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言い分を通したきゃ勝て

「ほう……まだ姿形を保っているとは。少々侮っていたが、なるほど。全開の『豊穣』にリリスの持つ原初の魔力を掛け合わせたか。小賢しいことを」

 無辺の空劫。地上の一切が漂白された地平を魔王ルシフェルは見下していた。その目線の先は、リリに背を触れられて膨大な魔力を注入されながら『豊穣』を最大展開するベルゼブブ。『豊穣』によりダメージを受けると同時に回復を施されてはいたものの、命を繋ぐのが精一杯だったために全員傷だらけであった。

「ち……くしょう……リリから魔力貰っててコレかよ……」

 ベルゼブブが膝を地に着く。それと同時に、『豊穣』の金色の魔法陣は消滅した。

 それを見てルシフェルは、飛翔し全てを見下ろすままに拍手をする。ルシフェルが言った。

「見事、見事だベルゼブブ。リリスからの補助があるとはいえ、我の『落日、(ノヴァ・ザ・)明けの明星』(ルシフェル)を受けて尚その権能を保ち、仲間の負傷を可能な限り抑えたか」

「むかつくなァ……大体何だよ、そのクソダセェ名前はよォ……ごはァ……!」

「ッ……! バブちゃん!」

 ベルゼブブが血を吐く。その身体はとうに限界を越えており、手指の先から少しずつ灰となって崩れていった。それを見ていたレヴィとベリアルが、ベルゼブブに寄り添った。

「ベルゼブブ、もういい。無理すんな!」

「蝿野郎! 魂が完全に消滅する前に自分に『豊穣』を……」

「ッるせェ奴らだな……散り際くらい静かに逝かせてくれや……」

 ベルゼブブは自ら仰向けに倒れ込む。浅い呼吸を繰り返しながら、その身体は徐々に崩れ続けていた。

 リリがすぐさまベルゼブブの胸に触れて魔力を与えようとするが、それを力無い腕が掴む。そっと掴んだその腕を退けて、ベルゼブブは静かに言った。

「やめろリリ。魔力切れもあるが、術式が焼き切れてやがる。ここまで全力で回したンだ。しばらくは『豊穣』は出せねェ。お前の持つ治癒魔術でも、俺の身体の崩壊は止められねェよ。……悪いな、リリ。俺はここでリタイアだ。すまねェな」

 権能術式の焼き切れ。つまりは魔術式の使い過ぎでその術式がオーバーヒートし、一時的に術式が崩壊したことを表す。焼き切れた術式は再度組み上げるまで使用不可となる。しかしそれは本来ならばあって無いような現象。何故なら、権能と呼ばれる魔術式をあまりにも過度に使用し過ぎない限りは起こらない現象であるし、大抵の場合は術式が焼き切れる前に使用者の魔力が底を尽く仕組みだからである。

 だが今回ベルゼブブは、ルシフェルの一切を無に還す『落日、明けの明星』を受けて消滅させられるのよりも僅かに早く『豊穣』で回復させ、更にはそれを他の者たちの分まで行った。自身の持つ魔力のみで行ったのであれば、または自身にのみ『豊穣』を使っていたならば。そうすれば彼の術式が焼き切れることは無かっただろう。だが、彼はリリたち全員の分まで『豊穣』を用いた。それも自身の魔力のみならず、リリからリアルタイムで魔力を貰いながら権能を使い続けた。ベルゼブブの持つ魔力は地獄の悪魔の中でもトップクラスに多く、また一度に扱える量も膨大。だが、ルシフェルの『落日、明けの明星』を受け切るには足りなかった。そこで彼はリリから魔力を常に供給されながら『豊穣』を展開させたのだ。ベルゼブブが一度に使える量の数倍の魔力を常に受け取りながら出力する。そんなことをすればいくらベルゼブブといえ、術式は焼き切れて身体は耐え切れずに崩れるだろう。

