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アナタの魂を救うわ

 ――創世と滅亡の光に呑まれたアタシは、滅び消えゆく微睡みの中で夢を見る。

 それはエバ(アタシ)ではないアタシが、そこに生きていた証だった。

 断片的であるのに、何故かすっと理解できた。

「――視て、聴いて、エバ・ヘヴンラック」

 声がする。聞いたことが無いはずなのに、何よりもアタシはその声を識っている。

「これは、アナタの……いいえ、アタシの記憶。この魂に記録された原初の記憶」

 その夢は、誰の―――

「お願い、遥か遠き輪廻のアタシ。リリスを――助け――神を――殺―――」

 光と共に、リリの甘い匂いが鼻をくすぐった。




―――

「イ〜ヴちゃん! それなにー?」

 リリスがアタシに話し掛けてくる。なに不自由無いここ楽園でアタシ、イヴは神さまに創られた三人目の人間だ。一人目は男のアダム、二人目が女のリリス。そして最後に女のイヴ、アタシだ。

 神さまは元々、自分一人しかいない孤独な世界での住人として、この楽園にアタシたち『人間』という生物のを創り出した。暇潰しや愛玩用に他の生物たちも創り出したが、いまいち納得がいかないのか、そちらについては今もいじくり回している。

「りんご、だったかしら」

 アタシが木になっている金色の果物に手を伸ばすと、リリスは「あ! 思い出した! それ取ったら神さまに怒られるよ!」とアタシの腕に抱き着くようにして腕を下げた。リリスはこうしてよくアタシに色々なことを正しく教えてくれた。だから大好きだった。優しくて、創ったら放ったらかしの神さまと違ってアタシを愛してくれた。姉のような存在のリリスを、アタシも愛していた。

「そうだったのね。知らなかったわ。ありがとう、リリス」

 アタシがそう言うと、リリスは腰に手を当てて得意気に言った。

「おねーちゃんのリリスが、何でも教えてあげる!」

 アタシは、いつもリリスと一緒にいた。リリスが隣りにいてくれることが、何よりも好きで安心できた。

 こんな時間が永遠に続くと思っていた。



「リリス。イヴ。少しいいかな」

 ある日に神さまがやってきて、こんなことを言い出した。

「人間ってのはかなり自信作なんだけど、如何せん最初に持ってる知識が少なすぎる。私の持つ叡智を一から教えるのは手間と時間がいくらあっても足りないんだ。そこで、代償の代わりに知恵を与える『天使』という生物を創ることにした。『天使』を人間と区別するために、既に生み出した他の生物の一部と複合させた見た目にしようと考えている。男は一つしか無いから、二つ創った女から一人を選ぶことにした」

 神さまの話はいつも難しくて、アタシにはよくわからない。リリスは神さまの話を難しそうな顔をして聞いていた。

「……性能的にはリリスもイヴも大して変わらないから、どっちかを『天使』にするんだけど……魂そのものに無理やり合わせるからとても痛いし苦しいと思う。どっちがやる? お前たちで選んでくれ」

 神さまが何をしようとしてるのかよく理解できなかったアタシは、ただ話を聞いていた。アタシが理解できずにいると、リリスが手を挙げた。挙げさせてしまった。これが間違いだったんだ。

「……イヴが苦しむくらいなら、リリスが『天使』になる」

 リリスがそう答えると、神さまはリリスをどこかへ連れて行ってしまう。

「リリス……」

 アタシが呼ぶと、彼女は振り返ってコチラを見る。「大丈夫だよ、イヴちゃん。すぐ戻って来るから!」

 その笑顔は、どこかいつもより強張っていたのを憶えている。



 それからリリスは、アタシやアダムの知り得ないところで神から魔術式と膨大な知識、それから蝙蝠の羽根を無理矢理に植え付けられることとなる。その苦痛は、人間の身体ではとても耐えられるモノではなかった。

 何千年と経ってやっと彼女は笑顔を振る舞うことは出来るくらいに慣れてきたが、創世記である当時は、本来神しか扱うことの出来ない魔術式と明らかに人間の脳の性能からしてキャパオーバーの知識を無理に組み込まれた為に、常に脳が焼ききれそうな感覚と全身が内側から喰い破られるような痛みに気が狂いそうで仕方なかったはずた。

