第3話 エマとコンビニ
【未知の生活とコンビニ】
俺達は、姉貴の家を発ち相棒のV8サウンドを響かせながら国道を走ること小一時間。俺が住む郊外の敷地にトラックを滑り込ませた。
「よし、着いたぞエマ。ここが俺の家だ」
エアブレーキのプシューッという排気音とともに俺がシートベルトを外すと、助手席のエマは身を乗り出して窓の外を凝視するように見つめた。
『……ここが? あなたの『城』なのですか……?』
「城なわけねぇだろ。じいさんから受け継いだただの古い民家だ。ほら、足元気をつけて降りろよ」
トラックのキャビンから降り、新しいスニーカーの履き心地に戸惑いながら着地したエマは、目の前に聳え立つ少し寂れてはいるが重厚な瓦屋根と重々しい長屋門を見上げて、心底信じられないといった顔で絶句していた。
『これが……家? 木と瓦と石でできているではありませんか。我が帝国の……その、家……何と言いますか……古めかしい砦の様ではありませんこと?』
「 独身のトラック野郎には持て余すくらいの家だよ! 嫌なら庭で寝るか?」
『な、何言ってるのよ! いい家ですわ!責任持って部屋まで案内しなさい!』
プイッと横を向くエマの手を引き、砂利を踏みしめて玄関の引き戸を開ける。
土間をくぐると、高い天井に極太の黒光りする梁が走り、奥には十五畳の広間。その片隅には男の一人暮らしらしく、広い板間の隅に洗った洗濯物の山と、畳んでない服が転がっている。
『……広すぎますわ。そして……何か独特の匂いがしますわね』
エマは鼻を小さくひくつかせながら、おずおずと靴を脱いで上が框に足をかけた。エマの飛び抜けた容姿と姉貴に買ってもらった白いニットとデニムのスカート姿は、家の中で浮きまくっている。
「畳だ。靴のまま上がったらぶっ飛ばすぞ。適当に座って待ってろ」
『たた……み? これは草でできた床ということですの?』
恐る恐る正座のように脚を折り曲げて畳の上に座ったエマは、手のひらで撫で回し、「あら……案外心地よい手触りですわね」と少しだけ表情を緩めた。
「お前、ずっと座ってたり移動したりで疲れてんだろ。そこでテレビでも見て待ってろ」
俺は床の間の横に置かれた大型液晶テレビのリモコンを持ち上げ、電源を入れた。
赤のライトがパッと緑色に変わると画面が光り、大音量でワイドショーのニュース番組が流れ出す。
『ひゃあぁぁぁぁっ!??』
エマは素っ狂ったような悲鳴を上げて跳ね起き、俺の背中に飛びついてしがみついてきた。細い腕が俺の腰を締め上げ、小刻みに震えている。
『な、何ですの今のは!? 額縁の中に人間が閉じ込められて喋っていますわ! どんな恐ろしい黒魔術ですの!!』
「魔術じゃねぇよ、テレビだよテレビ! 映像が映ってんだ!」
『て、てれび……? 画家が閉じ込められて瞬時に絵を描き直しているわけではないのですの……?』
「どんだけ神業の絵描きだよ! ほら、怖くねぇから落ち着けって!」
俺がリモコンで音量を下げると、エマは俺の背中から顔だけを覗かせ、恐る恐る画面を見つめた。画面の中ではお笑い芸人が体を張った企画でリアクションを取っている。
『……人間が……箱の中で動いている……。この世界の人々は、絵画の中に魂を閉じ込める魔法を使えるのですのね……恐ろしい物を見てしまいましたわ……』
「違ぇって言ってるだろ……。まあいいや、好きに理解しとけ」
ため息をつきながら、俺は台所でお湯を沸かし、上質な湯呑みに緑茶を淹れて縁側近くのちゃぶ台の上に置いた。
「ほら、お茶だ。飲め」
