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エバ • ヘヴンラックは地に堕ちない

 ベリアルが空を翔ける。

「行くぞルシフェル!」

「来い、我が旧き友よ!」

 ベリアルは急停止し、しかしその勢いのまま振られる大鎌は動きを止めること無くルシフェルを横一文字に裂いた。その黒き刃を、ルシフェルは指一本のみ動かして大剣を操り防ぐ。だが、『憤怒』の炎で作られたその大剣は『劫火』で作られた大鎌に両断された。

「……ほう」

「『憤怒』より『劫火』のが、火力は高いッッッ!」

「だが、『傲慢』の前では――」

 大剣を切り裂いた勢いのままに、ベリアルの大鎌がルシフェルの首を切る。その寸前、

「――無力だ」

 ルシフェルの権能『傲慢』により、その大鎌は消滅させられた。それにより一瞬のみ生まれた隙をルシフェルは逃さない。

「断ち切れ」

 ルシフェルが手を伸ばすと、一本の大剣がベリアル目掛けて射出された。空を切って迫る光の剣に、ベリアルは指を弾く。

「――『無価値』!」

 その瞬間、今にもベリアルを突き刺さんとしていたルシフェルの大剣は弾けて光の粒へと還された。ルシフェルは一瞬驚くが、すぐさま理解する。

「なるほど。貴様の『無価値』、その対象が我でなければ有効か」

 ベリアルは不敵に笑いながら、『劫火』を練って再び大鎌を組み上げた。大鎌を構えて言う。

「はっは。お前の『傲慢』は『自身に攻撃として向けられた権能を無効化する力』だ。今オレは、お前の大剣を防ぐために『無価値』を使った。だから効いた。炎の火力勝負ならオレの『劫火』の勝ち。お前から攻撃してくれば、オレが防御のために使う『無価値』で『憤怒』は消される。……さぁどうする、ルシフェル」

 既に勝ちを確信したかのようにベリアルは言う。だがその実、慢心などしていなかった。

 楽園にいた頃、ベリアルの炎はルシフェルの炎より弱かった。今のように『憤怒』の炎に『劫火』の炎をぶつけたとて、掻き消されるのはベリアルの『劫火』であった。ならば何故、現在『劫火』が勝るのか。

 その答えは、ベリアルがルシフェルに勝つために己が炎を鍛えたからである。

 最初は力のみが物を言う地獄でリリを自分のモノにするためだった。そのためにルシフェルを越えようとした。それが動機だった。だが、ルシフェルがリリの嫌がることばかり――リリが求める『イヴの魂』を何度も殺している現状を見て、ベリアルは怒った。何故惚れた女が嫌がることを平然と出来るのか。何故惚れた女の望みを阻害するようなことばかりするのか。それがベリアルには分からなかった。

 地獄は力のみが物を言う世界。力無き者は力ある者に逆らえない。ならば、自分がルシフェルより強くなれば良い。そう思った。

 悪魔に寿命は無い。その永い生を使い、ベリアルは密かに権能を鍛錬した。数千年の時を費やし、ついには魔王の炎をも越えたのだ。

 だが、永き生を持つのは眼前の魔王も同じこと。

 ルシフェルの目的は、神を殺すこと。神を殺し、リリを神の呪縛から解くこと。

 一度楽園で神と対決した彼ならば分かっているはずだ。自分の力では、神に届かぬと。

 だとしても、ルシフェルがそれに屈するようなヤワな男では無いことをベリアルは知っている。

「勝ったつもりか? それで、我に勝ったつもりなのかベリアル」

 だからこそ、魔王の本領がどの程度なのか知らなくてはならない。

「貴様はその炎で我を越えたつもりのようだが……その程度の火遊びで、この魔王が越えられるものかァァァ!」

 例え自分が敗れても、魔王の力の底をリリたちに教えるために。打破する算段を正確に組ませるために。

「その思考、慢心! 実に愚か! 愚か愚か愚か愚か愚かァァァ! このルシフェルに、貴様如きの炎が届くわけがあるかァァァ!」

 それは怒り。慢心する王が自分より下の者に見下されたことによる、稚拙な怒り。だがその怒りは、ベリアルの予想を遥かに越えた獄炎であった。

「おいおい、マジで……?」

 大気は熱され、水蒸気どころか砂すら蒸発するほどの熱。空気が熱され過ぎて、陽炎のように視界が揺らめく。ルシフェルの十二の翼が逆巻く炎に覆われ、光の大剣は更に赫灼し輝きを増した。

