表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/106

それは、優しさではない

 怪異対策課の会議室は、夜になると音が変わる。

 昼間は書類の擦れる音が支配するが、今は空調の低い唸りだけが残っている。


 斎藤万央(さいとうまひろ)は、机の上にメモを並べていた。

 どれも短い。


 ――最後の役割

 ――安全

 ――誰も傷つかない

 ――きちんと終わる


「……きちんと、終わる」


 声に出してみて、その言葉がひどく空虚に聞こえた。

 ノックの音。


「斎藤さん、まだいらっしゃったんですね」


 善野亘(よしのとおる)だった。

 残業申請の紙を片手に持っている。


「少し、考え事を」

「……あの怪異の件ですか」


 万央は否定しなかった。


「一度だけ、役割を与える案を考えています」


 善野の目が、わずかに明るくなった。

「それなら……」


「善野くん」

 万央は遮る。

「それは、“楽に終わらせる”方法です」


 善野は言葉を失った。


「怪異のためじゃない。私が、耐えられないから」


 善野は、しばらく黙ってから言った。

「……それでも、何もしないよりは」


 その言葉に、万央は胸を押さえた。

 同じことを、自分も考えていたからだ。



 久世泰輔(くぜたいすけ)が来たのは、その翌日だった。


「決めたか」

「……一度だけ、役割を」


 言い終わる前に、久世は首を横に振った。

「それは駄目だ」

 即答だった。


「どうしてですか」


 万央の声は、静かだったが、中に焦りが混じっていた。


「それは、あんたが“いい人で終わる”ための行為だ」

 万央は、息を呑んだ。


「怪異は、『役割がある、イコール、存在していい』と学んだ」

 久世は淡々と続ける。


「最後に役割を与えれば、それは“ご褒美”になる」


「それの、何が……」

「学習が完了する」


 万央の喉が、鳴った。


「次に似た存在が生まれたとき、同じことを求める」


「……それでも」

「それでも、あんたは“救った気になる”」


 久世は、そこで言葉を切った。

「偽善だ、とは言わない」


 万央は顔を上げた。


「でも、それは怪異のためじゃない」

 久世の声は、低い。


「あんた自身のためだ」


 万央は、何も言えなかった。


「あんたは、“何もしないで消える”ことを耐えられない」


 その言葉は、刃のように正確だった。



 その夜、万央は一人で会議室に入った。

 怪異は、そこにいた。


「来てくれたんですね」

「……はい」


 万央は、椅子に座らなかった。

 距離を取る。


「あなたに、伝えなければならないことがあります」


 怪異の輪郭が、わずかに緊張する。


「もう、仕事はお願いしません」

「……はい」


「必要とも、言いません」


 怪異は、しばらく黙った。


「それでも、ここにいたいですか」


 万央は、逃げなかった。

 怪異の形が、揺れる。


「……選ばせるんですね」


 その言葉に、万央は息を詰めた。


「はい」


 怪異は、長い沈黙のあと、言った。


「分かりません」

「……そうですか」


「でも」

 怪異の声が、かすれる。

「何も求められない場所に、意味はありますか」


 万央は、答えられなかった。

 怪異は、それ以上言わなかった。


 輪郭が、少しずつ薄くなる。

 消えてはいない。

 だが、確実に弱っている。


 万央は、自分が何をしているのか、はっきり分かっていた。


 ――優しさではない。

 ――これは、切断だ。



 会議室を出た瞬間、膝が、わずかに震えた。

 善野が、廊下の端に立っていた。


「……斎藤さん」


 万央は、笑おうとした。

「大丈夫です」


 だが、声が、うまく出なかった。


 善野は、一歩近づいて、止まった。

 触れない。

 まだ。


「……つらい、ですね」


 それだけ言って、善野は距離を保った。

 万央は、その優しさに、余計に息が詰まった。


 ――まだ、終わっていない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