『……毒など入っていませんでしょうね?』
「入れるかアホ! 嫌なら飲むな!」
ジロリと俺とエマはお互いを睨みつけながらも、エマは湯呑みを両手で抱え、フーフーと息を吹きかけてから一口すすった。
『……苦い……知らない味けれど、後から口の中に爽やかな香りが広がりますわね。温かい……』
安堵したように息を吐くエマ。広大な庭園を臨む縁側から差し込む陽光の中、肩の力が抜け、緊張が少しずつ解けていくのが分かった。
「じゃあエマの部屋を決めるぞ。この屋敷、俺が普段使ってる居間と寝室以外は空き部屋だからな。好きな部屋選んでいいぞ」
唐突な俺の発言にポカンとしているエマだったがすぐに我に返って言った。
『えっ……? 私が自由に部屋を選んでよろしいのですの……!?』
「おう、どれでも好きに使いな」
俺がそう言うと、エマは一瞬パッと目を輝かせたが、すぐに「コホン」と小さく咳払いをして澄ました顔を作った。
『ふ、ふん! 当たり前ですわ! 貴族たるもの、自分の居室くらい自分で決めるのが当然ですものね!』
喜んでいるのが丸分かりな様子に思わず苦笑しながら、俺は屋敷の奥へとエマを案内した。
「まずここが、庭が一望できる一番広い和室だ。日当たりも良いぞ」
縁側に面した十畳の和室を見せると、エマは縁側へ走り寄り、庭園の池や庭石を眺めて声を弾ませた。
『まあ……! お庭が見えて素敵ですわね! 日差しも温かくて、ここでお茶を飲んだら気持ちよさそうですわ……!』
「お、ここにするか?」
『う……うーん……素敵ですけれど、窓が大きすぎて、夜になると少しお化けが出そうで怖いですわ……』
強がりつつも正直な感想を漏らすエマに、「可愛いところあるじゃねぇか」と心の中で笑う。
次に案内したのは、屋敷の西側にある八畳の落ち着いた客間だ。床の木目が美しく、落ち着いた雰囲気の部屋だった。
「ここは少し奥まった場所にある客間だ。静かだし、押し入れも大きくて荷物もたくさん入るぞ」
エマは部屋の中をキョロキョロと見回り、畳を踏みしめた。
『……ここも悪くありませんわね。静かで落ち着きますし、秘密の部屋みたいですわ……』
さらにいくつか部屋を見せてまわると、エマはある部屋の前でピタッと足を止めた。
それは、俺の使っている居間のすぐ隣にある、六畳ほどのこぢんまりとした和室だった。庭も見えて日当たりが良く、何より廊下を挟んですぐ隣に俺の気配が感じられる場所だ。
『私……ここが良いですわ!』
「ん? ここか? 他の部屋に比べたら少し狭いぞ?」
『い、いいのですわ! 広すぎるお部屋より、これくらいの方が落ち着きますもの! それに……その……』
エマは部屋着のパーカーの袖を指先でいじりながら、少し顔を赤くしてモジモジと呟いた。
『……何かあった時に、すぐ隣にあなたがいた方が……安心ですもの……』
消え入りそうな声で本音を漏らしたエマ
こいつ何かと俺のそばを選ぶよな…女の子なんだから自覚を持ってくれ…
「そっか。よし、じゃあ今日からここが『エマのお部屋』決定だな」
『べ、別に寂しいわけじゃありませんからね! たまたま日当たりが良かっただけですわ!』
慌てて赤い顔で言い訳するエマを横目に、俺たちは近所の店に必要な家具と布団を買いに行った。
畳の上に、新しいフカフカの布団をセットする。帰りがけに買った小さな机を置き、エマが気に入っていたウサギのクッションと、買ったばかりのスタンドライトを並べた。
殺風景だった和室が、あっという間に可愛らしい女の子の部屋へと様変わりしていく。
