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お前たちが羨ましかった

 ――リリがベルゼブブと合流するより少し前。『Lost = Paradise』周辺。

 不味い。アタシは息を切らしながらアスモデウスが破壊したビルの瓦礫に身を隠して、ポーチから取り出した銀の弾丸たちを弾倉に装填する。

「大丈夫か、エバ」

「はぁ…はぁ…。正直、ちょっとキツいわね」

 アスモデウスとの戦闘中、ベルゼブブが貸してくれている権能についていくつか分かったことがある。

 まず『暴食』について。『暴食』は目視で対象を指定してそれを噛み千切るイメージで手を握ることで発動でき、弾丸など他のモノにその力を付与することもは可能。その代わり、『目視+手』と『付与』の併発が出来ないこと。どちらかを使いたいときに一度ブブに言って切り替えなくてはならない。

 次に『豊穣』について。『豊穣』はアタシが死なない限りはどんな傷も癒やしてくれるが、スタミナまでは回復しないしコレをどう扱っても攻撃を食らった瞬間の痛みを消すことが出来ないこと。この痛みを消せないというのがジリジリとアタシの体力を削っていく。

「どこに隠れたイヴぅ! 出てこいよ出てこいよぉ! ボクに逆らうなよぉ!」

 既にアスモデウスの両前脚と腕一本は『暴食』で消し飛ばしたが、あの巨体からはとても想像できないくらい動きが素早い。腕を消した後にも何発か撃ったが、それらは躱されてしまっている。どうしたものか。

「エバ。このまま隠れているわけにもいかない。どうする」

「今考えてるのよ。……足音が近いわね」

 地響きに似たアスモデウスの足音が近づいてくる。あの巨体で上から見下ろされれば一発で見つかってしまう。だからといって飛び出せばすぐに駆け寄ってくるか、瓦礫を投げつけてくるだろう。

「銀とベルゼブブの匂いはするんだよなぁ……。ならこの瓦礫の山のどこかにいるんだろうし……あ、そうだっ! コレなら見つかるかな? 見つかるどころか、また死んじゃったりしてねぇ!? あはっ!」

 何だ? 何をする気だアスモデウスは。瓦礫の割れた隙間から声のする方を見ると、アスモデウスは後ろ脚を曲げて姿勢を落とす。上半身を背が地面と平行になるくらいまで反らしたあと、一気に起き上がった勢いのまま残った三本の腕を地面に突き刺した。

「またコレで死んじゃったらさぁ、リリス様はどぉんな顔するかなぁ? ボク、それも楽しみだなぁ!」

 次第に真夏かと勘違いするくらいに空気が暑くなる。まさか、コレが――

「エバ。なるべく離れろ。アレは不味い」

「分かってるわよ!」

 アタシはすぐに距離を取るべく走り出す。だが走れど走れど、あの巨体から繰り出される攻撃の範囲から抜けられている気がしない。気づけばアスファルトから陽炎が立ち昇っていて、ひび割れたコンクリートが煮えた鍋の蓋のように脈動していた。

「あ〜! 見つけた! 見つけたぞイヴ! ……その程度じゃあ、無駄だよ。人間如きが、ボクから逃れられるワケが無い!」

 息を切らせながら走る。離れられるだけ行け。無駄かもしれない。分かってる。でもアタシは、死ぬわけにはいかない。

 リリに「死ぬつもりなんて無い」と言ったから。

「――『破壊』の権能でもう一度死ね、『イヴの魂』ィィ!」

 地割れが起きる。割れ目からは湯が湧いたやかんみたく勢いよく湯気が吹き出し、爆裂音が轟いた。

 何が起きたのか理解するより早く、アタシは熱された空気に肺を焼かれて弾けるコンクリートと共に大きく吹き飛ばされた。

「――バ。エバ。起きてくれ。エバ」

「――ん……うぁ……」

 吹き飛ばされた衝撃で軽い脳震盪を起こしていたらしい。気がついたアタシは自分を中心に展開されている金色の麦畑を見た。

「コレ、は……?」

「『豊穣』を可能な限り使っている。起き上がりつつ、その脇腹に刺さる物を退けてくれ。『豊穣』がある限り回復できる」

 ブブに言われて脇腹を見るとドレスには血が滲んでいて、吹き飛ばされた際に突き刺さったのだろう。アタシの脇腹を背面からコンクリートの中の鉄筋が貫いていた。

「内蔵がやられている。早くせねば死ぬ。急げ」

「そんなこと、言ったって……んん、ぐ…ッ………!」

 アタシは意識が飛びそうな痛みを堪えながら、無理矢理起き上がって鉄筋を引き抜いていく。肉が抉られ皮膚が裂け、引き抜ききると黒ずんだ血がボタボタと垂れる。鉄筋が抜けるとすぐにその傷は『豊穣』によって癒やされる。肉が繋がり皮膚が紡がれ破れていた内蔵も元通りになった。

