丁度いい距離感
古林栞奈は、自分の声が思ったより小さいことに気付いていた。
(……ほら)
(やっぱり)
誰かに助けを求めると、自分が情けなくなる。
一年前。
斎藤万央に助けられた時も、そうだった。
怖かったのは、怪異じゃない。
「私が弱いって思われること」
それを、一番恐れていた。
でも。
万央は、一度もそういう目で栞奈を見なかった。
困っている人を見る目と、困らせている原因を見る目を、きちんと分けていた。
(……だから)
(この人なら)
そう思ってしまう自分が、今は少し怖い。
頼ってしまう。
また、甘えてしまう。
助けられた側は、助ける側の負担を想像できてしまうから、余計に言えなくなる。
「……変、なんです」
栞奈は、言葉を選びながら続けた。
「誰かがいる気がして。でも、見えるわけじゃなくて」
万央は、遮らない。
急かさない。
「……でも」
栞奈は、視線を落とした。
「嫌じゃ、ないんです」
その瞬間。
善野亘の眉が、僅かに動いた。
万央も、ほんの一瞬、目を伏せる。
栞奈は、自分の胸を押さえた。
「怖いのに……安心するんです」
口に出して、初めて分かる。
(ああ)
(私)
(前と同じことを言ってる)
一年前も、そうだった。
“嫌じゃない怖さ”。
それが、一番危険だと、万央は知っている。
だから、万央は静かに言った。
「……それは」
言葉を選ぶ。
「一人で抱えていい感覚じゃ、ないです」
その言い方が、優しすぎるものではなくて。
栞奈は救われた。
「善野くん」
万央が、隣を見る。
善野は、一歩前に出た。
栞奈と、万央の間には入らない。
少し、斜め後ろ。
「古林さん」
声は、落ち着いている。
「今、誰かに“必要とされている”感じがしますか?」
栞奈は、はっとした。
必要。
その言葉が、胸に引っかかる。
(……なんで分かるの)
「……はい」
小さく頷く。
善野は、それ以上踏み込まない。
「それは悪いことじゃありません。でも」
一拍。
「相手が“誰”かを知らないまま受け取ると、危ない」
栞奈は、唇を噛んだ。
(……分かってる)
(分かってる、けど)
校舎の影が、少しだけ濃くなる。
気付いているのは、善野だけだ。
影は、栞奈を見ている。
正確には。
栞奈の“弱さ”ではなく、“優しさ”を。
万央は、影に気付かない。
今は、栞奈だけを見ている。
「今日は」
万央が、静かに言った。
「ここで止めましょう」
栞奈が、顔を上げる。
「……止める?」
万央は、頷いた。
「深入りしない。調べるのは、私たちの仕事です」
その言葉に、栞奈の胸が少しだけ軽くなる。
(……あ。この人、全部引き受けるつもりだ)
それが、嬉しくて。
同時に、嬉しいと感じた自分が、少しだけ怖かった。
影が、静かに揺れる。
――選ばれた。
そう、誤解したまま。
善野は、その揺れを見て、心の中で小さく息を吐いた。
(……早いな。思ったより、早い)
ここから先は、距離感が試される。
そして、線を引けるかどうかが。
校門を出る三人の背後。影はゆっくりとついてきていた。
誰にも触れない距離で。
誰にも拒まれない距離で。
それが、一番危険な位置だと知らないまま。




