このクソ横恋慕
――エバとアスモデウスの交戦中、同時刻。ビル横の開けた場所。通称トー横広場。
「ったく、『無価値』は面倒ったらねェな」
ベルゼブブは消し飛ばされた腕を『豊穣』で再生させながら呟く。彼の足元に拡がった金色の麦畑が陽炎のように揺らめき消えると、ベルゼブブは再生した腕を背後にあるゲームセンターの自動ドアに突き伸ばして握った。
「――スゲーな。結界内でもクレーンゲームって動いてんだ……おっと」
「……チッ」
ベルゼブブが舌打ちをしながら振り向くと、ベリアルは無人のゲームセンターで獲得したぬいぐるみ片手に自身の権能『無価値』で、向けられた『暴食』を弾いていた。
ベリアルの権能の一つ――『無価値』。ベリアルが指を弾くことで発動する。ベリアルが「価値無し」と判断した物体や事象を消失させる権能だ。ベルゼブブは既に何度も『暴食』を「食らうどころか避ける価値も無い」と測られ、この『無価値』によって攻撃を弾かれていた。
「そうカリカリするなよ? ほらこれっ」
「ア? ……っと。ンだコレ」
ベリアルがヘラヘラと笑いながらベルゼブブにぬいぐるみを放る。受け取ったぬいぐるみを見ると、口から血を垂れ流すクマのぬいぐるみだった。
「やるよそれ。何かちょっと可愛くね?」
「いらん。リリにでも渡せ」
そう言ってベルゼブブはぬいぐるみをベリアルに投げ返す。ベリアルはそれを受け取ると不服そうに「えー、可愛いだろこれ。センス悪ぃなぁ」と言ってゲームセンターの自動ドアの前にぬいぐるみを置いた。
「好みの違いだ馬鹿野郎。つーか、俺とやり合ってるときにンなモン取って来ンなよ。……テメェ、舐めてンのか?」
ベルゼブブがドスの利いた低い声で威圧する。蝿の姿こそ無いが風と共に無数の羽音が鳴り、溢れ出る『暴食』がベルゼブブの意思に関係無く傍にある街灯を喰らい潰した。
「ははっ、怖いこわい。だからそうカリカリすんなって。オレの『無価値』に対抗出来ねぇ奴なんて、そりゃあ見下すだろ?」
「そうか。……俺ァダチ以外に舐めた口利かれンのは嫌いなンだわ」
ベルゼブブの睨眼その視線がベリアルを射貫く。睨むだけで『暴食』を発動させるが、ベリアルはその気配を察知して指を弾いた。
「バカだなぁ。何度同じことやりゃあ気が済むんだ? なぁ、ベルゼブブ。お前、そんなに弱かったっけ?」
「黙れ」
ベルゼブブは地を踏み砕き、いっぺんに距離を詰める。拳に『暴食』を付与してベリアルの頬目掛けて打ち込んだ。
「ハイそんなん当たりませーん」
「ッ――らァ!」
指を弾くベリアルに、ベルゼブブは拳を消滅させられる。が、すぐに身体を捻ってベリアルの頬を蹴り飛ばした。その足には、当然『暴食』が付いている。ベリアルは予想外の蹴りを受け身無く食らい、その威力に吹き飛ばされながら頭部を喰らい千切られていた。
「……アァ? どうなってやがる」
『豊穣』で拳を再生させながらベルゼブブは自身が蹴り飛ばしたベリアルを見た。『暴食』で喰らえたのは頭だけ。その事実にベルゼブブは違和感を抱く。
ベルゼブブの『暴食』は、本来ならば対象の魂を捉え存在ごと喰らい尽くす権能だ。悪魔の権能というものは、借り受ける契約者が扱えるのは権能本来の力の下位互換となるため、例えばエバが同じことをした際には攻撃を当てた部位のみが消し飛ぶだろう。しかし、ベルゼブブ自身が『暴食』の権能を用いて攻撃を当てたならば、――魂を捉えて存在ごと喰らい尽くす――当たった時点でその存在が丸ごと消滅する。当たれば確殺。それが『暴食』の権能である。はずなのだが。
権能を付与した蹴りを当てたのに、ベリアルの身体は健在している。何かがおかしい。ベルゼブブは立ち上がる首の無いベリアルの身体を静かに見据えた。
「どういう絡繰だ? アスモデウスの野郎みたく魂を小分けにして各部位に散らしてるなら納得だが……俺の『暴食』が、魂が一つだけのお前を食い残すワケが無ェ」
立ち上がったベリアルの首が黒い炎を上げた。炎は揺らめいて次第に頭の形を形成し、灰を散らして晴れると元通り再生した顔でベリアルは不敵に笑んでいた。
