第三章 人間
人間とは何なのか。
考えれば考えるほど、分からなくなります。
同じ人間であるはずなのに、価値観も、感情も、見えている世界も違う。
今回は、そんな“人間”についての持論を書きました。
不確定要素の塊。
それが人間である。
我々は、
自らを“人間”と呼ぶ。
だが、
それは特別な称号ではない。
偶然だ。
ただ偶然、
他の生物より少しだけ知能が高かった。
ただ偶然、
群れる能力に長けていた。
ただ偶然、
生き残る為に醜く足掻き続けた。
その結果、
生物の頂点へ立った。
それだけの話である。
もし頂点に立ったのが虎ならどうだ。
カピバラならどうだ。
彼らは、
自らを“人間”とは呼ばないだろう。
だがきっと、
自分達こそ特別だと思ったはずだ。
「自分達が世界の中心だ」と。
そう考えると、
人類とは実に滑稽である。
偶然勝ち残っただけの生物が、
自らを選ばれた存在だと思い込んでいる。
笑えるほど傲慢だ。
だが、
本当に滑稽なのはそこではない。
人間は、
人間のことが分からない。
同じ人間という言葉で括られているにも関わらず、
我々は他人を理解できない。
理解した“つもり”になるだけだ。
当然である。
人間は不確定だからだ。
同じ景色を見ても、
意味は変わる。
同じ言葉を聞いても、
受け取り方は変わる。
同じ出来事を経験しても、
記憶は変わる。
景色は角度で変わる。
音は感性で変わる。
思考は、
一秒ごとに変わり続ける。
ならば、
人を完全に理解するなど不可能である。
人に、
人の気持ちは分からない。
完全には。
だから人は足掻く。
会話をする。
表情を読む。
行動を観察する。
心理学を学ぶ。
少しでも、
他人を理解しようとしてしまう。
その必死な行為を、
私は嫌いになれなかった。
なぜなら私自身、
人を理解したい側の人間だからだ。
だが、
理解したいと思うことと、
人が得意であることは別だった。
私は、
正直に言って人が苦手だ。
平気な顔で責任を押し付ける先輩。
準備不足で現場を止めても、
どこか他人事みたいに笑う上司。
向上心のない同僚。
何度同じミスをしても、
危機感の薄い後輩。
私は、
そういう人間を理解できない。
もちろん、
彼らは私にないものを持っている。
柔らかさ。
人と混ざる才能。
曖昧さを受け入れる力。
時々、
羨ましいと思う。
だが同時に、
ああはなれないとも思ってしまう。
正直に言って、
新人教育は嫌いだった。
人によって、
理解する速さが違う。
同じ説明でも、
すぐ覚える人間もいれば、
何度言っても伝わらない人間もいる。
だが一番分からないのは、
「どこで躓いているのか」が、
私には分からないことだった。
結局、
他人の頭の中など見えない。
人は、
大きな絶望で壊れるわけではない。
指を切った。
言葉を噛んだ。
予定が狂った。
相手の反応が少し冷たかった。
本当に、
たったそれだけだ。
だが、
“そんなこと”だから壊れるのだ。
理解されない小さな痛みは、
静かに人間を削っていく。
ある日、
出勤早々に泣いている後輩を見た。
周囲は慌てて声を掛ける。
「大丈夫?」
後輩は、
涙を拭きながら言った。
「大丈夫です」
想像通りの答えだった。
私は、
何も言えなかった。
昔の自分を見ているようで、
言葉が出なかったのだ。
結局、
後輩は早退した。
周囲は言う。
「なんでなんだろう」
「一日寝れば大丈夫だろ」
その言葉が、
どこか軽く聞こえた。
だが同時に、
そう感じてしまう自分にも嫌悪感があった。
私は、
勝手に後輩へ自分を重ねていた。
理解した気になっていた。
特別になった気でいた。
その姿が、
ひどく醜く見えた。
それ以降、
私は後輩を見る癖がついた。
声の大きさ。
笑う速度。
黒目の動き。
目線。
小さな変化ばかり気になる。
時には、
「サボるぞ」と無理矢理休憩室へ連れて行った。
後輩は困った顔で笑っていた。
その顔を見ながら、
私は時々分からなくなる。
私は本当に、
後輩を心配しているのだろうか。
それとも、
壊れかけた人間に気づける自分へ、
酔っているだけなのだろうか。
後輩の変化に気づけることを、
どこか誇らしく思っている自分がいた。
その感覚が、
少し気持ち悪かった。
微熱のまま出勤する後輩を見ると、
昔の自分を思い出す。
無理をすることが、
正しいと思っていた頃の自分を。
だが社会は時々、
そういう壊れ方を真面目と呼ぶ。
私は、
それが少し怖かった。
結局、
どれだけ顔を見ても、
どれだけ言葉を聞いても、
他人の中身など分からない。
理解できないから、
人を観察してしまう。
昔からそうだった。
私は学生の頃、
一人でいることが多かった。
昼飯は一人で食べる。
授業は、
黙って座っていれば終わる。
部活も、
メニューをこなしていれば日が落ちる。
それで十分だった。
一人で帰る道は、
嫌いではなかった。
風は心地よく、
耳は好きな音だけを拾う。
疲れた身体ですら、
どこか落ち着いていた。
そんなある日、
友達ができた。
学校で一緒に行動し、
帰り道も賑やかになった。
悪くないと思った。
いや、
楽しかったのだと思う。
私には、
出来すぎた友人だった。
だが同時に、
私は一人の時間も手放せなかった。
誰かといると、
私は合わせてしまう。
笑うタイミング。
歩幅。
目線。
帰り道。
気づけば、
少しずつ自分が薄くなっていく。
だから私は、
時々一人になりたくなるのだと思う。
人が嫌いなのではない。
ただ、
人といると、
自分が分からなくなる時があるのだ。
矛盾している。
だが、
それが人間なのだと思う。
分かり合えない。
だが、
分かろうとしてしまう。
孤独になる。
だが、
他人を求めてしまう。
我々は、
不確定要素の塊だ。
だからきっと、
この先千年経とうが、
一万年経とうが、
人類が完全に分かり合う日は来ない。
少なくとも私は、
まだそんな瞬間を見たことがない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
人間は、とても不安定な生き物だと思っています。
理解したいと思いながら、理解できない。
分かり合いたいと思いながら、分かり合えない。
それでも人は、他人を求め続ける。
その矛盾こそが、人間らしさなのかもしれません。
次章では、「愛」について書いていきます。