 ベリアルは自身の額が汗ばんでいることに気が付く。空気が熱され過ぎて息が詰まる。ゴクリ、と音を立てて生唾を飲み込み、大鎌の柄を強く握った。

「貴様、この数千年で『劫火』の炎を強くしたようだが……それは我も同じこと。見よ」

 ルシフェルが大剣を手に取る。あまりの熱にルシフェル自身の掌が灼かれるが、魔王はそれすらも笑ってみせた。

「この赫く燃え盛った我が怒りを――『憤怒』を! これでもまだ、貴様の炎は我を越えられるのか?」

 勝てない。ベリアルは悟ってしまった。あの熱に、自分の炎は勝てないのだ。

 だとしても、それが退く理由にはならなかった。

「あぁ、勝てるね」

「……何だと?」

 敢えて挑発する。防御のためであれば『無価値』がまだ通じると考えたからである。

「慢心するお前の隙を突いてやるのさ。一瞬の隙をな」

「ふ、フハハハハハハハ! ハハハハハハハ!」

 暁星、呵々大笑。不気味なまでに嗤うその魔王は、嗤うままにベリアルへと飛び寄った。

「――ッ!」

 赫き大剣が振り下ろされる。ベリアルは鎌の柄でそれを防ぐが、それはまるで焼き切られるようにしてへし折られる。すぐさまベリアルは羽ばたいて後退するが、剣の切先がベリアルの胸を掠めた。それだけで、ベリアルの血は沸騰し意識が飛びそうになる。

「何故、何故 我が数千年もの間 魔王として君臨したか! それは我が圧倒的に強いからである! 何故我が慢心するか! それは我が王であるからだ! 何故我が! 王なのかァァァ!」

「ぐっ……『無価値』ィィィ!」

 下降するベリアルを、ルシフェルの大剣が絶えず襲う。それをベリアルは『無価値』で消し続けるが、消滅と同時にルシフェルは大剣を再度生成し、猛攻の手を緩めない。

「それはァァァ! 我が強さを求め続けるからだァァァ!」

「―――ッ! ぐぁぁぁぁぁぁぁあああ!」

 地へと落ちたベリアルの腹を、ルシフェルが大剣で貫いた。『無価値』を使おうと指を弾くが、『無価値』で消す度に大剣は作り直され、その度にもっと熱く、もっと赫く大剣は燃え盛る。

「分かったかベリアルよ。我は強く在り続ける。強くなり続ける。それ故の自信。それ故の慢心。故に我は、王なのだ」

 血が沸騰する。グツグツと煮え滾った血液が血管を巡るたび、身体中を内側から絶えず灼かれ続ける。その痛みに何度も意識が飛びそうになる。

 ――それでも、この程度の痛みは、彼女が背負う苦しみの足元にも及ばない。

 ならばこの程度、恐れるに足らず―――!

「それがどうしたァァァァァ!」

 ベリアルは自分の体をルシフェルの大剣で灼き斬られながらも、足腰の力のみで身体を反らせて立ち上がり、自身を見下して嘲笑う魔王の額へと頭突きを繰り出した。

「ぬ……ぁ……」

 いきなり繰り出された予想外の衝撃に、ルシフェルは一歩後退する。その一瞬の隙――慢心が生み出した魔王の隙をベリアルは逃さない。

 大剣を刺されたまま立ち上がったことにより、腹から右肩にかけては灼き裂かれていた。溢れる血も、動かない右半身も。その全てを『劫火』で焼き包み、灰へと還しては無理矢理に自身の身体とする。

 魔王が次に目を向けたときには、ベリアルの右半身は黒い炎により形成されていた。

「まだ、倒れてたまるか……!」

「……見事。これ程までとは。だが、権能で補ったその身体でどう我と闘うつもりだ」

 ベリアルは思考する。どうすればこの魔王の膝を着かせることが叶うのか。ルシフェルの炎は『悪魔』の権能でありながら、神から賜った光の力、つまり『神』そのものの力の一端の性質も持ち合わせる。何故、元は同じ『天使』であるのにここまでの差異があるのか。元は同じ『天使』であるのに。

「元は、同じ『天使』……?」

 そこまで思考したとき、ベリアルは一つの可能性を閃いた。

「まぁ、やってみるだけの価値はある……!」

 ベリアルは黒い炎で形成した翼を大きく羽ばたかせ、再び天高く飛翔する。雲を抜けたその上で、『劫火』で作った腕を真上の太陽へと真っ直ぐに伸ばした。

「―――此れなるは、我が『劫火』の発露ッッッ! 眼前の魔王を無へと帰すため、魂へと灯りを灯そう!」

 ベリアルの伸ばした腕、その掌へと『劫火』の黒い炎が集まっていく。それはやがて傷を塞いでいた炎すらも集束させ、大剣に裂かれたベリアルの身体から煮える血液が噴き出した。その痛みに僅かに顔を歪めながらも、ベリアルは詠唱を続ける。