「はぁ…はぁ……痛っ……たい……」

 身体中の痛みも少しずつ癒えていく。アタシの傷を全て治療すると、アタシを取り囲んでいた麦畑が揺らめいて光の粒となって消え果てた。

 それによって初めて鮮明に周囲の状況が見通せる。

「……嘘、でしょ?」

 アスファルトは捲れて砕け、ビルたちはただの瓦礫の山と化していた。コレがアスモデウスの『破壊』の権能。あんなに煌めいていた夜の街は、今や全てが崩れた焦土と化していた。

 その中心で巨大な竜の影が蠢いている。舞う土埃を腕たちで乱暴に振り払い、アスモデウスはこちらへ進んでくる。後ろ脚を踏みしめる度に大地は揺れ、喰い千切られた前脚が這うと瓦礫たちは更に細かく粉々になった。

「イぃぃぃぃヴぅぅぅぅぅ! まだ生きていたのか! ベルゼブブの権能だな? 畜生めが! ……ならば、お前が一撃で死ぬまでボクは何度でもこの拳を振るおう!」

 そう咆哮すると、アスモデウスはまた地に拳を突き刺した。既に一度放ったからなのか、明らかに先程よりも空気が熱されるスピードが速い。この瓦礫が散乱する状況でもう一度『破壊』を撃たれたら、次こそ飛んできた鉄筋なんかが胸を貫いたりして即死する可能性もある。

 何としてでも次の一撃を阻止しなくてはならない。アタシは瓦礫に足を取られながらも駆け寄り、拳銃の射程距離ギリギリまで近づいた。

 近づいただけで肌の表面が火傷のように爛れ始める。それほどまでにアスモデウスは大気を熱していた。

「ブブ、行くわよ!」

「承知した」

 銃口をアスモデウスの腕に向け、アタシは引き金を引く。『暴食』を纏った弾丸が放たれるが、弾丸はアスモデウスの腕に触れる寸前で熱にやられドロドロに溶けてしまった。

 デカラビアのときと同じパターンだ。ならば――

「ブブ、切り替えて!」

「承知し――待て、エバ。逃げろ」

 大地が大きく脈を打つ。不味い。アタシは伸ばしかけた腕を引っ込めて踵を返し、走り出した。

「『豊穣』って傷を負う前に展開とか出来ないの?」

 アスモデウスから距離を取りながらブブに問うが、「ベルゼブブ本人であれば可能だが、契約者ではそこまでのことは出来ない」と返されてしまう。力を借りている手前こんなことを言ってはいけないが、意外と使い勝手が悪いなと思う。

「次こそ殺してやる! 行くぞ、イヴぅぅぅ!」

 アスモデウスが叫び拳を引き抜く。――その刹那。

「させるかってンだデカブツ!」

 アスモデウスの腕が、拳を沈めた大地ごと抉り消される。一瞬大きく地震が起きたが、今度は爆発することはなかった。

「!? ―――ぅあァァァァァァ! ふざけやがって! 何でお前がこっちに戻ってんだよベルゼブブぅぅ!」

 苦悶の声をあげるアスモデウス。その足元を見ると、ベルゼブブが『暴食』でアスモデウスの腕を喰らい消していた。

「ベルゼブブ! ……来てくれたのね。リリは?」

 アタシが声を掛けると「ッたく、この状況で他人の心配かァ? テメェは何度転生しても根っこが変わンねェなァ」と呆れて言う。

「リリは無事だろうよ。ここからは少し離れたところにいるからなァ」

「クソ…クソクソクソクソクソクソクソクソクソがぁぁぁ! 何故だベルゼブブ! お前もルシフェルを嫌っているはずだろう? なのに何故ボクの邪魔をするんだよぉ!」

「……五月蝿(うるせ)ェなァ!」

 ベルゼブブは蝿の大群に姿を変えてアスモデウスの肩まで飛翔し、人の姿に戻ると肩から生える獅子の頭を蹴り飛ばした。『暴食』の蹴りに穿たれたアスモデウスの獅子の頭は無惨に喰い落とされる。呻くアスモデウスを睨みながら、着地したベルゼブブが言った。

