対峙する三人と、ひとつ
誘い込まれるように。
三人は教室へと入った。
放課後の教室は、がらんとしていた。
椅子が、きちんと机に上げられていない。
誰かが慌てて出ていった痕跡。
古林栞奈は、引き寄せられるように窓際へ立った。
斎藤万央は、教壇の前へと進み出る。
善野亘は、出入口に近い位置に立っている。
三人の距離は、絶妙に噛み合っていない。
栞奈だけが、中心から少しずれている。
(……まただ。この感じ)
話が、自分の知らないところで進んでいく。
万央と善野の会話が、低く交わされる。
専門用語。
判断。
対応。
栞奈には、よく分からない。
でも。
(……斎藤さん。私を見てくれない)
視線が、何度も教壇の方へ向かう。
万央は、気付いていない。
それが、余計に怖い。
影が、教室の後方で濃くなる。
誰にも触れない位置。
でも、栞奈の不安だけを拾う。
――大丈夫。
――ちゃんと見てる。
その言葉が、栞奈の胸に染み込む。
(……嘘。でも、嬉しい)
「古林さん」
善野が、声を掛けた。
栞奈は、びくりと肩を震わせる。
「はい」
返事が、早すぎた。
「今、ここにいて不安ですか」
質問は、簡単。
それでも。
答えは、簡単ではない。
栞奈は、一瞬万央を見た。
万央は、ようやく視線を向ける。
それだけで、胸が熱くなる。
(……やっぱり、見てほしい)
「……少し」
正直に言った。
善野は、頷く。
「それが普通です」
影が、その言葉に反応し、わずかに揺れる。
(……違う。普通、じゃない)
栞奈は、思う。
自分の不安は、“普通”より少しだけ深い。
「斎藤さん」
栞奈は、思い切って呼んだ。
「……私」
言葉が、続かない。
何を言えばいいのか分からない。
でも。
(……置いていかないで)
その感情だけが、はっきりしている。
影が、一歩近付く。
――置いていかない。
――君は必要だ。
その瞬間。
栞奈の目が、少し潤んだ。
万央は、それに気付いた。
「……古林さん」
声が、柔らかくなる。
影が、万央に反応する。
近付く。
寄り添う。
――この人なら。
善野の足が、半歩前に出た。
(……来る。一番まずい形で)
栞奈は、万央の表情を見て、確信する。
(……あ。斎藤さん。私のために、一人で引き受けるつもりだ)
その瞬間。
栞奈の胸に、初めて違う恐怖が生まれた。
(……それは、もしかして。私の居場所を、奪う……?)
影は、静かに満足そうに揺れる。
三人は、同じ教室にいる。
だが。
それぞれが見ている“居場所”は、完全にずれていた。
最初に変わったのは、“距離”だった。
影は、もはや隠れなくなった。
教室の後方、黒板の反射にわずかに滲む。
誰の影とも重ならない。
それでも、“いる”と分かる。
斎藤万央は、息を止めた。
(……今)
今までの違和感と、決定的に違う。
“見せている”。
そう理解した。
――分かった。
――君は分かる人。
影の輪郭が、少しはっきりする。
栞奈は、それを見ていない。
ただ、空気が変わったことだけを感じる。
善野は、迷わず一歩踏み込んだ。
「……斎藤さん」
低い声。
制止。
だが、間に合わなかった。
影は、万央の足元へ伸びる。
触れない。
だが、逃げ場を塞ぐ。
――ここなら安全。
――君がいれば。
万央の胸が、強く締め付けられる。
(……だめ。これは、“頼られている”)
かつて、何度も失敗した。
救えないと分かっていながら、引き受けてしまう。
「……違う」
小さく呟いた。
影が、一瞬揺れる。
――違わない。
――君は拒まない。
その言葉に、善野の表情が硬くなる。
「……拒む権利はあります!」
言葉を被せる。
影が、初めて善野を“見た”。
――邪魔。
その感情が、はっきりと伝わる。
空気が、重くなる。
栞奈が、ようやく異変に気付いた。
「……なに、これ」
視線が、三人の間を彷徨う。
影は、もう栞奈を見ない。
選び終えたからだ。
――この人。
――この人だけ。
善野は、はっきり感じ取る。
(……管理。守るふりをした囲い込み)
それが、この怪異の“本質”。
「斎藤さん」
善野が、万央の肩に手を伸ばす。
その瞬間。
影が、鋭く反応した。
教室の空気が軋む。
――触るな。
はっきりとした敵意。
万央は、息を詰める。
戻れないライン。
善野は、手を引かなかった。
代わりに、位置を変える。
万央と影の間に、半身割って入る。
「……線を越えました」
静かに、しかし断定的に。
影が、善野を完全に捉える。
――排除対象。
その判断が、教室に落ちた。
栞奈の喉が、鳴る。
(……私)
(これ)
(私のせい?)
影は答えない。
もう、選んだから。
万央は、善野の背中を見て、初めて悟った。
(……私、このままだとまた、同じことを……)
影が、その迷いを待っている。
受け取る準備をしている。




