善野亘は、正しい方を選んだ
その案件は、緊急度が低いと判断された。
だから、善野亘が担当になった。
「……斎藤さん、これ、僕が見ます」
「お願いします」
斎藤万央は、いつも通りの口調で頷いた。
それが、善野には少し誇らしかった。
相談者は、中年の女性だった。
「……うちの主人が最近、“二人”いるんです」
怪異対策課では、珍しくない訴えだ。
調査結果。
・本人の生活:安定
・家庭内暴力:なし
・金銭被害:なし
・精神鑑定:問題なし
現れた“もう一人”は、穏やかだった。
話し方も、本物と変わらない。
「……害は、ありません」
善野は、報告書にそう書いた。
「統合型残留思念の可能性。経過観察」
祓う必要は、ない。
そう判断した。
万央は、一度だけ確認した。
「“どちらを残すか”は考えましたか」
「……いいえ」
善野は正直に答えた。
「両方、問題がないので」
万央は、それ以上言わなかった。
事故は、一週間後に起こった。
“もう一人”の方が、外に出た。
本人として、振る舞った。
銀行。
役所。
全て、問題なく通った。
問題が起きたのは、夜だった。
家に帰った“本物”が、家に入れなかった。
鍵が、替えられていた。
警察が呼ばれた。
杜下卓が、現場にいた。
「……二人、同じこと言ってます。身分証も、両方本物に見える」
杜下は、低く言った。
最終的に。
混乱の中で、怪異は不安定化した。
消滅。
だが。
消えたのは、どちらだったのか。
誰にも、分からない。
善野は、報告書を前に立ち尽くしていた。
「……僕は、祓わない方が、優しいと思った」
声が、震える。
「はい」
万央は、静かに肯定した。
「それは、間違っていません」
善野が、顔を上げる。
「でも」
万央は、続けた。
「“選ばない”という判断も、選択です」
善野の睫毛が震える。
「あなたは“どちらも残す”と決めた。結果、制度が、どちらかを消した」
善野は、唇を噛んだ。
「……僕が、決めるべきでしたか」
「いいえ。決められなかった、それ自体が経験です」
その夜。
善野は、一人で考えた。
正しさ。
優しさ。
責任。
その全部が、同時には成立しない。
翌日。
善野は、一行だけ自分用のメモを書いた。
「迷ったら、“何が失われるか”を先に考える」
誰にも、見せることのない、自分用のメモだ。
怪異対策課は、今日も開いている。
善野は、少しだけ成長した。
代わりに、少しだけ重くなった。
それでも、仕事は続く。