「別にテメェがルシフェルに復讐しようが勝手だ。ンなモンは好きにすりゃア良い。だがなァ、それにリリとエバを利用するってンなら俺ァ許さねェ。リリは俺の友達(ダチ)なンだよ。分かるか? エバが死んだらリリがまた泣くだろうが。前はこの場にいなくて止められなかったからな。……俺は、アイツを同じことで二度も泣かさねェ。その為に、俺はエバ・ヘヴンラックを生かすぜ。……つーわけでこのままテメェを喰い殺してやりてェが、エバ!」

「へゃい!?」

 いきなりベルゼブブに呼ばれて、アタシは驚いて変な返事をしてしまう。そんなことを気にする素振りも無く、ベルゼブブは手で「来い」とアタシに指示を出した。

 アスモデウスに近づくことを一瞬躊躇ってしまう。もしまだ何らかの方法で『破壊』が使えたら、まだ何か隠し持っていたら……。いや、大丈夫。今アタシは一人じゃない。ベルゼブブがいる。リリがベルゼブブに任せたということは、彼がいれば大丈夫ということだろうから。だから、大丈夫。

 アタシはベルゼブブの元に駆けていく。合流すると、ベルゼブブはアタシの肩にいるブブを回収した。

「よし、ご苦労だったな」

「ありがとうね、ブブ」

「では、また貴様がベルゼブブの権能を借り受けることがあれば会おう」

 ブブはベルゼブブの皮膚を喰い破ってその中に潜り込んでいく。ベルゼブブはアタシに「名前付けたのか? 可愛がってやってくれてありがとよ」と微笑んだ。

「一緒にいてくれたから、名前くらいは」

「そうかよ。……エバ、見ろ」

 ベルゼブブが呻くアスモデウスの頭にある王冠を指さした。アスモデウスは何かを察したのか、焦ったように這いずって後退を始める。ベルゼブブが「逃げんなコラ」と後ろ脚を『暴食』で消し飛ばして続ける。

「いいかエバ。アスモデウスを祓うのが今回のお前の役目だ。今からやり方を教えてやるからよく聞いとけ」

「ええ」

「腕も脚も無いアスモデウスが物理的攻撃をしてくることはまず不可能だから、そこは一つ安心しろ。もう一つの権能は……まァあの距離でリリの匂いを嗅いでピンピンしてたお前なら大丈夫だろう。……まず、あの山羊の首を喰らえ。その次に心臓を撃ち抜き、このデケェ図体を崩す。やってみろ」

 ベルゼブブに言われた通り、アタシはアスモデウスの肩から生える山羊の頭に手を向けて握った。『暴食』の権能がアスモデウスの山羊頭を喰い潰す。次に、呻き続けるアスモデウスの胸に照準を合わせて引き金を引いた。

「あァァァァァァァァァ!!! 許さない! 許さないぞ貴様らァァァ!」

 苦悶の叫びと共にアスモデウスの身体が崩れ落ちていく。心臓を銀の弾丸で撃ち貫かれたその身体は、石と成り果てて目下の瓦礫たちに紛れて砕け散った。

 瓦礫の山の上に、首の傷痕から切り分けられたようにしてアスモデウスの人間の頭が座していた。

「これって……」

「コイツは古代にソロモンとかいう祓魔師に祓われてるって言ったな。そのときに、既にこの首から下の身体は消滅している。それでも適当なモンを切って貼って繕っただけにしちゃア、大した出来だったな。……で、次だが――」

「今更やられてたまるかよ! イヴぅ! ボクを見ろ!」

 アタシはつい言葉通りにアスモデウスの巨大な人間の頭と目を合わせてしまう。その瞬間、不思議な感覚がアタシを包んだ。

 これは……リリの匂いと同じような匂い。甘い香りの奥にさっぱりとした香りが隠れている。それからこの感じは、やはりどこか懐かしい。

「エバ。大丈夫か?」

「……ええ。そういえば、アスモデウスもリリと同じく淫魔の側面があったわね」

 アタシが平然として言うと、アスモデウスは焦った様子で「う、嘘だ……何でだよ!」と喚き出した。

「何でボクの『色欲』が効かない!? ただの夢魔よりも遥かに強い、王の色香だぞ! なぜ淫蕩しない! なぜボクに銃口を向け続けていられる! 人間のくせに、何でボクの魅了が通じないんだよぉ!」