「あはっ! いっっっ……て〜マジで痛え。加減とか無いワケ?」
「そういえばテメェ、『劫火』はどうした」
ベルゼブブがベリアルのもう一つの権能について問う。ベリアルには対象を消し去る『無価値』の他に、触れたモノを灰燼に帰す炎『劫火』という権能が存在する。『無価値』ばかりで『劫火』を一度も用いていないことにベルゼブブは気がついた。
「……やっと気がついたかい? この身体じゃあ、権能ひとつでやっとなんだ」
舐め腐ってンのか。そう言葉にしようとしてベルゼブブは閃く。『暴食』で蹴った際に足は当たったが、権能がベリアルの魂を捉えた感覚が無かった。
「まさかとは思うが、テメェ……」
ベルゼブブは指先から眷属である蝿を一匹排出し、ベリアルの魂の在り処を辿らせた。
ベルゼブブの異名の一つとして、『蝿の王』というものがある。この名はベルゼブブが蝿を使役し、また自身が無数の虫を従えた巨大な蝿として顕現出来ることに由来する。古代にベルゼブブを神として信仰した人々は死体に集る蝿を『死者の魂を楽園へ運ぶ者』と信じていたので、蝿を率いるベルゼブブを神と崇めたのだ。
それに由来し、ベルゼブブは魂の位置を探ることが出来る。
「あァ、なるほどなクソッタレが」
ベリアルの魂の在り処を辿らせた蝿が、何度も繰り返し地面に体当たりをする。それが表すのは、ベリアルの魂が現世より遥かに下――世界の最下層、地獄にあることの証明。
「ベリアル。テメェ、いま地獄に居やがるな?」
ベルゼブブが睨みつけると、ベリアルは「あー、バレた。ま、いいか。ははっ」と軽薄な調子で笑ってみせた。ベリアルが続ける。
「ご明察だ、ベルゼブブ。オレは今、というかずっと地獄にいるぜ? アスモデウスがルシフェルと喧嘩して現世に行くとか言ったときにな、面白そうだから着いていこうと思ったんだ。だがそれでルシフェルから目の敵にされんのも面倒だからな。髪の毛から作り出した分体だけ現世に送ったワケ。遊ぶんなら、なるべくリスクは潰しておくべきだろ?」
「なァに「自分は賢いです」みてェなツラで抜かしてやがンだコラ。日和ってるだけだろうがよ」
「……日和ってる? オレが?」
ベリアルが眉を顰めた。ベルゼブブの言葉に苛立つベリアルに、ベルゼブブは「日和ってンだろうが」と見下し睨めつけた。
「面白そうだから? 違ェだろ。「リリに会いたいから」だろうが。惚れた女に会いたい。でも行けばルシフェルにキレられるかもしれない。だからキレられねェように本体は地獄に置いておこう? ハッ。クソダセェなビビってンじゃねェぞ。惚れた女のためってンなら、命張るにゃア上等な理由だ。ルシフェルに仇なす覚悟で来いや。どっちつかずなのは変わらねェなァ、ベリアル。そンなだからリリに想いの一つも伝えられねェンだろうがこのクソ横恋慕! そういうところが気に食わねェンだテメェはよォ!」
ベルゼブブに言われるとベリアルは「な、そんなんじゃねぇよこのクソ蝿!」と喚く。感情的になったベリアルはベルゼブブに向けて『無価値』を放った。
「好き勝手言いやがって虫野郎がぁ!」
「今更効くかってンだよ馬鹿がァ!」
ベリアルの『無価値』で消し去られる瞬間にベルゼブブは『豊穣』でそれを打ち消していく。『無価値』、『豊穣』、『無価値』、『豊穣』――全てを消し去る『無価値』を全てを再生させる『豊穣』で相殺しながら、ベルゼブブは一歩、また一歩と肩で風を切りベリアルに歩み寄っていく。
「こっち来んなよ! クソ、クソ! ――あっ!?」
「ぅラァッッッ!」
連続で指を弾いていたためか、一発だけ指を弾き損ねる。その隙を見逃すベルゼブブではない。『無価値』が不発した一瞬の内にベルゼブブはベリアルの胸ぐらを掴み引き寄せ、敢えて『暴食』を付与せずにその頬へ重い拳を叩き込んだ。ベリアルの歯が折れて飛ぶが、そんなことお構いなしにベルゼブブはベリアルの顔面に拳を叩き込み続ける。
「や、やべ、やめろコラ、がっ……」
「洒落臭ェわ!」