 ――そんなことは承知の上で、ベルゼブブは行動に移したのだ。何故か。それは――。

「契約者だからなァ……分かるぜ……エバは、生きている。ダメ押しで、契約時に渡した魔力も全部アイツの回復に回したからなァ……感謝しろよ、リリ。まァ、生かすのが精一杯で傷までは治してやれなかったがな。すまねェ」

「だめ、だめだよバブちゃん……死んじゃ嫌だよ……バブちゃん……」

 涙を流すリリを見て、ベルゼブブは「うはは、良い友達(ダチ)を持ったモンだな」と力無く笑ってみせた。身体は既に半身が消滅していて、レヴィとベリアルはもう彼が助からないことを悟ってしまい、直視できない。

 ベルゼブブが言う。

「泣くな、リリ。……たまにで良いからよォ、タオのお嬢ンとこの中華料理屋、行ってやってくれ」

「何バカ言ってんの! バブちゃんが行かなきゃだめでしょ!」

 そうだな、そうだよなァと呟きながら、ベルゼブブはレヴィとベリアルに目を向けた。

「レヴィ、ベリアル。リリとエバを頼んだ。ルシフェルの野郎をぶっ飛ばせるとしたら、エバだけだ。アイツの弾丸が届きゃア勝ちよ。いいな?」

「あぁ、任せろベルゼブブ」

「蝿野郎……お前、また帰って来るんだろうな? お姉さま泣かせて、そのままさよならなんて許さねぇぞ」

「さァねェ。どうかな……そろそろか。あばよ、お前ら。俺がここまでしてやったンだ。勝てよ―――」

 ただ静かに、仄暗く。遂にベルゼブブの身体は全てが無情な灰に代わり崩れ果てた。後には何も残らず、未だ目を開けないエバの左手の甲からベルゼブブの契約紋が消えてゆく。

 ベルゼブブが消えたのを見届けると、レヴィは泣くリリに寄り添い、ベリアルは拳を握り締めてルシフェルに向き直った。その目に恐れは無く、あるのは怒りと闘志のみであった。

「……まだそんな目が出来るのか。面白い。相手をしてやろう」

「レヴィ」

 ベリアルがレヴィの名を呼ぶ。レヴィが「……何だよ」と返すと、ベリアルは背を向けたまま言った。

「リリちゃんとエバちゃんのこと、頼んだ」

「……アンタはどうするのよ」

「オレはルシフェルとタイマン張ってくるよ。大丈夫。楽園にいた頃からよく殴り合ってた仲だ。アイツの喧嘩の癖は、今でもよく憶えてるよ」

 ベリアルが魔王を見据える。かつての友から向けられる、勇ましき反逆の眼差し。その眼に、ルシフェルは呵々大笑して地に降り立った。しかしその足を地に着けることはせず、拳ひとつ分飛翔したままである。

「面白い。相手をしてやろうベリアル。……構えよ」

 ルシフェルの『憤怒』が再び燃え盛る。その炎に呼応するように、ベリアルの『劫火』の炎も大きくなった。金色にも見える赫、相対するは熱く大きな黒い炎。両者は今、お互いしか見ていなかった。

「ベリりん……」

「行けリリちゃん! レヴィ! ……エバちゃんが目を覚ますまでの時間くらい、オレが稼いでやるよ!」

「……行きましょう、お姉さま」

「で、でも――」

「お姉さま!」

 レヴィがリリの手を強く引く。涙が収まらないリリはここに残ろうともう一度ベリアルを見るが、彼の背中から見えたものは覚悟であった。何があっても、絶対に護る。何を賭しても、絶対に一撃与える。何があっても――例えこの命の炎が尽きることになろうとも。