 そんなことに一切気が付かず、また彼女は誰にも気取られず。ただ白痴のままのアタシは無理に笑う彼女と一緒にいた。

 だが天使として出来上がったリリスを見て、神は言った。

「……なんか、思ってたのと違うなぁ。美しくない」

 神は拒むリリスを突き放た。

「何で、何で! 神さまが望むからリリスは……やめて、棄てないで……!」

 泣いて縋るリリスに、神は言う。

「完成品しか楽園にはいらないから、お前は廃棄する。……でも、もし上手く行けば自動的に産めるようにと設計図をお前の中に組み込んでしまったから、頑張って死なないでくれよ?」

 神さまは楽園の門を開き、そこからリリスを突き落とした。

 翌日、神は「それなら初めから莫大な知識量と魔術式に耐えられる体を作れば良いのか」と納得したらしく、リリスをモチーフにして『天使』を創り始めた。



 数日間、リリスの姿が見えなくて心配になったアタシとアダムは、神さまに問うた。

「ねぇ、神さま。リリスはどこ?」

 すると神さまは、作業の手を止めることもせず、こちらに一瞥もくれずに言った。

「あぁ、あの失敗作なら棄てたよ」

「……え?」

 言葉の意味が一瞬理解できず、アタシは呆けてしまう。神さまが続ける。

「でも、そういえば『不滅』を与えるのを忘れていたな……。まぁでもいいか。まだお前たちがいるからな。大丈夫。私は神だ。リリスで試してみて分かった不都合は、既に修正済みなんだ。お前たちがリリスと同じように苦しんだり、痛んだり。失敗作になることはない。だから安心するんだ」

 その言葉にアタシは泣き崩れ、アダムは激昂した。この世界で初めて神さまの頬を張ったのは、アダムだった。

「……何をするんだ、アダム。この私に怒り、反骨するなんて……あぁ、そうか。お前たちも失敗作か。同じ時期に生み出したからな……ならもういらない。お前たちもいらないよ。……出ていけ、この出来損ない共」

「あぁ、出てってやるよ。……イヴ!」

「……うん!」

 アタシは、いつかの日にリリスから「触ったら怒られるよ」の教えられた黄金の林檎を二つ樹からもぎ取り、その一つをアダムに投げ渡した。

「お前たち、何を……」

 目を見開く神さまの目の前で、アタシとアダムは林檎を食べた。その瞬間、人間が持ち得る基本的な感情と知識がアタシたちの脳に流れ込んできた。アタシとアダムは脳が焼き切れるような情報の大波を呻きながらも堪え、神さまを睨んだ。

「これが、僕たちの答えだ。僕たちのことも棄ててくれ、神さま!」

 神さまは怒りに顔を歪め、楽園の門を開いた。

「出ていけ、出ていけ失敗作がぁ!」

 目に付くものを手当たり次第壊す神さまを背にして、アタシたちは楽園から出ていった。



 アタシたちが楽園を出てから数百年が経った。

 アタシたち原初の人間には『寿命』というプログラムが組み込まれていなかった。それでも『死』はあった。身体が自己治癒能力を越えて破損した場合にのみ死ぬようだった。

 試作品であるアタシたちを全て失った神は、最初の三人の身体に埋め込んである『男』『女』『天使』の設計図を元に創り出していく。だが、設計図の魔術も未完成なまま埋め込んだようで、新たに造られた『人間』たちはアダムとアタシ、イヴの影響を受けて林檎を食し、反抗的な態度を取ったり神の意見に異を唱えるようになったという。神はそれに怒り、量産した『人間』たちを楽園から追放した。全て楽園より下層にある世界、つまりは現世へと棄てたのだ。

 それにより現世は『人間』で溢れた。新しく創られた『人間』には『寿命』があった。

 『人間』は失敗作。ならば『天使』たちを使役しようと量産したが、今度はリリスの中にある『天使』の設計図がリリスの影響を受けた為に、創られた『天使』の約半数が生まれながらにして神への怒りと憎しみを抱いていた。

 神を殺さんとする彼らと神を敬愛する天使たちが争い、反逆者たちは楽園から追放された。この時に反逆の船頭に立ったのが『最高傑作』と神に称され、神のみが扱える『光』を与えられたルシフェルであった。ルシフェルたち追放された天使は現世よりも下層であり楽園から最も遠い場所、地獄に住み、自らを『悪魔』と名乗った。



 それからまた数百年。

「久しぶり、イヴちゃん」

「久しぶり、リリス」

 神への怒り憎しみを抱きつつも現世で隠れて生きていたリリスは、自分を追ってアダムとアタシが楽園を出てきたこと。アタシたちを元に創られた『人間』が全て現世へと棄てられ、現世で繁殖し文明を築き上げていること。それから、自身を元に創られた『天使』の半数が現世より下層の地獄へ逃れたことを知り、自身も地獄へと移り住んでいた。

