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いってきます

 ――時、魔王ルシフェルとベリアルの交戦中。生徒昇降口前。

「エバちゃん……起きてよ……」

「エバ……蝿公が託したんだから、早く目ぇ覚ませよ……!」

 傷だらけで眠るエバを、同じくボロボロに傷ついたリリとレヴィが見守る。だが、どれだけ声を掛けても目を覚ます気配は感じられなかった。

 上空で炎と炎が喰らい合うのが風になって伝わってくる。リリはその風を感じて、不安そうに空を見上げた。夕暮れの空では、赫い炎と黒い炎が渦巻いている。

「ベリりん……」

「お姉さま」

 レヴィがリリに声を掛ける。か弱く震えるリリの手をそっと優しく握った。

「ベリアルを信じましょう」

「うん……」

 リリがそっと眠るエバの髪を撫でる。それから優しく、まるで母が幼子に言うようにして話し始めた。

「ねぇ、エバちゃん。リリね、最初はエバちゃんのことを『イヴ』としてしか見てなかった。リリに約束してくれたのはイヴちゃんだったから。……でも、今は違う。確かにエバちゃんの魂は『イヴの魂』だよ。でも、今リリがエバちゃんのことを好きなのは、『イヴの魂』だからじゃない。エバちゃんだから好きなんだよ。ごめんね。こんなことに巻き込んで。……もう、戦わなくてもいい。もうリリのことなんて救わなくてもいい。魂の責任なんて、背負わなくていい。そんなのどうでもいい。だから、だから……」

 次第に声が上ずって泣きそうになる。震えていて弱々しい悲鳴にも似たその声で、リリは言った。

「お願い……エバちゃん……! 目を覚ましてよ……!」

 リリの目から、とうとう堪えきれずに涙が零れ落ちる。その涙がエバの頬に落ちたとき、堕ちるを知らぬ黄金の魂は大魔女に応え、目が眩むほどの輝きを放つ。

「……え、これって……お姉さま!」

「……え? ……この光、まさか……!」

 眠るエバの身体が光り輝く。暖かな金色の光に包まれて、日が落ち始めた地平を照らし出した。

「イヴちゃん……?」

 光の粒その一つが蝶の形となり、リリの肩にとまる。とても懐かしくて暖かいその光の蝶は、またすぐに何処かへと飛んでいってしまった。

 一瞬の逢瀬。それだけでも十分だった。数千年の時を越えてやっと会えた妹の残光。リリは懐かしくて愛おしいその魂の欠片から、想いを確かに受け取った。


 ――大丈夫よ、リリス。エバはアナタと共に生きてくれる――


 遥か遠き妹(イヴ)の言葉を受け取ったリリは大粒の涙を流す。だがその顔はとびきりの笑顔で、心はもうすっかり安心していた。

「うん。そうだね、そうだよね! ……ありがとう、イヴちゃんっ!」

 エバを包む光はやがて一つの樹の形を取る。光で形成された輝く樹。そこに一つ実る、黄金の林檎。その林檎から滴る光の果汁がエバの口に落ちたとき、光の樹は弾け、集束し、優しく纏うようにしてエバの体を包み込んだ。

「……ぅ、ん……」

「エバちゃん!」

「エバ!」

 光の中でエバは――アタシは目を覚ました。アタシは身体を起こして、安堵したような眼差しを向けてくるリリの頬に触れながら、その涙を指先でそっと拭ってやる。

「エバちゃん……」

「ごめんね、リリ。おまたせ」

 リリが強く抱きしめてくれる。アタシもその背を優しく抱き返した。リリの温もりと甘い匂いに包まれて、アタシは少し目を閉じる。リリが居ることを確かめ、安心したかった。アタシが居ることを教えて、安心させたかった。