 その覚悟を見てしまって、リリはもう何も言えなかった。

「レヴィ、行こう」

「……はい、お姉さま」

 リリはその細腕でエバを担ぎ上げ、ベリアルに背を向けて歩く。レヴィと共に数歩離れたとき、ベリアルの方に振り返り、言った。

「ベリりん、死んだら嫌だからね」

 その言葉に振り返ること無く、ベリアルは口角を目一杯上げて笑う。

 自分が惚れたひとからの一言。それだけで、ただのこれだけでどれだけ心強いことか。どれだけ鼓舞されることか。

「リリちゃんに言われちゃあ、死ねないなぁ!」

 ベリアルはそれだけ言うと、リリたちを除外するようにして自分とルシフェルを『劫火』の円で取り囲んだ。それはルシフェルをリリたちに近付けさせないためでもあり、リリたちへの未練を己が断ち切るための一閃。

「……行きましょう、お姉さま」

「うん」

 リリたちが駆けてその場を後にする。しばらくしてリリたちの足音すら聞こえなくなると、ルシフェルが口を開いた。

「……行ったか」

「ああ。さて……やるか、ルシフェル」

 二人を囲んでいた円状の炎が解かれ、ベリアルの元へと収束する。黒炎の主は一つ大きく深呼吸をし――

「久しぶりに、喧嘩でもしようか!」

 ――その『劫火』を全身に纏った。それは黒い鎧であり武器である。大鎌状の炎を携え、その腰からは大きな黒い翼が一対。

「上等だ、我が旧友よ。たまには楽園での日々を懐かしむのも悪くない」

 ルシフェルの纏う『憤怒』の炎が熱を上げて形を変える。その身に鎧は無く、あるのは金色の炎で編まれた大剣が十二本。ルシフェルが広げた十二の翼に呼応するようにして浮くその剣たちは、何者も触れることが無いまま切先をベリアルへ向けた。

「懐かしいな、お前のその……天使長スタイル。十二の翼と十二の剣。軍の最前で舞うお前の姿が、何よりもオレたちの憧れだったよ。だからお前が楽園を出るとき、オレたちはお前の後を着いていった」

 ベリアルは懐かしむ。眼前の暁星と共に闘った誇らしき日々を。

「……後悔、しているのか。我と共に堕ちたことを」

 ルシフェルは問う。自らの怒りに友を巻き込んでしまったという、忘れかけていた己が悔いを。

「いいや、全く悔いは無いね! オレも神が嫌いだ。お前とだったらどこまでも飛べる。どこまでも行ける! 地獄に堕ちたって、お前となら――そう思った。だから神に反旗を翻し、お前と共に堕ちた。他の奴らもそうだろうよ。それこそ、ベルゼブブだってな。……だが、今のお前は違う。あのときオレらが憧れたお前じゃない。神に反旗を翻したとき、お前は言ってたよな。リリちゃんを救うために神を討ち果たす。そうお前は言った。リリちゃんを救うためにお前は……オレらは楽園を捨てたんだ。なのにお前は変わっちまったな。何がお前を変えた? 何でお前はリリちゃんが嫌がることばかり――」

「――黙れ」

 ―――衝撃。回転を掛けてその命を断つべく振り下ろされた金色の大剣を、ベリアルは黒炎の大鎌の柄で咄嗟に防ぐ。火花を散らしてぐっと堪え受け、大剣を弾き飛ばした。弾かれた大剣は再び星の翼の元へと戻る。

「……そうか。分かったよルシフェル。お前は昔から多くは語らなかったな。言葉が足らないのは、変わってねぇんだな」

 ベリアルが翼を大きく羽ばたかせ、飛翔する。それに合わせてルシフェルも飛翔した。

「貴様らの騙る正義と、我の思う正義。形は違えど、目的は同じ。――リリスの魂を救う。それだけだ。だが、取り合う手は無いようだな。ならば此処に正義はもはや無く――」

 ルシフェルは手を伸ばす。眼前の旧友に十二の切先を向けて。

「――言い分を通したきゃ勝て。それだけだってなぁ!」

 ベリアルは大鎌を構える。眼前の旧友を討つために。

「行くぞ、ルシフェル!」

「来い、我が旧き友よ――!」

 悪魔を名乗り地獄に堕ちた二人の天使たちが、刃を交える。

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