 時々こうして現世に顔を出しては、アタシやアダムと会っていた。

「……身体は、大丈夫?」

 アタシは問う。リリスは笑って「大丈夫だよ。だからそんなに心配そうな顔しないで」と言うが、その顔はやつれていた。

 もう千年近く、リリスは膨大な痛みに苛まれ続けている。神の持つ全ての知識と魔術式その留まることを知らない情報量に脳を焼かれ続け、本来ならば人間が扱えないはずの魔力が血管中を這う痛みに耐え続けている。

「ごめんなさい……アタシが、アタシがあのとき手を挙げていれば……」

「そんなこと言わないで、イヴちゃん。……(アイツ)が組み込んだ魔術式は身体じゃなく、魂そのものに刻まれてるから絶対に取り除けない。『人間』じゃなくなったから、死んでしまいたくても簡単には死ねない。……こんな苦しみを大好きなイヴちゃんに背負わせるなんてこと、出来ないよ」

 リリスはアタシのことを優しく抱きしめてくれる。

「この痛みを背負うのが、イヴちゃんじゃなくて良かった」

 聞いた者を安堵させる、優しく温かな声。それがアタシには痛かった。

 どんな苦しみを受けても、リリスは決してアタシに怒り憎しみを向けなかった。リリスが苦しんでいるのは、あのとき手を挙げなかったアタシのせいなのに……。

「ねぇ、リリス――」

 アタシは顔を上げる。リリスは優しく、柔らかく微笑んでいた。


 ――あなたのせいじゃない。あなたは悪くない。私は大丈夫だから、あなたは自由に生きていい――


 リリスの微笑みから彼女の想いが伝わってきて、アタシは泣きそうになってしまう。優しさが痛い。アナタの優しさが痛いよリリス。

 泣いたら駄目だ。苦しいのはリリスなんだから。その役目を負わせてしまったアタシに、涙を流す権利は無い。

「アタシが、アナタの魂を救うわ」

 リリスをモチーフにして創られた『天使』――その中から反逆して楽園を出た『悪魔』。彼らは既に『人間』と関わりを持っている。望みを抱える代償として魂を取ったり、中には気まぐれで現世に来ては『人間』を殺すだけの者もいる。

 アタシたちより後に創られた『人間』の生物としての目的は、「生きること」にあった。だから自分たちの生命を脅かす『悪魔』に対抗すべく、『祓魔師』という組織を作り上げた。祓魔師は銀などを用いり、『悪魔』を祓っている。

 『悪魔』は元々、リリスをモチーフに創られた存在だ。ならば、その生命構造はリリスも同じはずだ。つまり、『悪魔』の魂を消滅させることが出来ればリリスの魂も消滅させられる。

 そうすれば、リリスの魂に刻まれたものも消滅する。

「……イヴちゃんは、イヴちゃんだよ。『人間』のイヴちゃんとして、自由に生きていいんだよ?」

「アナタに苦しみと痛みを埋め込んだのは神。でも、そうさせてしまったのはアタシ。なら、これはアタシの責任よ。……たった一人の姉だもの。大好きな姉が自分のせいで永遠に苦しむなんて、そんなの……」

 アタシが俯くと、リリスはアタシの頭をそっと撫でながら言った。

「イヴちゃんは、本当に優しいんだね。もうリリスのことは気にしないでって言っても、聞かないよね」

「当たり前でしょ」

「……なら、待ってる」

 リリスがアタシをそっと抱きしめる。

「何百年でも、何千年でも待ってる。だからきっと、いつかリリスの魂を救ってね」

―――




「それからアタシは祓魔師になった。祓魔師として『悪魔』の魂を消滅させる手立てを探し、何度も死んで、何度も生まれ変わり、それでも諦めなかった。リリスを救う。それだけを強く宿し、アタシの魂は輪廻を繰り返した」

 声がした。アタシ、エバ・ヘヴンラックは振り返る。そこには、イヴと呼ばれていた女がいた。イヴが続ける。

「エバ・ヘヴンラック。アナタは、イヴ(アタシ)の一○一回目の輪廻。その魂」

「アタシの前世……原初のアタシは、創世記のイヴ……」

 不思議と困惑は無かった。自分でも驚くくらいに、アタシの思考は冷静で落ち着いていて、それどころか妙に全てを納得していた。

 そうか、だから『イヴの魂』。レヴィたちが言っていたことが分かった。

「エバ。やることは、分かっているわね?」

「ええ。……でも、アタシは弱い。アタシは、エバ・ヘヴンラックはアナタほど強くはない。一人じゃまともに悪魔を祓うことすら出来ない今のアタシに、魔王を倒せるとは思えない」

