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落日、明けの明星

 ルシフェルが挙げた手を静かに振り下ろす。

「――全軍、前進。鏖殺せよ」

「ぃよっしゃぁぁぁ殺せぇぇぇぇぇ!」

 咆哮を上げて地を踏み砕き、無数の悪魔たちが突撃してくる。アタシは銃口を悪魔たちに向け、リリは大きな魔法陣を複数展開させる。

「行くぞルシフェル―――!」

 ベリアルがルシフェル目掛けて駆け出そうとした、その刹那――。

「面白そうなことしてンじゃねェかよォ!」

「お姉さまに剣向けてんじゃねぇぞゴラぁぁぁ!」

 進軍する魔王軍の三分の二ほどが大地ごと喰い穿たれ、または渦巻き捻り潰された。有象無象の阿鼻叫喚を掻き鳴らして、悪魔たちは現世から離脱していく。

「よォ、また会ったなァ?」

 声の方を見る。そこにいたのは、ガラの悪い長髪の男と小柄なリリによく似た少女。ベルゼブブとレヴィだった。

「……アナタたち!」

「レヴィ! バブちゃん! 来てくれたの!?」

「お姉さま〜〜!! 大丈夫ですか!」

 レヴィがリリに抱き着く。その際にベリアルは「邪魔!」と蹴り飛ばされ、その先でベルゼブブに受け止められた。

「ベリアル。テメェ、(オトコ)見せたじゃねェかよ」

「……ははっ。あの時は分体とはいえさぁ……殴られまくったのちょっとトラウマだから、当分お前の顔見たくなかったのになぁ」

 ベリアルは不敵に笑みながら立ち直り、ベルゼブブは「うははっ! そいつァ悪ィ! ……やるンだろ? 俺もあの馬鹿ぶん殴っていいかァ?」とルシフェルを睨んだ。

「レヴィ〜! 来てくれて嬉しいけど、どうして?」

 リリに訊かれるとレヴィは抱き着いたまま「ルシフェルの野郎の気配がしたものですから、これはお姉さまの身に危険が及ぶと思って……そうしたらあの蝿も丁度いたので、戦力は多い方が良いかと♡」

「そっか。レヴィもバブちゃんも、ありがとっ!」

 リリのウインクにメロメロになるリリ。その様子を見ていたベルゼブブがレヴィに言う。

「レヴィ! イチャつくのァ後にしろ。あの阿呆に一撃くれてやンのが先だァ」

「……チッ、っるせぇなぁ。わかってんだよそんなこと。……おいエバ!」

 苛立ったままレヴィがアタシを呼ぶ。アタシが「えっ、あっ……何かしら」とやや慄きながら返事をすると、「悪魔と契約する気はあるか?」と問うてきた。

「え? また契約?」

「また? またってどういうことだよ」

「あー、悪ィなレヴィ。俺がこの前エバといっぺん契約しちまった」

 笑うベルゼブブに「はぁ!? ほんッッッとにお前は! ざッッッけんなよこのクソ蝿公がぁ!」と、仮にもアイドルをやっている者とは思えない怒号を飛ばす。

「あーもう、そういうことならいいか。エバ、お前が死ぬとお姉さまが悲しむからな。お前を生かす策として、悪魔との契約を行ってもらう。代償は「エバもお姉さまもこの戦いを生き延びること」だ」

「待って、誰と契約をすればいいの?」

「私たち全員だよ! 私とベルゼブブと……あとついでに、そこにいるベリアル! いいか?」

 ちょっと待ってくれ。いくら何でも、一人の人間がいっぺんに三人の悪魔と契約なんてしたら、権能を借り受ける際に流れ込んでくる魔力量に耐えられない。

「いっぺんに三人なんて、そんなの無理よ!」

「ゴチャゴチャうるせぇなぁ! エバ! お前なら大丈夫だ! オラさっさと契約いくぞ!」

「ちょ、ちょっと……」

 困惑するアタシがリリに「どうにかしてくれ」と視線を飛ばすと、「エバちゃんなら大丈夫♡」とウインク一つが返ってくる。何を根拠に大丈夫だと!?

