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補遺

 雲耀、あるいは高いところから見る話


 人間は、境を忘れる。

 それが、雲耀(うんよう)の結論だった。


 電線の上。

 夜風の中。

 烏の姿で、街を見下ろす。


 あの場所に、かつて塞の神が立っていたことを、もう誰も覚えていない。


『……まあ、そうだよな』


 独り言のように呟く。


 人は、守られていた記憶よりも、守られなくなった不便だけを覚える。


 だから、神は静かに消える。

 祓われず、壊されず、感謝もされないまま。

 今回のは、例外だ。


『人間が、ちゃんと終わらせた』


 それだけで、数百年に一度の出来事だった。

 烏――雲耀は、目を細める。


『……あいつ』


 山川主悦(やまかわちから)

 いや、豪毅(ごうき)


 昔は、もっと乱暴で、もっと人を軽く扱っていた鬼だ。


『人の側に立ちすぎだ』


 からかい半分で言った言葉を、思い出す。

 だが。

 今日、あの鬼は、敬語で神に頭を下げた。

 それを見て、雲耀は、少しだけ黙った。


『……まあ』

 羽を震わせる。

『悪くねぇか』


 高いところから見る世界は、今日も変わらない。

 だが、変わったものが、確かに一つある。


 終わらせ方を知った人間が、そこにいた。

 それだけで、しばらくは退屈しなさそうだった。



 山川主悦(豪毅)が、人でなかった頃

 まだ、人の名を名乗る前。


 豪毅は、人の集落を見下ろしていた。

 鬼は、人に礼儀を尽くすものではなかった。

 力があり、奪い、恐れられる側だった。


「……境など、くだらん」


 人が引いた線を、踏み越えるのは容易い。

 塞の神が立っていたとしても、当時の豪毅には、関係がなかった。


「守るだけの存在か」


 弱い。

 そう思っていた。


 だが、ある夜。

 豪毅は、その神が“倒れている”のを見た。


 壊されたわけではない。

 祓われたわけでもない。


 ただ、人が通らなくなった。

 誰も、来なくなった。


 それでも、神は立ち続けていた。

 役目だから。

 それだけの理由で。


「……愚直だな」


 豪毅は、そう言った。

 だが、その場を離れなかった。


 夜が明け、また夜が来る。


 神は、動かない。

 命じられていないから。


 終わりを。


「誰も、言わないのか」


 独り言のように漏らしたとき。

 神は、何も答えなかった。

 ただ、そこに在り続けた。


 豪毅は、そのとき初めて理解した。


 強さとは、壊すことではない。

 役目を背負い続けることだ。


 それから、豪毅は、人の側を見るようになった。


 敬意を払うようになった。

 言葉を選ぶようになった。


 終わらせる責任が、どれほど重いかを知ったからだ。


「……だからだ」


 現在。

 山川主悦は、静かに思う。

「人間には、ちゃんと話さねばならん」


 彼らは、知らないだけだ。

 壊し方ではなく、終わらせ方を。


 だから、今日も敬語を使う。

 人に。

 制度に。

 終わりを告げる、その瞬間まで。


 鬼であることを、誇りに思う。

 だが。

 人の側に立つことは、選び続けている。



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