 それは諦念だった。己の弱さを改めて痛感する。分体であるルシフェルにすら畏怖し、他のベルゼブブやレヴィ、ベリアルと違ってアタシは何もすることが出来なかった。ただ、見ているしか出来なかった。

「一人じゃないわ」

 アタシの足元に、見覚えのある魔法陣が拡がる。それは麦の紋様が刻まれた、優しく尊い生命の実りを報せるベルゼブブの『豊穣』の陣だった。

「ふふ。今世のアタシも、随分と悪魔たちと仲良しなのね。ベルゼブブも、また面倒を見てくれているのね。本当に優しい子ね」

「これって、ベルゼブブの……!」

 突如として展開された『豊穣』に驚くアタシに、イヴはそっと手を差し伸べる。イヴが言う。

「アナタは一人じゃない。あの子たちが傍にいてくれる。それにアナタは弱くない。デカラビアやアスモデウスと戦ったとき、アナタは最後まで諦めなかった。相打ちだとしても、と顔を上げて進んできたでしょう? その魂の輝きは、誰にも堕とせやしない」

「ずっと……見ていたの?」

 イヴが微笑む。そうだ。そうだった。アタシはどんな逆境でも、いつも前を向いていた。リリを守るためなら、死の恐れすら踏み倒して引き金を引いてきた。

 リリを守るためなら。リリと生きるためなら。リリの笑顔をまた見られるなら――。

 リリが隣に居てくれるだけで、それだけのことで心強かった。


『――エバちゃん……! 目を覚ましてよ……!』


 その声に、アタシはハッとした。見るとイヴもその声に気が付いている様子で、一瞬だけ泣きそうな顔をしてから優しく微笑んだ。

「呼ばれているわよ、エバ」

「……ええ。リリが呼んでいるなら、アタシはもう行かなくちゃ」

 アタシはイヴの手を静かに取る。その瞬間、イヴの身体は無数の光の蝶に変わって弾けた。

「――覚悟をなさい、エバ。アナタはこれから、信仰を捨てなくてはならない。神の力を以て、神を殺さなくてはならない。そして何より――」

「――何より、リリを救う」

 イヴの光は、暖かかった。新春の風のようなその光たちは、突風のように吹きすさび、アタシの胸から入ってくる。

「――その通りよ。さぁ、行きなさい。アナタはまだ生きているのだから」

「アナタはこれからどうするの?」

 アタシはイヴの光に問うた。記憶と使命を託すという役目を終えたこの魂の残光は、何処に行くのだろう。

「今世の役目は終えたわ。でもそうね……もうひと頑張りしようかしら。……リリスが泣くのは、見てられないからね」

「……そう」

「アタシからも一つ、訊いても良いかしら?」

 イヴが問う。その声に本当の優しさに隠された不安の色を見て、本当にリリと姉妹なんだなと感じた。

「アナタがリリスを救おうとするのは、自分の……エバ・ヘヴンラックその人の意志? それともこの魂の――」

「アタシ自身の意志よ。アタシが決めたこと。大切な友達が泣いているなら傍にいてあげたい。笑っているなら、その隣で一緒に笑って生きていたい。そう思うのは、ただのアタシの感情よ」

 アタシがそう答えると、イヴは「そう。なら良かった。どうか傍にいてあげて」と言う。

 その声に、不安の色は見えなかった。

 アタシは目を閉じて深呼吸をした。身体に入ってきたイヴの光が、血管を循環して身体中を巡っているのが分かる。恐れは無い。迷いも無い。この光は、よく身体に馴染む。

 アタシは目を開ける。眼前に伸びる光の道。

「――さぁ、いってらっしゃい。エバ。リリスを頼んだわよ」

 アタシは光の道へと踏み出した。歩みの最中で一度だけ振り返る。

 そこにはもう、イヴの姿は無かった。

「いってきます、イヴ。リリのことはアタシに任せて、ゆっくり休みなさい」

 それからはもう振り返ること無く、アタシは歩き続ける。その先で、黄金の光を強く掴んで目を開けた。

 アタシの魂は今、暖かな黄金の光を纏って―――。

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