「またテメェと契約することになるとはなァ! まァこれも何かの縁だ! 俺ァ乗ったぜ!」

「ははっ! まぁこの子ならイケるっしょ! 『無価値』も『劫火』も貸してあげるよ」

 言い出したレヴィのみならず、ベルゼブブとベリアルも乗り気だ。止めてくれる奴がいない。ヤバい。

「ほら早く手ぇ出せ!」

「ま、待ってよ! 何を根拠に大丈夫なんて……」

「お前が『イヴの魂』だからだよ!」

 ――『イヴの魂』。またそれか。それは一体……

「『イヴの魂』って結局何なのよ……」

「……この戦いを終えたら、教えてやるよ」

 半ば強引にアタシは三人と契約を結ばされてしまう。左手の甲にベルゼブブの牙のような契約紋が、右の手の甲にはレヴィの蛇の契約紋が、両手の中指にはベリアルの黒い炎の契約紋が刻まれた。

「よし、契約完了だ。権能は……ここまでくっきり紋章が入ってるなら、感覚でいけるだろ」

「もう……何なのよアナタたち……」

 体内でそれぞれの悪魔から流れ込んできた魔力たちが暴発することはなく、不思議と上手く溶け合っている感覚がある。アタシは皆の顔をそれぞれ見てから「やれるだけのことはやるわ」と呟いた。

「……貴様ら、何のつもりだ」

 しびれを切らしたルシフェルが低い声で言う。その威圧感を物ともしないように、ベルゼブブが中指を立てて突きつけた。

「ルシフェル。テメェをぶん殴るために来た。歯ァ食いしばれよこンの頭キラキラ星!」

「………殺す。『イヴの魂』と神を殺す前に、貴様らを灼き尽くしてやろう……!」

 ルシフェルの纏う業焔が一気に地上を覆い尽くす。それによりルシフェルが引き連れていた悪魔たちは全て焼き尽くされ、塵一つ残すこと無く地獄へ還っていく。だがそんなことは、この魔王の怒りの前では些事に過ぎない。

 アタシたちの元に炎が届く前に、ベリアルが全てを灰燼に帰す黒炎『劫火』の権能を放ちルシフェルの炎を堰き止めた。赤い炎が黒い炎に打ち止められ、やがて徐々に侵食されていく。ルシフェルの炎をベリアルの黒炎が全て飲み込み、やがでルシフェルすらも飲み込んだ――が、しかし。

「無駄なことを」

 ベリアルの『劫火』がルシフェルの肌に触れた瞬間、その一切が掻き消された。一瞬にして権能を打ち崩されたベリアルが「ははっ、やっぱりね。……笑えねぇ」と苦く笑った。

「どういうこと? 何でベリアルの炎が消されたの?」

 状況が飲めていないアタシに、ベリアルがアタシたちの周りを黒い炎の盾で囲いつつ教えてくれる。

「ルシフェルの権能は二つ。一つは『憤怒』。ずっと身体に纏わりついてるあの炎だね。神への怒りが尽きない限り、アレは常時発動されたままだ。まぁでも、『憤怒』の炎よりオレの『劫火』のほうが火力が高いから、こっちは防ぎようがある。……厄介なのはもう一つの『傲慢』。オレの『劫火』が消されたのはコレだね。ルシフェルの『傲慢』は、ルシフェルを対象とした権能全てを無効化する」

 自分を対象とした全ての権能を無効化って、そんなの勝ち目が無いじゃないか。

 一人で絶望していると、そんなアタシを見たレヴィが背中を叩いて活を入れてくる。

「なに湿気たツラしてんだよ。そこでお前の出番だろうが、エバ」

「え?」

「お前の銀の弾丸は奴に届く。私たちがどうにか隙を作るから、そこにエバが弾をブチ込むって算段よ」

「そんなこと言ったって……どうするのよ!」

 泣き言を喚くアタシの肩を軽く叩いてベルゼブブは一歩前へと踏み出た。前髪を掻き上げて、鮫のようなギザついた歯を大胆に見せて嗤う。

「ンなモン、やってみねェと分からねェだろうがァ!」

 ベルゼブブは蝿の大群に姿を変えて飛翔し、素早くルシフェルまでの距離を詰める。ルシフェルの眼前で人の姿に戻り殴りかかった。

「小癪な」

「――ベリアル!」

「おう!」

 ルシフェルが再び大炎を巻き上げてベルゼブブを焼き殺さんとするが、そのタイミングに合わせてベルゼブブの体表をベリアルの黒炎が包んだ。それによりルシフェルの炎はベルゼブブの身に届かない。

「ッラァ!」

 拳の先のみ黒炎が晴れたベルゼブブがルシフェルの頬を殴りつけた。姿勢が僅かにブレたルシフェルを、ベルゼブブは同様にして両の拳で殴り続ける。そこに『暴食』は無く、ただの暴力が魔王を喰らう。

「………小賢しい!」

「――ここだなァ」

 ベルゼブブは顔を殴るフェイントを仕掛けて無防備な首を掴んだ。ルシフェルはフェイントに騙されて顔面の前に腕を出して炎を上げるが、それは全てベルゼブブが纏うベリアルの『劫火』に防がれてしまう。