完成した部屋の真ん中にチョコンと座り、エマはウサギのクッションをぎゅっと抱きしめた。
『……ふわふわで、とっても居心地が良いですわ……』
部屋を見回すエマの口元は、隠しきれない笑みで緩んでいた。自分の部屋ができたことが、相当嬉しいらしい。
「どうだ? 気に入ったか?」
『……ふん。お城の私のお部屋に比べたら、豪華さは全くありませんわ。……でも、あなたの用意した部屋にしては、上出来だと褒めてあげますわ!』
そう言いながらも、エマは照れくさそうにクッションに顔を埋めた。
そしてリビングに戻ってきて時計を見るともう夕方。腹が減ってきた俺は、とりあえず近所のコンビニへ買い出しに行くことにした。
「エマ、晩飯の買い出し行くぞ。家にいるか、一緒にいくか?」
『い、行くに決まっていますわ! あなたみたいなガサツな男の家で一人にされたら、いつあの箱の中の悪魔に呑み込まれるか分かったものではありませんもの!』
「はいはい。じゃあ上着着ろ」
二人で家を出て、曲がり角を抜けたすぐ先にある大手チェーンのコンビニへ向かった。
夕暮れ時の静かな街道、行き交う自動車、ポツポツと灯る電柱の街灯——エマにとっては全てが未知の物体だ。
いちいち「あの光る柱は何?」「あの速い箱は馬車じゃないの?」と尋ねてくるので、俺はその都度「街灯」「車」と短く答えてやった。
そして、自動ドアが「ウィン」と音を立てて開いた瞬間、エマはまたしても固まった。
『ま、また…ドアが勝手に開きましたわ……! 姿が見えませんが風の精霊でも雇っているのですか!?』
「センサーだよ。いいから入れ、店員さんが変な目で見とる」
コンビニの店内は、夜のように明るい蛍光灯で照らされ、整然と商品が並んでいる。エマはその光景に圧倒され、俺の洋服の裾をギュッと掴みながらついてきた。
『何ですのここは……宝物庫ですの? 見たこともない極彩色の箱や袋が棚一面に立ち並んで……』
「ただのコンビニだ。好きなもん選べ。弁当にするか、パンにするか」
お弁当コーナーへ案内すると、プラスチック容器に入ったハンバーグ弁当や幕の内弁当、カツ丼がズラリと並んでいた。
『な……何ですのこれ!? 肉や野菜が透明な膜の中に閉じ込められていますわ! これも温かい状態なのですか!?』
「今は冷えてるけど、レジで電子レンジっていう魔法の箱に入れればすぐ熱々になる」
『電磁波……電子レンジ……魔法の箱……。この世界の人々は本当に怠惰なのか万能なのかわかりませんわね……』
エマは棚を物色し始め、やがて色鮮やかなデザートコーナーで足を止めた。
彼女の視線が注がれていたのは、イチゴが乗ったプレミアムプリンだ。
『……ねえ、あなた』
「なんだ?」
『こ、この……黄色くてプルプルした食べ物は……何ですの? まるで甘美な宝石のようですけれど……』
「プリンだ。甘くて美味いぞ。食いたいのか?」
『べ、別に食いたくなどありませんわ! 私はサングランド帝国の貴族ですのよ? そのようなチープな……チープなお菓子など……!』
チラチラとプリンを見つめる目が完全に「食いたい」と言っている。
「素直じゃねぇなぁ。ほら、買ってやるから」
俺はハンバーグ弁当ふたつと、お茶、そしてプリンを二個カゴに放り込んだ。レジで会計を済ませ、店員が電子レンジで弁当を温めるのをエマは「何ですのあの回る箱は!?」と目が飛び出るほどの勢いで見つめていた。
屋敷に戻り、温まった弁当とプリンを居間の重厚な座卓の上に広げた。
「ほら、食うぞ。冷めないうちに」