「起きるのが遅えよ、エバ……!」

 見ると、レヴィが安心したように笑っていた。アタシは彼女にも「ただいま。もう大丈夫よ」と返した。

「……ねぇ、リリ」

「何、エバちゃん」

「夢を、見たわ」

「夢……?」

 アタシはあの光の中で視たイヴの記憶を思い出す。イヴに託された想いを思い出す。

「イヴに会ったわ」

「……そっか。会って、思い出したんだね」

 思い出した。確かにイヴはアタシのことを「一〇一回目の輪廻」と言っていた。その言葉通りに受け取れば、アタシは原初の人間イヴの生まれ変わり。それならばアタシは前世の記憶を思い出したことになる。でも――。

 でも、アタシはイヴと話したんだ。イヴに「リリスを頼んだわよ」と託されたのだ。ならこれは、思い出しただけじゃない。これは――

「リリ。この魂はイヴが……いいえ。イヴだけじゃない。イヴから今ここにいるアタシまでの全てのアタシがアナタを想い、託し、継いできた魂。アタシは自分の意志で託され、継いで。そうしてきっと、アナタを想うわ」

 ――これは想い、継がれていくものだ。それがこの魂の輝きだ。

「……今もベルゼブブとベリアルは、ルシフェルと戦っているの?」

 アタシは空を見上げて言う。黄昏がかった空に赫と黒の炎が混じり合っていた。夕陽が眩しくて顔の前に左手を翳したとき、手の甲にあったはずのベルゼブブの契約紋が消えていることに気が付く。

 アタシは途端に、妙に嫌な予感がした。

「ねぇ、リリ。レヴィ。……ベルゼブブは?」

 アタシが問うと、二人とも表情を曇らせて俯いてしまう。やっと発せられた「バブちゃんは、もう……」というリリの泣きそうな小さな声だけで、解ってしまった。アタシはリリを抱きしめ「わかった。言わなくていいわ。彼は、アタシたちを守ってくれたのね」と優しく言った。

「……うん」

 イヴの光の中で見たベルゼブブの『豊穣』の魔法陣。きっとあれは、アタシの命を繋いでくれた彼の最期の『豊穣』。アタシはイヴにだけ託されたんじゃない。ベルゼブブにも一つ、「俺のダチを頼んだ」と託されたのだ。

 アタシは立ち上がり、銃の弾倉を開けた。弾は六発すべて装填されている。弾倉を閉じ、次に腰のポーチ内にストックしてある弾数を数える。……七発。装填済みの弾と合わせて十三発。これでルシフェルを打ち倒す。

 アタシが歩き出すと、レヴィに「おい、エバ!」と呼び掛けられた。アタシが振り返ると、レヴィが少し不安そうな顔をしていた。

「行くのか?」

「ええ。行くわ」

「お前のその光は、神の持つ光。つまりは神の力だ。私たち悪魔の力とは相性が悪いんじゃないのか? 契約したとき、権能を貸し与えるために私やベリアルの魔力が流れ込んでるはずだ。それは大丈夫なのか?」

 言われてみて初めて「そういえば」と思う。アタシが纏う光は楽園のイヴから受け継いだ光。つまりは、楽園の神から与えられた力だ。対してレヴィたちから契約時に貰っている魔力は、神に背く悪魔の力。本来は反発し合う二つの力が、今のアタシの中には混在していることになる。

 だが、不思議とアタシの中で力同士が反発し合う様子は感じなかった。それどころか、二つは混ざり合ってより心地良く力強いモノになっているのを感じた。

「何だか大丈夫そうよ。反発し合うどころか、重なり合わさって、もっと馴染んでいくのを感じるわ」

 きっと、イヴの光がレヴィたちの魔力を受け入れてくれているのだろう。イヴの光の性質――その想いは『リリを救う』こと。ならば、同じくリリを想う者たちの力を拒むはずが無い。