「ッ……! 我が名は『無価値(ベリアル)』ッッッ! 此の身はとうに地へと堕ちた! それでもこの魂は……この魂は熱く燃え滾るッッッ!」

 ベリアルの掌の上に形成された、大きすぎる黒い火の玉。ベリアルは自身の翔び抜けた雲の隙間から覗く魔王へとそれを向ける。

「食らえルシフェル――『価値無き者へ(ベリアル・ソウル・)捧ぐ導火(オーバードライブ)』ゥゥゥゥアアア!!!」

 自身の魂すら灼くその一撃。ベリアルの手から放たれたその黒い炎の太く大きな熱線がルシフェルもろとも地を砕き灼き尽くす。

「ぬぅぅぅぅ! これしきの炎でぇぇぇ!」

 が、その熱線を割って、ベリアルの眼前へとルシフェルは現れた。

「我が殺せるものかァァァァァ!!!」

 ルシフェルがベリアルを殴り飛ばす。大地を砕く勢いで背中からの落ちたベリアルが苦悶の喘ぎを溢すと同時に、ルシフェルも急降下した勢いをそのままにルシフェルを踏みつけた。

「ぐぁっっっ!!」

「この愚図がァ……我と同じ天使であったが故に、我のように神の炎を扱えると思ったのかぁ? 愚か、げに愚か愚か愚か愚か愚かだぞベリアル! 確かにこの大きすぎる『劫火』の……いや、『劫火』と『無価値』を合わせた一撃。これは我が『憤怒』を灼いたが、『傲慢』の前では無力よ。それを分からんほど盲目したか馬鹿者めぇぇぇ!」

 ベリアルを踏みつけたまま、ルシフェルが指を弾く。ルシフェルの『憤怒』の炎が頭上で赫く渦を巻き、やがて大剣が――真っ直ぐに落ちれば丁度ベリアルの心臓を貫くように形成された。

「死ね、ベリアル。友であった者を処さなくてはならぬのは心苦しいが……致し方無い。逆賊には死を与える。……例え幾つ年月が経とうとも、貴様の名は憶えておこう。さらばだ、我が旧き友よ」

 ルシフェルが手を振り下ろす。大剣が真っ直ぐに落ちる。ベリアルの胸をその切先が貫く。

 ――その刹那。

「憶えてるだろうよ。オレはまだ、死ねないみたいだからね」

 ベリアルが微笑むと同時に、その大剣は光の粒へと還された。――否、何者かに()()()()()()

「何!? 何が――」

 続けて、ルシフェルは右の角を撃ち抜かれる。天へと逆巻く大角その片方が折れ砕けるその痛みの中に、忌々しき神の光を感じ取った。

「……なるほど、貴様……ようやく思い出したのか」

「ええ。やっと全て、思い出したわ」

 ルシフェルは自身の角を撃ち抜いた銃使いを見る。金色の光を纏うその女は、銃口を向けたままゆっくりと、確かに地を踏みしめて歩いていた。

「違うわね。思い出した、じゃないわ。これは、『想い、継がれていくもの』。それが、この『魂』よ」

 その光は、かつて楽園にいた頃に見た神の威光そのもの。星の瞬きすら曇らせてしまうほどの眩き聖なる灯。

「イヴ……貴様が、貴様がいるからァァァァァ!」

「イヴ、ね。ええ、確かに受け継いだこの魂の源流は、楽園の記憶。原初の人間『イヴ』のもの。でも――」 

 ルシフェルが激昂する。その身に赫灼する業火を纏い、十二の翼を広げた。だが、その輝く赫すらその黄金の魂には敵わない。

「――でも、今のアタシは……アタシの名は、エバ・ヘヴンラック! 憶えておきなさい、明けの明星ルシフェル!」

 その女は――


 ――アタシは高らかに名乗る。この高潔な魂の輝きは、もう誰にも奪えない。


「貴様……貴様貴様貴様貴様貴様ァァ……先の『落日、(ノヴァ・ザ・)明けの明星(ルシフェル)』で死んでいれば良いものを……良いのだな? 良いのだな『イヴの魂』ィィィ! 全てを思い出し、それでも尚進む! ということはこの先、神を殺すしか無いということ! その魂に、永劫に安寧は訪れぬぞォォォ!」

 ルシフェルの言う通り『イヴの魂』――アタシはリリを救うために神を殺さなくてはならない。信仰を捨て、神に反旗を翻さなくてはならない。

 それでも。

「それでも! アタシの魂は―――エバ・ヘヴンラックは地に堕ちないッッッ!!! さぁ、ケリを着けましょうルシフェル。そしてその魂に刻みなさい。アナタの魂を撃ち砕く、このアタシの名をッッッ!」

 それでも、アタシは前に進むと決めた。アタシの魂の責任はアタシが取る。

「来い、掛かって来い『イヴの魂』! その慢心もその魂も、我が灰塵へと滅してやる!」

 アタシは眼前の暁星へと銃口を向ける。

 神に反逆し地に堕ちた魂――ルシフェル。反対にアタシは、神を信仰して生きてきて、今更ここで信仰を捨てて神へと反旗を翻す。

 それでもアタシの心は、魂は。

 決して地に堕ちることなど無い。


 

 ―――『この大魔女をどうにかしてくれ』

   第一部 エバ・ヘヴンラックは地に堕ちない。



 これは、この世界の始まりから続く大魔女の呪いを解き――大魔女リリスの魂を救う物語だ。

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