フタを開けると、甘辛いハンバーグのソースと米の匂いが部屋中に広がった。エマはお腹を「くぅ〜」と盛大に鳴らし、顔を真っ赤にして両手で腹を押さえた。
『い、今のは……! 庭で鳴いた虫の声ですわ! 私のお腹ではありませんからね!』
「分かった分かった。虫の声な。じゃあ虫の代わりに食え」
割り箸を渡すと、昨日のうどんの時と同じように持ち方が分からず苦戦していたので、俺はナイフとフォークを差し出してやった。
ナイフで小さく切ったハンバーグをフォークで口に運ぶエマ。
『……………………ッ!!』
一口噛んだ瞬間、彼女の瞳がキラキラと輝き出した。
『や……柔らかい……! 肉汁が……お口の中でじゅわっと溢れ出しますわ! この茶色いソースは何ですの!? お城の高級な肉料理よりもずっと……ずっと味が濃くて美味しいですわ!』
「だろ? コンビニのハンバーグ弁当をナメちゃ困るぜ」
『米という白い粒も……モチモチしていて甘くて……ああっ、止まりませんわ!』
さっきまでの高飛車なお姫様はどこへやら。エマはまるで小動物のように頬を膨らませ、夢中でハンバーグと白飯を交互に口へ運んでいく。その食べっぷりの良さは見ていて清々しいほどだった。
あっという間に弁当を平らげたエマは、「くはぁ……満足ですわ……」と重胃袋を押さえて座布団の上に倒れ込んだ。
「おいおい、食ってすぐ横になると牛になるぞ」
『うし……? 私は人間ですわ! 失礼なことを言わないでちょうだい!』
「冗談だ。ほら、別腹のプリン食うぞ」
冷蔵庫から冷やしておいたプリンを取り出し、スプーンと一緒に渡してやる。
エマは起き上がり、慎重にプラスチックのフタを剥がした。黄色いプリンの上に、トロリにかかったカラメルソース。
スプーンですくい、一口口に含む。
『………………………………あ』
エマの動きが完全に止まった。
「おい、どうした? 口に合わなかったか?」
『……な……何ですの……これ…………』
ぽろり、とエマの目から大きな涙の粒がこぼれ落ちた。
「えっ!? ちょっと待て、なんで泣いてんだよ!? 痛いところでもあったか!?」
慌てる俺に、エマは袖でゴシゴシと涙を拭いながら、首を横に振った。
『ち、違うわよ……! あまりにも……あまりにも甘くて……滑らかで……美味しくて……! 私……こんなに美味しいお菓子……生まれて初めて食べたわ……!』
冷たくて、甘くて、口の中でスッと溶けていくプリンの食感。一人見知らぬ土地で張っていた緊張の糸が、その甘さによって解けてしまったのかもしれない。
『お父様も……お城のコックも……こんな美味しいもの教えてくれなかった……。私……私、本当に遠いところに来ちゃったのね……』
涙をポロポロと零しながら、それでもスプーンを止めずにプリンを味わうエマ。
俺は黙って、彼女の頭の上に手を置き、ポンポンと優しく叩いてやった。
「大丈夫だ。俺がいる。お前が無事に帰れる方法が見つかるまで、いくらでもプリンくらい買ってやるよ」
エマは一瞬ハッとしたように顔を上げ、涙で濡れた紫水晶のような瞳で俺を見つめた。
そして、照れくさそうに顔を背けると、小さな声で呟いた。
『……変な奴。ただの粗野な馬車引きだと思っていたのにこうも私が……』
「なんか言ったか?」
『な、なんでもありませんわ! 早くそのプリンも私に越しなさい! 二個買ったのでしょう!?』
「図々しい奴だな! これは俺のだよ!」
『いいじゃないの! 私はお客様ですのよ!?』
笑い合いながらプリンを奪い合う二人。
広い庭の向こうから月明かりが静かにエマを照らしていた。