「何だよそれ、めちゃくちゃだな……でもまぁ、いけるんだな? エバ」

 レヴィの表情がいつもの強かなものに変わる。アタシは迷わず「ええ。いけるわ」と答えた。

「エバ、私の権能の使い方を今から教える。よく聞けよ」

「レヴィの権能は『嫉妬』と『捻力』よね?」

「そうだけど、私の魔力は人間には制御が難しいから……」

 アタシは瞳を閉じて、身体に流れる魔力を感じる。レヴィの魔力は……あった。右手から伝わってくる荒々しい力。これがレヴィの魔力だ。……大丈夫。アタシもレヴィ(アナタ)も、想いは一緒だ。リリを救いたい。その共通点があれば、何も心配はない。

 そう心の中で語りかけると、大海に渦を巻くように捻れて流れ進んでいたレヴィの魔力の流れが、アタシの光の流れと重なってくれる。その瞬間、アタシはレヴィの権能の使い方を感覚的に知った。

「魔力の流れがアタシの光の流れと揃ったわ。権能の使い方も、言葉での説明は難しいけれどなんとなく分かる」

 アタシが目を開けて言うと、レヴィは「おいおい、マジかよ……。そんなのアリか?」と驚いていた。

「まぁいいや。……エバ」

「ええ」

 レヴィがこちらに拳を突き出して見せる。その意図を察知して、アタシは引き金の後ろに掛けた人差し指を軸に銃を回して銃身を握った。

「ルシフェルの野郎、ぶっ飛ばしてこい」

「そのつもりよ」

「上等」

 レヴィの拳に、軽く銃のグリップを当てる。それを見ていたリリが羨ましがるように「何それ〜! 二人だけカッコいいのやっててズルい! リリも〜!」といつもの調子で言う。アタシとレヴィは顔を見合わせて笑ってしまった。

「何で笑うの〜!」

「いつものお姉さまに戻ってきたなって。な、エバ」

「ええ。……じゃあ、リリにも」

 リリの方に数歩ほど歩み寄って、アタシはリリの頬に優しくキスをする。柔らかくも弾力のある頬から唇を離して見ると、リリは一瞬なにが起きたのか理解していないような顔をした後、途端に顔を赤く染めた。

「〜〜〜!? えええええエバちゃんっ!? 何を――」

「あら? 嫌だったかしら」

「嫌なわけ無いじゃん……もう、びっくりした」

「ふふ。いつも振り回されてるから、そのお返しよ。それに、これからもどうせアタシのことを振り回すんでしょ? だから、アナタに振り回される駄賃の前借りも含めてあるわ」

「え、それって……」

 ……ここまでやって、言って、今更ちょっと恥ずかしくなってきた。これじゃあまるで、「これからもアタシと生きてくれ」と言っているようなものじゃないか。まぁ、いいか。ここで死ぬつもりなんて無いし。

「必ず生きて帰ってくるわ。それまでレヴィ、リリをよろしくね」

「任された。……でもなぁエバ、お姉さまのもちもちほっぺにキスしたのは気に食わねぇから、帰ってきたら軽く捻じ巻くから覚悟しとけよ」

 嫉妬心むき出しのレヴィにそう言われる。やっちまったなと思ったが、このやりとりも何だか楽しく思えて「あぁ、絶対に生きて帰って来よう」と更に強く思えた。

「じゃあ、いってきます」

「ブチかましてこい! エバ!」

「エバちゃん。死ぬつもりなんて……?」

 リリの言葉その期待を理解する。そのフレーズ気に入ったのかな。別に決め台詞みたいな意味合いを持たせて言ったわけじゃ無かったんだけれどな。

 でも、気に入ったなら何度でも言ってあげよう。だって、こんなところでアナタを残して死ぬつもりなんて――

「――無いっての。当たり前でしょ」

「うん、うん! いってらしゃい、エバちゃん!」

 アタシは前に向き直して見据える。赫と黒、二つの炎が急速に落下してくるのが見えた。中指に刻まれたベリアルの契約紋を一瞥して、それが薄くなってきていること。それからアタシの中にあるベリアルの魔力が弱々しくなってきていることから、彼が劣勢なのを感じ取り、アタシは駆け出した。

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