4.逃亡ならず―2
その後わたしは、自棄気味に食事をお酒で流し込み、いつもより少々……いや、だいぶ酔った状態で話を始めた。
夢だったと思いたいところだが、ゆるくなりきった口からはいらないことも我先にと出て行った。
その度にちぃちゃんはにやにやと笑っていたが、それどころではないわたしは完全にスルーで、いやむしろ煽られるように話した。
「へぇ。それで淳季さんはそのまま帰ったんだ?」
「そう。でもおでこにキスした」
わたしは酔ったところで話し方が崩れることはない。
だからこの時も、会話を聞かなければ冷静に話しているように思われただろう。
地元の友人に言わせると、酔っていないように見えていきなり爆弾を投入してくるから未だに驚くそうだ。
ちぃちゃんも私のこの状態を見て、最初の数回はびっくりしたそうだが、今では慣れたものだ。完全に、分かっていて飲ませている!
「ほー。似非紳士もやりますねぇ」
ちぃちゃんはますます楽しそうに笑った。
「何? 似非って」
「それは、こっちの話ってことで。あ、キラ、アイスは? 食べなくていいの?」
「食べる。バニラ」
即答してから頬杖をついたわたしに、飲ませすぎたかと少し苦笑してから、ちぃちゃんはバニラアイスを注文してくれた。
お行儀が悪くてごめんなさい。
そう思いながらも、頭が重くなってきてしまい、今度は逆の手で頬杖をつく。
その時、ふと上司サマに連れて行ってもらった店の白玉クリームあんみつを思い出した。
「あれは美味しかったなぁ」
「ん? 何が?」
言葉にしていないと思っていたことに返事があり、少しばかり驚いたが、酔った頭はそれすらもゆっくり伝えてくる。
最終的には“まぁいいか”という気分に落ち着いた。
「上司サマに連れて行ってもらったとこのあんみつ。あのお綺麗な顔で“白玉クリームあんみつ”とか言うからびっくりしたんだけどさ」
また食べたいな、と言うわたしを、ちぃちゃんは意味ありげな顔で見てきた。
「なんか、のろけみたいですねぇ? 綺羅子さん」
「違いますよ、千比呂さん。上司サマが重要なんじゃなくて、あんみつが重要なの。ほんとに美味しかったんだから」
「まぁ、そういうことにしとくわ。ほら、アイスきたよ」
「ありがと」
そう言ってアイスを一口食べる。
気のせいかもしれないが、少し頭がさっぱりした感じがした。
「……それで、キラはどうして淳季さんと結婚したくないの? 今話を聞いてると、キラにとっても悪い話じゃないと思えるんだけど」
「んー……」
わたしはもう一度アイスを口に運んだ。
「そうだなぁ。確かに、悪い話ではないんだと思う」
頭がはっきりしてきたのは、気のせいではなかったらしい。
自分でも驚くことに、もうほとんど酔っている感じがしなかった。
「でも、悪い話ではないからと言って、結婚なんて。わたしにだって好みくらいあるし」
「そうは言っても……キラは“そんなに結婚に夢を持つタイプじゃない”って、自分でも言ってたじゃない。それに、お見合いなんて妥協と打算でしょ? それを考えたら淳季さんってすごくお買い得じゃない?」
その言葉に、わたしはついふき出した。
不思議そうな顔をするちぃちゃんに、笑いながら答えた。
「上司サマも言ったの。“お買い得だと思う”って。はは、さすが親戚ですねぇ」
「……親戚じゃなくても、誰もがそう思うわよ……。淳季さんの人気っぷり知らないの?」
ちぃちゃんは呆れ顔だ。
「もちろん、存じ上げておりますとも。一応、社長秘書ですからねぇ」
思い出そうとしなくても、自然と浮かんでくる様々な事件……
やめよう。アイスがまずくなる……
「まぁ、キラが苦労してたのは知ってるけど……」
遠くを見つめたまま口元にうっすら笑みを浮かべたわたしに若干引きつつ、ちぃちゃんは“わたしが悪かったからその顔をやめなさい”と言った。
「兎に角、わたしは上司サマと結婚する気はないから。お買い得だろうが、セール品だろうが! 本能がそう言ってるの。どんなにいい男でも、気持ちが恋愛方向にさっぱり動かないんだから仕方ないでしょう? そもそも、わたしは年下が好きなの。上司サマみたいに何でも出来る人じゃなくて、少し抜けててかわいい感じの。わたしを頼って甘えてくれて、一緒に頑張ろうって言えるような人が良い」
