、汗をかいた後に誰かと笑いながら食べる温かいご飯が、こんなに美味しいなんて……私、初めて知りましたわ』
「……そっか。まあ、俺の飯で良ければいくらでも作ってやるよ。おかわりあるぞ」
『本当ですの!? いただきますわ!』
お椀を差し出すエマの笑顔には、偽りのない温かな幸せが溢れていた。