「分からねェか? 思い出してみろ。コイツぁ『イヴの魂』だ」

 ベルゼブブの言葉を聞いて、アスモデウスは諦めたように「あぁ、そうか。そうだったな……」と空虚に笑い始めた。

 その様子を見て困惑するアタシにベルゼブブが言う。

「エバ。トドメだ。アスモデウスの魂その本体は、あの王冠にある。王冠の中央に宝石が埋め込まれているだろう。アレを撃て。それで全て終わる」

「……分かったわ」

 これ以上、アスモデウスにアタシを攻撃する手立ては無い。そう確信して、アタシはアスモデウスの頭に歩み寄っていく。

 人間の胴周りほどの大きさがある錆びついた王冠。その中心にただ一つ、爛々と輝く紅い宝石があった。アタシはそれに銃口を向け、「王 アスモデウス。汝、地獄へと還りたまえ」と唱えて引き金を引いた。

 宝石が撃ち砕かれるとアスモデウスの頭が次第にひび割れていく。顔面中に亀裂を這わせたアスモデウスが言う。

「イヴ……そうか、はは。はははっ! お前はもう、とっくに大魔女に魅入られているんだな……神に創られた楽園の子……お前が……生まれながらにして存在価値を与えられたお前たちが……羨ましかった……」

 それだけ言い残して、アスモデウスの頭は宝石のように砕け散った。粉々に宙を舞うその破片は、月明かりに照らされてキラキラとして美しかった。

 頂く者を失った王冠は砂となり、夜風に運ばれていってしまう。

 それを眺めていると、ベルゼブブが「お疲れさん」と一言言う。アタシは振り向いて「ありがとう、ベルゼブブ」と返した。

「おう。ンじゃあ飯、よろしくな」

「ええ。そういう契約だものね」

「エバちゃーーーん!!!」

 声の方に向くと、リリが飛びついてきた。強く抱き着かれ、アタシは少し困りながらもどこか安心していた。

「ごめーん! リリが勝手に決めちゃってこんなことになっちゃって……でも、大丈夫だったでしょ?」

「何度死にかけたと思ってるのよ……もう」

 ベルゼブブの権能が無ければ死んでいた。傷は残っていないとはいえ、意識が飛ぶほどの痛みを何度も味わった。それでも、リリの顔を見ると安心して許してしまう自分に、アタシはため息が出た。

「……そのクマ、どうしたの?」

 リリが指を弾いて結界を解きながら「ん? この子可愛いでしょー」と手に持つクマのぬいぐるみを見せてくれる。口から血を垂れ流したその様相にアタシは「可愛い……?」と疑問に思う。

「可愛いでしょ!……べりくまって名前付けたの」

「べりくま……」

 まぁ、リリが楽しそうだからいいか。隣にいるベルゼブブが「べりくま……良かったなァベリアルの奴」と笑っているのが気になった。

「そういえば、ベリアルはどうしたの?」

「惚れた女に看取られて逝った」

「ベリりん死んでないからー!」

 仲のいい友達のようなノリで言い合う二人を見ながら、アタシは心から安堵する。リリが無事で良かった。ベルゼブブのお陰でアタシも生きている。あぁ、何だか、とても疲れた。

「……っと、大丈夫かエバ」

「エバちゃん!?」

 さすがに疲れが出たのか、気を抜くと少しフラついてしまう。ベルゼブブに抱えられながら姿勢を整える。

「大丈夫よ。……お腹空いたわ」

「お、ンじゃあ早速食いに行くか?」

「この時間にやってるお店ってなるとー……」

 リリがスマホで飲食店を調べてくれる。アタシとベルゼブブはそれを見ると、料理の写真で余計に腹を空かせた。

「酒が呑めるところが良いよなァやっぱり」

「アナタ、いつもそうやって呑んだくれてるの? 肝臓悪くするわよ?」

「タオのお嬢みてェなこと言うなよ」

「そういえば、バブちゃんはあの子とどうなのー?」

「ア? だからそういうンじゃねェって――」

 普段通りに戻った街で、アタシたちはネオンライトの下を人々を掻き分けて駅の方に歩いて行った。

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