打ち込まれ続ける拳を防ごうとベリアルが手を出すが、ベルゼブブはその両手を即座に『暴食』で噛み千切る。手指を失い『無価値』を使えなくなったベリアルはしばらく藻掻いていたが、やがて諦めたようにただ一方的に殴られ続けていた。
人ひとりいない夜の街に、鈍い打撃音が機関銃の連射音の如く響き渡る。
鼻が折れ、歯は砕け、目は腫れて潰れた。顔中を血だらけにしたベリアルは、唐突に聞こえたベルゼブブではない声を聞いた。
「あ、いた! バブちゃん!」
「アァ? ンだコラ……リリか」
「そんなに睨まないでよー」
ベルゼブブはリリが来たことを確認すると、特筆して重い拳をベリアルに入れて殴り飛ばした。血と折れた歯を撒き散らしながら数メートル転がって飛んだベリアルは、僅かに咳き込むと起き上がることもせず、仰向けになったまま空を眺める。
街明かりに掻き消されて星一つ見えない夜空を眺めて、「あー、痛え。ははっ……」と虚しく呟いた。
「あー、殴るだけ殴ったらスッキリしたわ」
「うわぁ……めっちゃ痛そう。ベリりん大丈夫?」
「分体なんだから大丈夫だろ」
「あ、分体だったんだね。ならまぁ……じゃ、なくて!」
ベリアルからベルゼブブの方に視線を戻してリリが本題を話し始める。
「アスモデウスが完全顕現したの! 言い出したのはリリだけど、さすがに完全顕現されちゃったらエバちゃん一人じゃキツいから、バブちゃん手伝って!」
「お前は本当に勝手だなァ。アイツを信じてやれ、と言いたいところだが……」
ため息をつきつつベルゼブブが体をぐっと伸ばす。殴り続けて凝った肩を回して、首の骨をコキリと鳴らしたベルゼブブが言う。
「契約が履行されねェと、俺のタダ飯が無くなっちまうからな。……ッし、行くかァ!」
「理由は何でも良いけど、頼んだよバブちゃん!」
リリからエバたちの場所を聞いたベルゼブブは、ゲームセンターの自動ドア前に置かれたクマのぬいぐるみを拾ってリリに放った。
リリはそれを受け取ると、キョトンとした顔で「何これ」と問う。
「ベリアルがお前にってよ。貰ってやれ」
「可愛いから貰うけど……」
「じゃ、俺ァ行くわ。気が向いたらベリアルの野郎、治してやれ」
それだけ言い残してベルゼブブは蝿の大群に姿を変えて翔んで行ってしまう。
取り残されたリリは受け取ったぬいぐるみを見て、「血だらけのクマちゃんとか……何これ可愛いじゃん」と呟く。仰向けのまま寝転がるベリアルの元に歩み寄ってしゃがみ込み、リリはベリアルに「ベリりん、クマちゃんありがとー」と声を掛けた。
「あ? あー……気に入ってくれたなら良かったよ。ははっ……ん? 何を……?」
腫れ切れた瞼を開けてくすぐったさに目をやると、ベリアルの胸元に指先を落としてリリが魔法陣を描いていた。
「クマちゃんくれたお礼だよー」
リリが指を離すと、ベリアルの両手が再生していき顔面の傷も癒えていく。リリが治療魔術を自分に使ってくれたのだとベリアルは理解する。
「……分体なんだから、別にいいのに」
「分体でも感覚繋がってるんだから痛いでしょ?」
オレのことは何とも思って無いだろうに。なのにこうして傷を癒やしてくれる。そういうところが好きなんだよなぁ……。
そう思いながら、ベリアルは「ありがとね、リリちゃん」と言った。
「んー。地獄では、上手くやれてる?」
「まぁ何とか。……リリちゃんは、現世は楽しいかい?」
「楽しいよ。エバちゃんもいるし、レヴィもバブちゃんもいる。人間は見てて飽きないしねー」
「はは、そうかい」
「だからさ、今度はちゃんと自分自身でおいでね、ベリりん。待ってるから」
その言葉にベリアルは目を見開く。ただ「楽しいから来てみれば?」くらいのことで、それ以上の意味は無いと分かっているのに、どうしても誘いをくれたことが嬉しくなってしまう。
あぁ、敵わないな。――そう感じて、小さく微笑んだ。
「気が向いたら、行ってみるよ。またねリリちゃん」
そう言い残して、ベリアルの分体は塵になる。夜風に舞ってその塵がどこかへ行ってしまうと、リリは笑って「バレバレだっての。バカだなぁベリりん」と呟いた。




