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それでも、置いていく

 報告書は、淡々としていた。


 ――対象怪異、消失を確認

 ――二次被害なし

 ――再発性、低


 斎藤万央(さいとうまひろ)は、最後の一行を見つめてから、印を押した。


 事実としては、正しい。

 感情は、どこにも書かれていない。


「……以上です」


 会議室には、久世泰輔(くぜたいすけ)と課長だけがいた。

 善野亘(よしのとおる)はいない。

 意図的な配置だった。


 課長は、短くうなずいた。


「今回の判断は、妥当だ」


 万央は、何も答えなかった。

 久世が、資料を閉じる。


「あんたは、これを“成功”だと思うか」

 問われているのは、記録ではない。


「思いません」

 万央は、即答した。

「でも、失敗とも言えません」


 久世は、わずかに口角を上げた。

「その感覚を、忘れるな」


「……はい」

「次に似た案件が来たとき、君は、もっと早く傷つく」


 万央は、目を伏せた。


「それでも、あんたは同じことを言うだろう」


 ――ここにいてもいい。

 その言葉の重さを、もう、知らないふりはできない。



 夕方。

 善野は、窓口に戻っていた。

 普段通りの応対。

 普段通りの声。


 万央は、少し離れた場所から、それを見ていた。


「……善野くん」

「はい」


 善野は、いつも通りの敬語で振り向く。


「昨日のことですが」


 善野は、一瞬だけ視線を逸らした。

「仕事外のことは、仕事に持ち込みません」


 それは、線を引く言葉だった。

 万央は、うなずいた。


「ありがとうございます」

「……必要なら」


 善野は、言葉を選んだ。


「仕事じゃなくても、話は聞きます」


 それ以上は、言わない。

 踏み込まない。

 万央は、その距離に救われた。



 夜、庁舎を出ると、空気が冷えていた。

 万央は、足を止めて、空を見上げる。


 あの怪異は、今、どこにもいない。

 でも、完全に消えたわけではない。


 万央の中に、“何も与えない”という選択が、確かに残っている。


 ――優しさは、必ずしも、救いにならない。


 それでも。

 万央は、歩き出す。


 次に同じ相談が来たら、また迷うだろう。

 それでも、逃げない。


 誰かに必要とされたいと願う存在を、安易に肯定しない。

 否定もしない。


 ただ、終わらせる責任を、引き受ける。


 背後で、足音が一つ、重なった。

 振り返らなくても、分かる。


「……寒いですね」


 善野の声。


「ええ」


 二人は、並んで歩く。

 近すぎず、遠すぎず。

 線を引いたまま。


 ――それでも、一人ではない。

 万央は、その事実だけを、胸に置いて帰路についた。



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