手紙と神棚。そして、それから
雨が、しとしとと降っております。
ぴちょん…と水が跳ねる音が、私の足元で一つ立ちました。
傘を差し、家へと向かう帰り道。その私の足を止めたのは、小さな小さな鳴き声でした。
「……何や?」
みー、と足元で声がしたのです。見下ろすと、真っ白な子猫がダンボールの中におりました。
箱の中、じっと私を見上げて来る藍玉色の目。
よく見ようと顔を近づけると、たし、と前足で顔面を叩かれました。
「何ばしよっと」
ぺい、とその小さな手を払いのけて睨みますと、ふしっ、と子猫が鼻を鳴らしました。
媚びる様子なんて、これっぽっちもありません。むしろ、拾わせてやろうと言わんばかりの態度です。何と言う態度の大きさでしょう。
「私、アンタみたいな猫知っとうわ……」
気が強くてプライド高くて、でも猫っぽい身勝手な奴ですよ。両手を伸ばし、ひょいとその体を持ち上げて、私はにっこりと笑ってみせました。
「ヨミ。アンタの名前はヨミやで」
その時です。
後ろから影がさしたのは。
「ああ、拾う方がいたんですね。ここに白猫がいるって話を聞きまして、拾おうと思って来たんですが……」
そんな、歌うような通りの良い声に振り返って、私はその場で固まりました。
「ナギ!?」
「あれ、名乗りましたっけ? 凪原って」
「あ、いや……何というか、ナギっぽい顔って言うかですね」
どんな顔かとツッコまれても困ります。ですが、こんな美人さん他に知りません。
とにかく、傘+コンビニ袋+腕に抱えた黒猫って組み合わせがえらいミスマッチです。
そんな私には構わず、にこにこと笑顔で言葉を続けるナギ、もとい凪原さん。
「最近、祖母の花屋を継ぐために、こっちの地方に越して来たんですよ。それで、昨日この猫拾って。キョウって名前つけたんですけど、似合いますかね?」
ほら、と差し出された猫は見覚えあるあるありまくる。
似合うも何も、どう見てもキョウです。姿かたちは違いますが、キョウです。
「あー、えと、その。似合うと思います」
何だか懐かしくて、嬉しくて、思わず笑顔になる私。
そのとたん、じたばたと暴れたヨミが、ひょいっとナギの胸元に飛び込みました。
時を同じくして、キョウが、私の胸に飛び込んで来ました。
「おや、逆が良かったですかねえ」
と笑い出したのは凪原さん。
それにつられて笑う私の上に、雲間の青空が見え始めていました。
◇ ◇ ◇
某月某日、晴れの朝。
「ぎょああああああ!?」
寝起き一発、私は心より絶叫しました。
だって、だって枕元に芋虫が! い も む し が !
「キョウ! 昨日『捕って来んでええ』って言うたやん! 私は芋虫食わんっちゅーねん!」
それこそ、私のほうがイモムシのように、ごろんごろんと寝返り退避です。
ええ、気持ちはありがたいですよ。でもね、セミとかネズミとかイモムシとかね!
鮮度抜群でうねうねされてても、私は御免です。絶対にイヤ! です。
「私やなくて、ヨミにやりいや! それ!」
それ、とイモムシを指で示してもう一回転。それからチラリとヨミを見ると、何やら澄ました顔で座っておりました。その目の前には、先日拾ってきた子犬が一匹。
そんな子犬に、前足でぺしぺしと床を叩きつつ、みーみーにゃーにゃー偉そうに鳴くヨミ。もう、すっかり大人の猫です。すらりとしたスタイルの美猫さんです。
そして、どうやら子犬に何かを説教しているようなのですが、
「あっ」
じゃれつかれて埋まりました。昨日と同じパターンです。
ヨミが、「決して出られないわけではない」とでも言いたげに犬の腹下で澄ました顔をしておりますが、自力脱出不可能なのは明らかです。
「アホや……」
また、後で助けてやらんとだめですね。
そんな事を思いながらしみじみ眺めていると、すっと引き戸が開きました。
「あ、起きてました?」
「起きたっつうか起こされたっつうかな。ちょいと神棚に行く用事があるから、一緒来て」
今日で一年目になりますから、記念報告なのですよ。
もちろん、例の神棚に、です。
「よし、準備オッケー。行こか」
「そうですね」
お手紙持って、いざ出発。
山頂めざしてレッツゴウ。
◇ ◇ ◇
シキへ。
お姉さんと元気でやっとりますか? 私はこちらで元気です。
私、ナギの彼女になりました。ナギは郷を覚えていませんけど、間違いなくナギです。
今日で付き合って一年目になります。
歌うような声で、さらりと愛の言葉とか紡がれるのには、いつになっても慣れません。そのたびに耳がこそばゆいです。ナギは大真面目なので、余計に途方にくれます。
あ、ヨミも元気です。猫です。キョウも元気です。こっちも猫です。
いつか、そちらの様子も聞かせて下さいね。
──味噌と蒟蒻の代のフクより。
「これでよし」
手紙をたたみ、神棚に入れて扉を閉じます。
と、腕にヨミとキョウを抱えた凪原さんが首をかしげました。
「何を入れたんです?」
「ん? ちょいとしたお手紙や。さ、戻るべ。雨降ってきそうな天気だしな…」
その時です。
ぶわっ! と髪がオールバックになるほどの突風が吹いたのは。
「ちょ!?」
あわてて振り返ると、凪原さんもキョウもヨミも巻き込まれておりました。
吹き上げられた木の葉のように、くるくると宙を舞う私達。
その暴風の中、ぐんぐんと近付いて来るのは、あの時と変わらない農村の風景。
そこの畑に、三匹の犬と、私そっくりな誰かと、その側に立つきりっとした美人さんが見えました。
「ああ…」
美人さんは育ったシキです。懐かしい本堂までもが見えて来ました。
横を見れば、一緒にぶっとばされた皆の姿も変わっておりました。
凪原さんはナギに、猫二匹はキョウと、ヨミに。
帰って来た、というか、また来れた、と言うか。
とにかく、とにかく一年ぶりの神の郷です。みんなが見えます。
懐かしい顔があっちにも、こっちにも!
「ただいまー!」
郷に飛び込みながら、万感の思いでそう叫びます。
直後、私を含めた4人が畑に着弾して、花火の代わりの土ぼこりを高々と青空に舞い上げる事となりました。