 ベルゼブブはルシフェルの喉笛に『暴食』を解き放った。

「――! 貴様ッ!」

 一瞬だが、その皮肉が削がれる。ルシフェルはすぐに『傲慢』で『暴食』を掻き消すが、一発一発の間隔を短く連続で放たれるその牙に、遂にはルシフェルの筋繊維が剥がれ落ちた。

「ンだよ、効くじゃねェか!」

 大振りのストレート。ベルゼブブはその拳に『暴食』を乗せ、苦悶に顔を歪めるルシフェルの顔面に全力で叩き込む。

「オラァァァ!」

 鼻骨の折れる音と共にルシフェルが大きく殴り飛ばされた。だが魔王を殴りとばしたベルゼブブは納得の行かない顔で「どうなってンだ?」とルシフェルを睨めつけていた。

「首に連チャンでブチ込んだときは効いたが、今度は『暴食』が消されたなァ……面倒臭ェ。ベリアル! レヴィ!」

 ベルゼブブが二人を呼ぶ。二人は彼が何を求めているのかを察し、すぐに駆けつけた。

 二人が揃ったことを確認したベルゼブブが、炎を纏って立ち上がるルシフェルを睨むままに言う。

「俺ァ野郎に叩き込み続ける。ベリアルはこのまま『劫火』を展開させて奴の炎を防ぎながら『無価値』で『傲慢』を消せねぇか試してくれ。レヴィは少し離れたところから『捻力』で捻り殺しながら『嫉妬』で『傲慢』を潰せねェかやってくれ。いけるか?」

「オッケー。やってみる」

「私に指示するなよ。まぁ、やるけどさ」

「頼んだぜェ!」

 ベルゼブブがまた駆け出す。ルシフェルは先程よりも赫く煌めく豪炎を纏い六対の翼を大きく広げる。

「ベルゼブブ。貴様は()く殺す」

「やれるモンならやってみやがれッ!」

 またもや大振りのストレートを放とうとベルゼブブは大きく拳を引く。それを見切ったルシフェルがカウンターを狙うべく拳を放った。

「……!?」

「下だ阿呆め」

 ルシフェルが燃ゆる拳を突き出した刹那、その視界からベルゼブブは消え失せる。一瞬の思考停止。それが命取り。ベルゼブブが地に手を着いて下から来ると気づいたときには、既にルシフェルは目下から迫るベルゼブブの蹴りにその顎を打ち抜かれていた。

「……ぐッ……!」

「レヴィ!」

「潰れろぉ!」

 休む暇など与えずに、次はレヴィの権能『捻力』がルシフェルを襲う。蹴られた勢いで反れたルシフェルの身体が捻り巻き上げられていく。骨が砕ける音と魔王の悲鳴が鳴り響き、ルシフェルを取り巻く『憤怒』の炎が弱まった。

 その一瞬を突いて、ベリアルが指を弾く。

「リリちゃん泣かせる奴の権能なんて、存在する価値無いっしょ」

 炎が消える。その事実が、ベリアルの『無価値』が通用したことを表していた。『憤怒』が消えた。ということはつまり、『傲慢』も消されている。

 ベルゼブブが呟き、ルシフェルを睨んだまま手を握り締めた。

「――喰らえ」

 蝿の王その貪牙が肉を喰らい千切る音を轟かせ、ルシフェルは腕一本を残して『暴食』に喰らわれ尽くした。

 力無く無惨に残された魔王の腕は、火の粉を散らせたまま地に落ちる。

「……やったの?」

 すごい連携だった。三人がそれぞれの能力を理解し、言葉無くとも互いのタイミングを瞬時に見極める。そうして、魔王さえも倒してしまうなんて……!