言い切ってから、最後の一口になったアイスを含んだ。
わたしとしては、これでこの話はおしまい! と言ったつもりだった。
相談に来たはずが、いつしか上司サマを薦める言葉しか言わなくなったからだ。
しかし、ちぃちゃんは少し考えるように間を置いてから、こう言った。
「それって、本心?」
わたしはすかさず答えた。
「もちろん。わたし、完璧な人って苦手だから」
「どうして?」
「息が詰まる。わたしは、自分がだめな人間だってことを嫌というほど分かってるからね。自分と比べて、あまりにも優れている人に恐れを抱くのって、ごく普通のことだと思うけど。ほら、王様と一緒に暮らすって考えたら、ぞっとするでしょ?」
「王様だって同じ人間よ」
「同じだから、怖いんでしょ。同じ人間のはずなのに、こんなにも違う。個性だなんて言い切れない確かな優劣がある。だから人は妬んだり羨んだりするんでしょ? 明らかに敵いっこない人物に出会って、教えを請うのが正しいって言うの? まぁ、それが仕事だったらそうかもしれない。でも、自由にして良い時間までそんなことしたくない」
「気持ちは、分からないでもないけど」
「じゃあ、わたしが社長と結婚したくない理由も分かってくれるでしょ?」
「……ううん、それとこれとは別よ」
「どういうこと?」
わたしが訊ねると、ちぃちゃんは困ったようにしながら言った。
「分からない?」
「……分からない」
わたしは、テーブルの手前の角を見た。
少しして、ゆっくりと息を吐く気配がした後、ちぃちゃんが静かに口を開いた。
「キラは、淳季さんを見ていないよね。キラが怖いのは、淳季さんじゃなく“完璧な人間”でしょ?」
「同じ、ことじゃない」
「全然違うわ」
「でも、」
「でも、じゃない。そもそも、キラが年下好きって言うのは……あんまり良い言い方じゃないかもしれないけど、コンプレックスからでしょ? 自分より弱い立場の人間の方が安心できる。自分を傷つけないからね。でも、考えてもみなよ。言っちゃ悪いけど、キラより年下でキラよりしっかりした男は世界中を見れば山ほどいるよ。人の好みをとやかく言うつもりはないから、“年下の可愛い男”っていうものを話の上での一種の記号として扱ってるなら良いんだけど、キラはちょっと違う気がするんだ。キラの中では、実在する人物も記号化されてる。だから、今までの人とも続かなかったんじゃないの?」
最後の一言を、ちぃちゃんはこちらを窺うように、しかしはっきりと口にした。
確かに、そうかもしれない。
言われたこと全てを消化できたわけではないが、今までの恋人に関しては、おそらく彼女の言う通りだ。
“キラさんは、僕じゃなくてもいいんじゃない?”何度か言われた覚えのある言葉だ。
その度に“そんなことないよ”と返していたと思うが、果たして本当に彼らが唯一無二の存在だったかと改めて問われると、答えられない。
だからこそ、ちぃちゃんの言葉にショックは受けたが、あっけないほどすんなり入ってきたのだろう。
「淳季さんは、キラが“仕事を続けたい”って言ったのを聞いて、提案してくれたんでしょ? だとしたら、恋愛感情はどうか分からないにしろ、そこに好意は存在すると思うな」
わたしは無言で頷いた。
「だから、もう少しちゃんと、考えてみたら?」
「うん……」
「淳季さんがキラを女の子として好きか、と言われたらちょっとわたしも分からない部分があるけど、少なくとも、かなり気に入ってはいると思う……と、親戚としてこれだけは言っておこうかな!」
ちぃちゃんはそう言っていたずらっぽく笑った。
「どうして?」
わたしが訊くと、ますます笑みを深めながら答えた。
「あの淳季さんが“結婚しろ!見合いしろ!”攻撃から逃れるためだけにこんな提案すると思う? ましてや、キラを引き止めるためだけにこんな提案すると思う? あの人なら、もっと違うやり方を思いつくだろうと思わない? しかも……かなり本気で落としにかかってるみたいだし?」
「さあ……わたしには、よく分からない」
楽しそうなちぃちゃんに、わたしは苦笑した。




