第二章 社会
社会という言葉は、とても曖昧です。
学校、会社、家族、人間関係。
人は様々な場所で“社会”というものに触れながら生きています。
今回は、そんな社会についての持論を書きました。
社会とは何か。
私見では、
それは“源泉”である。
金銭。
食料。
住居。
居場所。
安心。
人間が生きるために必要なものは、
すべて社会から流れてくる。
つまり我々は、
生まれた瞬間から社会へ依存している。
実に皮肉な話だ。
人は時折、
自分一人で生きているような顔をする。
だが実際は違う。
食料一つを取ってもそうだ。
誰かが育て、
誰かが運び、
誰かが売る。
住居も同じである。
誰かが建て、
誰かが管理し、
誰かが修理している。
結局、
人は社会から切り離されれば生きていけない。
どれほど優秀な人間でも、
それは変わらない。
時々、
人はこう言う。
「嫌なら働かなければいい」
「引きこもればいい」
「生活保護で生きればいい」
論外である。
引きこもりには、
家族という社会が存在する。
生活保護には制度があり、
それを支える人間がいる。
つまり、
それもまた社会なのだ。
完全に孤立した人間など存在しない。
人は必ず、
誰かによって生かされている。
社会の最小単位は二人である。
一人では、
社会は成立しない。
そして多くの人間は、
十八歳を過ぎた頃に社会へ放り出される。
早い者なら十歳。
あるいは、
それ以前だ。
幼い頃から、
社会を知ってしまう人間もいる。
夕暮 桜も、
十九歳の頃に工場で働いていた。
ちょうど、
コロナが広がっていた時期だったと思う。
当時の私は、
仕事へ妙な熱意を持っていた。
自分の部署で信頼されることが、
嬉しかったのだ。
社会に必要とされる感覚は、
人を簡単に麻痺させる。
必要とされるというだけで、
人は自分の限界を見失う。
だが、
コロナで人が辞めていった。
納期は減らない。
仕事だけが増えていく。
残業。
休日出勤。
気づけば、
馬車馬みたいに働いていた。
その頃の私は、
まだ一人前と呼べるほどではなかった。
それでも、
必死に食らいついていた。
社会は、
努力する人間を嫌いではない。
むしろ好む。
壊れるまで働く人間ほど、
評価しやすいからだ。
だがある日、
部署異動を言い渡された。
今思えば、
あそこが始まりだった。
慣れない職場。
最低限の人数。
知らない作業。
知らない機械。
また一から覚え直しだった。
朝礼の一時間前に出勤し、
怒られない程度に仕事を覚える。
休憩時間も返上した。
残業は、
長い時で四時間。
それが週五日続く。
定時で帰れるのは、
休日出勤の日だけだった。
朝、
目覚ましで目が覚める。
身体が重い。
鉛でも詰め込まれたみたいに、
腕が動かなかった。
生きていることに、
小さくため息が漏れる。
食欲はない。
缶コーヒーだけを流し込み、
作業着へ袖を通した。
今日も頑張らないと。
頭の中で、
何度もそう繰り返す。
辛い。
今日は二十二時には帰れる。
いや、
労働基準法に引っかかるから、
二十時かもしれない。
そんなことばかり考えていた。
社会とは不思議なもので、
限界の人間ほど、
正常を演じ始める。
壊れていると認めた瞬間、
社会から落ちる気がするからだ。
だから人は、
笑う。
誤魔化す。
大丈夫だと言い続ける。
小さなミスが、
頭の中に残り続ける。
寝ても消えない。
気づけば、
次の失敗のことばかり考えていた。
帰り道、
スーパーへ寄る。
惣菜コーナーは空っぽだった。
売れ残ったカップ麺だけが並んでいる。
それを見ながら、
私は時々思っていた。
社会とは、
遅れた人間から順番に、
選択肢を失っていく場所なのかもしれないと。
静かな夜道を歩く。
工場地帯の夜は、
妙に音が少ない。
自販機だけが白く光っている。
時々、
家賃を払うためATMへ向かう。
だが、
目の前でシャッターが閉まる。
たったそれだけのことなのに、
世界から拒絶されたみたいな気分になった。
人間は、
追い詰められると、
物事を正常な大きさで見れなくなる。
それでも、
上司は私を評価した。
「夕暮なら大丈夫」
「次はこれも覚えてみようか」
仕事が増える。
責任が増える。
社会は、
壊れかけた人間にも平等に仕事を与える。
むしろ、
壊れそうな人間ほど、
真面目に働くことを知っている。
だが私は、
笑って頷くことしかできなかった。
「はい、大丈夫です」
気づけば、
それしか言えなくなっていた。
大丈夫。
まだ壊れていない。
正常だ。
そうやって、
毎日自分へ言い聞かせていた。
だが本当は、
とっくに限界だったのだと思う。
朝、
目が覚めた瞬間、
涙が出ていた。
理由は分からなかった。
ただ、
会社へ行かなければならない。
そう思った瞬間、
息ができなくなった。
私はその日、
逃げるように会社を辞めた。
当時は、
逃げたのだと思っていた。
社会から。
責任から。
仕事から。
だが今なら少し分かる。
あれは逃亡ではなく、
生存だったのだ。
工場を辞めた後、
私はいくつかのアルバイトを経験した。
清掃。
接客。
簡単な事務作業。
知らない仕事を、
少しずつ覚えていった。
まるで、
壊れた自分を組み直すみたいに。
久しぶりに会った友人は、
私の顔を見るなり泣いた。
「なんで相談しなかった」
そう言われても、
当時の私は上手く答えられなかった。
ただ、
自分が思っていたより壊れていたことだけは、
その時初めて理解した。
短い長期休暇は、
日常を少しだけ綺麗に見せた。
スーパーの惣菜コーナーには、
食べ物が並んでいた。
店の中には、
人が溢れていた。
社会には、
こんなにも人がいたのかと驚いた。
朝、
目が覚める。
財布に金がないことを思い出し、
ATMへ向かう。
だが、
シャッターは閉まっていなかった。
そんな当たり前のことに、
少しだけ安心した。
行けなかった朝マックを食べた。
それだけなのに、
少し美味しく感じた。
社会は今でも怖い。
冷たい。
巨大だ。
人一人が壊れた程度では、
止まりもしない。
だが、
だからこそ思うのだ。
壊れる前に、
逃げてもいいのだと。
「大丈夫です」だけで、
生きなくてもいいのだと。
社会の源を受けながら、
自分を守る方法を探してもいい。
生きるために。
壊れないために。
捨てられないために。
時には、
逃げることも必要なのだと。
今では、
そう思っている。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
社会というものは、人によって見え方が大きく違うと思っています。
誰かにとっては安心であり、誰かにとっては恐怖でもある。
ただ一つ言えるのは、人は完全に社会から切り離されて生きることは出来ない、ということです。
次章では、「人間」について書いていきます。