 アタシは魔王が眼前から消滅した喜びにうち震え、思わず隣のリリに抱き着こうとする。

「やっ――」

「まだだよ、エバちゃん」

「……え?」

 リリが静かに魔王の腕を見詰めたまま言う。ルシフェルの姿が消えたというのに、アタシ以外の誰も喜びの表情を見せない。それどころか、より険しい面持ちに変わっていく。

 魔王が消えたという事実に背反するその不穏さが、アタシを再び絶望の底に突き落とした。

「……リリ! コレは、そういうことだよなァ?」

「だと思うよ。……分体で来るなんて、舐め腐ってんなあのガキ」

 低い声で言うリリの言葉。……分体。つまりは、地獄にいる本体が飛ばした下位互換の分身。嘘でしょ? さっきのアレで、本来より弱いの? なら、魔王本来の力は……。

「――来るぞォ! テメェら、もう一丁気張れやァ!」

 ベルゼブブが叫ぶ。その瞬間―――

「―――嗚呼、全く腹立たしい」

 ―――その瞬間、アタシは絶命した。

 ……正確には、そう錯覚してしまうほどに大きな恐怖を感じた。心臓を押し潰され、一瞬にして人間の身体など灰に朽ち変わるほどの怒り狂った赫い熱。

 アタシは魔王の腕を見る。そこで見たのは、まるで星の瞬きだった。

 星が生まれる際には、大きな爆発が起きるという。アタシが見たのはそれだった。目が潰れるほどの輝きを放ち、強かに在るその焔。空を照らす星の光彩。

「分体では、『傲慢』が上手く使えんな」

 純白の翼たちを広げ、宙に浮かぶその(ほし)は静かに目を開けた。

「頭が高いぞ、虫螻(むしけら)どもが」

 神聖ささえ感じさせるその天使が頭に頂くその大角は、天を貫き穿つ、神に叛逆した証。

 爛々と煌めくその姿は、『明けの明星』の名に相応しい輝き。

 傲岸不遜にして神仏衆生の大仇。燃え輝く暁の星――魔王ルシフェルの完全顕現である。

「ハッ! 頭が高い? 空飛んで見下しといて良く言うぜ。……テメェが降りて来いやコラァ」

 その翼を羽ばたかせて宙に身体を静止させたままアタシたちを見下すルシフェルに、ベルゼブブがポケットに手を入れたまま言い捨てた。それに対しルシフェルは、下卑た視線のまま「星が天下を見下すのは、当然の理だろうに」と僅かに微笑んだ。

「まぁ良い。わざわざこうして自ら手を下さなくてはならないというのは面倒ゆえ業腹だが……ふふ。我が分体を討ち滅ぼした勇ましい反逆者どもに、その褒美としてこの王たる我が直々に裁いてやろう。歓べ! 祝え! 此れこそが真なる滅びぞ! 神域に至る金星の、王の慈悲の涙よ!」

 ルシフェルが詠唱を始める。その厳かな(うた)が紡がれ始めると、次第に大地が渦巻く炎に包まれていった。その炎は熱を感じはするものの不思議と熱くはなく、揺らめくそれが先程の『憤怒』の焔とは全くの別物であることが分かる。

「―――此れなるは神の炎。此れなるは創生の灯火。前に世界は在らず、また後に命は在らず星は砕け光る。世を照らす暁の星、明けの明星。我こそが、其れ其の星灯りである―――」

「畜生が……! テメェら! リリとエバを守り一箇所に固まれ! 俺が『豊穣』を全力で展開する! 死ぬんじゃねェぞテメェらァ!」

 焦るベルゼブブがレヴィとベリアルに指示を出し、すぐに三人はアタシとリリの元に戻ってきた。それからすぐにベルゼブブが地に掌をついて、金色の麦畑が包む魔法陣――『豊穣』の権能を大きく展開した。

「ねぇ、コレは何なの? コレもルシフェルの権能?」

 アタシがリリに問うと、リリは深刻な表情で「違うよ、エバちゃん」と答えながらベルゼブブとは別の魔法陣を展開した。

「これはルシフェルが、神から受け継いだ神の魔法。ルシフェルは神への反逆心を持っていたこと以外は、最高傑作の『天使』だったから……っと、バブちゃん! 魔力補完しといた!」

「サンキュー、リリ! ……来るぜェ!」

 ベルゼブブの『豊穣』がリリのバックアップを受けて更に輝きを増すが、それよりも遥かに黄金色に輝くモノがあった。

 ルシフェルが手を前に伸ばすと、ルシフェルが纏う焔がその手元にきらきらと光を散らしながら収束していく。やがてそれは、拳よりも小さな星となり――

「天よ落ちろ。地よ燃えろ。この一撃こそが、神すら()暁星(ぎょうせい)の瞬きだ! ―――『落日、(ノヴァ・ザ)明けの明星(•ルシフェル)』―――暁の星明りに平伏し、盡く逝くといい」

 ルシフェルの手元から地に真っ直ぐ掛かる、光の道。そこを静かに美しく、小さな金星は地に堕ちた。

 その瞬間、眩い光に包まれて地上の万物が滅びた。音も無く、熱も無く、理解するような猶予も無し。地に堕ちた金星が砕けたその光に呑まれ、アタシたちを含めた一切が消滅する。

「クッ………ソがァァァ!」

 ベルゼブブがリリの魔力補完によって強化された『豊穣』を精一杯に用いるが、それも抵抗するに能わず、やがて滅ぼされる。

 アタシは無情の光の中で、絶命した。

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