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必要とされたい

 月曜の午後。

 怪異対策課の窓口は珍しく静かだった。


 電話も鳴らず、来庁者もいない。


 斎藤万央(さいとうまひろ)は、書類の端を揃えながら、静けさの理由を考えていた。

 静かすぎる、というのは大抵良くない。


「斎藤さん」


 背後から声をかけられ、万央は顔を上げた。

 善野亘(よしのとおる)が、いつもより少し硬い表情で立っている。


「外線です。名指しで」

「……はい」


 受話器を取った瞬間、相手が誰かは分かった。

 間の取り方が、変わらない。


『久世です』


 やはり、と思う。

 胸の奥で、嫌な音がした。


「お久し振りです」

『時間を取れるか』


「案件ですか」

『案件だ。君が関わっている』


 その言い方に、万央は目を伏せた。


 “関わっている”という言葉は、久世泰輔(くぜたいすけ)の場合、過去形を含まない。


「今日中なら」

『助かる』


 それだけ言って、電話は切れた。




 久世泰輔が現れたのは、一時間後だった。

 背広の皺も、靴の汚れもない。

 忙しさを、身にまとわない人間だ。


「変わらないな」

 久世はそう言って、椅子に座った。


「お互いに、ですね」

「いや。君は変わった」


 万央は否定しなかった。

 変わらなかった、とは言えない。


「それで、案件は」


 久世は一枚の資料を差し出した。

 名前はない。

 分類欄にだけ、簡単なメモがある。


 ――人為誘発型

 ――人格反応あり

 ――悪意なし


「……会話可能ですか」

「可能だ。むしろ、よく話す」


 万央は、資料の端を指で押さえた。

 嫌な予感が、確信に変わりつつある。


「発生源は?」

「あんただ」


 万央の動きが止まった。


「正確には、あんたの言葉だ」

 久世は淡々と続ける。


「数年前。小規模案件。祓う必要はないと判断した怪異がいたな」


 覚えている。

 人の形を取れず、害もなく、ただ留まっていた存在。


「……“ここにいてもいい”と言いました」


「そうだ」

 久世は頷いた。

「それを、許可だと受け取った」


 万央は、息を吐いた。

 あのときは、最善だと思った。


「今は?」

「今は、“必要とされたい”と言っている」


 久世の声には、評価がなかった。

 報告するような調子だった。


「仕事を覚え、役割を真似る。感謝されると安定する。不要だと感じると、不安定になる」


「……被害は」

「まだない」


 “まだ”。

 万央は、その言葉を飲み込んだ。


「善意で始まっている。だから、止め時が難しい」


 久世は、そこで一度言葉を切った。

「あんたなら、どうする」


 問われているのは、意見ではない。

 覚悟だ。

 万央は、しばらく考えた。


「……一度だけ、役割を与えます。それで、終わらせます」


 言いながら、自分の胸が少し軽くなるのを感じた。

 それに気付いて、嫌な感じがした。


 久世は、首を横に振った。


「それは、あんたのためだ」

 静かな否定だった。

「怪異のためじゃない」


 万央は、言葉を失った。


「“ちゃんと終わった”と、あんたが思いたいだけだ」


 万央は、何も言えなかった。

 反論が浮かばない。

 久世は立ち上がる。


「考えろ。今回は、優しさで片付かない」


 扉の前で、久世は一度だけ振り返った。


「あんたは、“何もしない”ことを一番恐れている」


 扉が閉まる。

 静けさが戻った。


 万央は、机に手をついたまま、しばらく動けなかった。


 ――優しさが、誰かを縛ることもある。

 その事実が、胸の奥で、ゆっくりと痛み始めていた。



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