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必要であること

 その怪異は、会議室にいた。


 正確には、「いることになっている」場所に、いた。


 斎藤万央(さいとうまひろ)が扉を開けた瞬間、そこに人影があると“理解”できた。

 だが、目で見た像は、はっきりしない。

 輪郭が、わずかに揺れている。


「……こんにちは」

 万央がそう言うと、影は一拍遅れて応じた。


「こんにちは」


 声は穏やかだった。

 年齢も性別も特定できない。

 だが、会話としては成立している。


「あなたに、確認したいことがあります」

「はい。なんでしょう」


 怪異は、姿勢を正そうとするように揺れた。

 “きちんとしよう”という意思が、動きに出る。

 万央は、胸の奥が(きし)むのを感じた。


「今、何をしていますか」

「お手伝いをしています」


 即答だった。


「誰の?」

「必要としている人の」


 答えとしては、成立していない。

 だが、本人は誠実だった。


「それは、頼まれたことですか」

「……はい」


 少し、間が空いた。

「最初は、そうでした」


 万央は、その言葉を逃さなかった。

「“最初は”?」


「頼まれなくても、やったほうがいいと思うことが、増えました」


 それは、人間の言い方だ。

 万央は、ゆっくり息を吸う。


「それで、感謝されましたか」

「はい」

 影が、少しだけ安定する。

「必要だ、と言われました」


 その言葉に、善野の肩がわずかに動いた。


「……それは」


 善野が口を挟みかけ、万央は小さく首を振った。

 今は、聞く。


「必要とされることは、あなたにとって大事ですか」


 怪異は、即答しなかった。

「……大事です」

 声が、少し弱くなった。


「必要とされないと、ここにいてはいけない気がします」


 その瞬間、善野が視線を逸らした。

 万央は気付く。

 この言葉は、怪異のものでもあり、人間のものでもある。


「もし、誰からも頼まれなくなったら」

 万央は、あえて言葉を続ける。

「それでも、ここにいたいですか」


 怪異は、黙り込んだ。

 輪郭が、揺れる。

 安定していた形が、少しずつ曖昧になる。


「……分かりません」

 正直な答えだった。

「必要とされないなら、いる意味が、分からない」


 善野が、堪えきれずに言った。


「でも、それって……」

 善野の声は、いつもより低い。

「誰だって、そうじゃないですか」


 万央は、胸の奥が締め付けられた。


「善野くん」

 名前を呼ぶと、善野は口を閉じた。

「今は、私が聞きます」


 善野は、うなずいたが、納得していないのが分かる。

 怪異は、善野の方を向いた。


「あなたも、そう思いますか」


 善野は、答えられなかった。


 沈黙が、会議室に落ちる。

 その沈黙の中で、万央ははっきりと理解した。


 ――この存在は、“役割”を失えば、壊れる。

 だが同時に、役割を与え続ければ、人を侵食する。


「今日は、ここまでにします」

 万央は、そう告げた。

「また、来ます」


 怪異は、少しだけ安心したように、輪郭を落ち着かせた。


「……待っています」

 その言葉が、万央の胸に、深く残った。



 廊下に出た瞬間、善野が言った。


「斎藤さん」

「はい」


「……あれは、悪い存在じゃない」


 万央は、立ち止まった。


「分かっています」


「だったら……」

「だから、難しいんです」


 万央は、そう答えた。


 善野は、それ以上言えなかった。

 二人の間に、言葉にできないものが横たわる。


 その夜、万央は久世泰輔(くぜたいすけ)からのメッセージを受け取る。


「情が動いたな。次は、決断だ」


 画面を閉じても、胸の重さは消えなかった。

 ――必要とされたいだけの存在を、どう終わらせるのか。


 万央は、まだ答えを持っていなかった。



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