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祓いは、現実味を帯びる

 最初に報告が上がったのは、数字にならない違和感だった。


「体調不良、と言うほどではないそうです」

 記録担当が慎重な言葉を選ぶ。

「ただ……夜に眠れない人が増えています。指定区域付近に限って」


 人的被害はない。

 診断書も出ない。

 けれど、無視できない数だ。


「“守られている気がして落ち着かない”」


 聞き取りで多かった表現だ。

 斎藤万央(さいとうまひろ)は、その言葉に胸を押さえられたような気がした。


(……安心、じゃない)


 善野亘(よしのとおる)は資料に目を通しながら言う。


「行動ログに、規定外はありませんね」

「はい。誘導も、助言も、すべて範囲内です」


 線は守られている。

 だからこそ、問題が見えにくい。



 現地確認に向かうと、縁守(えんもり)はいつも通り指定範囲にいた。

 静かで、落ち着いている。

 以前よりも、むしろ慎重だ。


 ――私は、規則を守っている。


「分かっています」

 善野は短く答える。

「だから、これは“違反”の話ではありません」


 万央が、少し躊躇ってから口を開く。


「……その場所にいる人たち、どう見えますか」

 ――不安そうだ。


 即答だった。


「理由は?」

 ――私が、見ているからだ。


 空気が、張り詰める。

 善野が、静かに言葉を継ぐ。


「“見守り”が、圧になっている。――存在そのものが、干渉になり始めています」


 縁守は、言葉を失った。


 ――それは……どうすれば。


 万央は、拳を握りしめる。

 助けたい。

 その気持ちが、また胸を満たす。


(……私が、引き受ければ)


 無意識の範囲で、そう考え始める。

 善野が、万央の動きを視界の端で捉える。

 気付いた。


「斎藤さん」

 制止するような声だった。

「まだです」


 万央はうなずいた。



 その夜、検討会が開かれた。

 議題に、初めて明確な言葉が載る。


「祓いの可能性」


「現時点では、人的被害は発生していません」

 善野が整理する。


「ただし、精神的負荷は増加傾向にある」

「このまま推移した場合、“被害”と認定される可能性があります」


 万央は、資料を見つめたまま動けなかった。

(……言葉が、もう、ここにある)


「祓う場合、立ち会いは」


 誰かが尋ねる。

 善野は即答しなかった。

 視線を万央に向ける。

 万央は顔を上げて、答えた。


「……求められています」


 室内が、静まり返る。



 会議のあと、指定区域に戻る。

 縁守は気付いていた。


 ――祓う、という話が出たな。


 万央は、否定できなかった。


「……まだ、決まっていません」


 声が、わずかに震える。

 縁守は、しばらく黙ってから言った。


 ――それでも、ここまでだと思っている。


 その言葉に、万央の視界が滲む。

 善野が、一歩前に出る。


「結論は、まだです。ただし、選択肢として現実味を帯びた」


 線の内側で、初めて“終わり”が輪郭を持った瞬間だった。



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