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古林栞奈は、選ばせる

 その場に古林栞奈(こばやしかんな)がいたのは、偶然だった。


 下校途中、指定区域の外れで人だかりができているのを見つけた。

 騒ぎというほどではない。

 ただ、立ち止まって、誰かを気遣う視線が集まっている。


「……どうしたんですか」


 声を掛けると、年配の女性が苦笑いした。


「ちょっと、足がもつれてね。でも大丈夫。転ばなかったから」


 女性の足元には段差がある。

 確かに、躓けば危ない位置だ。

 そのとき、空気がわずかに揺れた。


 ――こちらを。


 直接声が聞こえたわけではない。

 けれど、明確な“誘導”があった。

 安全な別ルート。

 迷う余地のない示し方。

 女性は、一瞬だけそちらを見て、素直に従った。


「ありがとうね」


 誰に向けた言葉かは、分からないまま。

 栞奈の胸が、強く締め付けられた。


(……まただ)

(選ばせてもらえない)


 危険は避けられた。

 誰も怪我をしなかった。

 周囲は安堵している。

 それでも、栞奈は足を止めたまま動けなかった。


「待ってください」


 自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。

 女性が振り返る。


「え?」


 栞奈は、一歩前に出る。

 指定区域の境界線を意識しながら、視線を上げる。


「……今の、怖かったですか」


 女性は少し考えてから、首を振った。


「いいえ? 親切だと思ったわよ」

「そう、ですよね」


 栞奈は、ゆっくり息を吸う。

「でも、もし……」

 言葉を探しながら、続ける。


「もし、あのまま進むって決めたのが、自分だったら。転ばないように気を付けるって、選んでいたら。そういう選択肢も、あったと思うんです」


 周囲が静まる。

 縁守の気配が、わずかに揺れた。


 ――危険だった。


「分かってます」

 栞奈は即座に答えた。

「だからって、決めちゃだめです」


 声が震えそうになるのを、必死で抑える。


「助けるなら……選ばせてください。安全な道もあるって、教えるだけでいい。どっちに行くかは、その人が決めるべきです」


 沈黙が落ちた。

 やがて、女性が小さく笑った。


「そうね。確かに、言われてみればそうかも」


 誰かが頷く。

 その場の空気が、少しだけ変わった。


 ――……。


 縁守は、何も言わなかった。

 ただ、誘導の気配を引っ込める。


 遠くから、その一部始終を斎藤万央(さいとうまひろ)善野亘(よしのとおる)が見ていた。

 万央は、思わず息を止めていた。

 止めなければ、割って入るところだったかもしれない。


(……栞奈ちゃん)

 善野は、栞奈から目を離さない。

(線を、守ったまま、踏み込んだ)


 現場が落ち着いたあと、善野が静かに確認する。


「今の行為について、どう思いますか」

 ――私は、善意で動いた。


「分かっています」

 善野は淡々と言う。

「だから、今のは是正です。注意ではありません」


 その言葉に、縁守は少しだけ目を伏せた。


 ――……拒まれた。


 栞奈は、胸が痛んだ。

 けれど、目を逸らさない。


「拒んだんじゃありません。一緒に考えたかっただけです」


 その言葉に、万央ははっとする。

(……それが、私には、できなかった)


 誰かのために決めるのではなく、選ばせる。

 その責任を、栞奈は怖がりながらも引き受けた。



 その日以降、縁守の行動は変わった。

 露骨な誘導は減った。

 代わりに、“示すだけ”が増えた。

 それは改善であり、同時に、新しい葛藤の始まりでもあった。


 線の内側で、誰もが少しずつ学び始めていた。

 守り方を。

 関わり方を。



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