一緒にご飯食べるだけでいいよ
「じゃア、全員生きてるッてことで、乾杯!」
「かんぱ〜い!」
「……乾杯」
中国語と日本語が乱雑に飛び交う店内で、アタシたち三人はグラスを当てて乾杯した。
どこの飲食店に行くか議論した結果、結局ベルゼブブと初めて会った中華料理屋になったのだ。閉店の時刻まで二時間も無い中、押しかけたアタシたちを店主は常連のベルゼブブがいるということで快く迎えてくれた。
「お嬢! 酒ェ持ってきてくれ!」
「飲み過ぎは駄目」
「まだ一杯しか呑んでねェだろ?」
ベルゼブブが乾杯と共にジョッキ一杯を飲み干す。そりゃあこんな飲み方を見せられたら、心配にもなる。
「アナタ、人の奢りだからって平然と飲み放題にしたわね……?」
「ア? 誰が『破壊』止めて助けてやったと思ってンだ。感謝しろ。そんで酒も飯も全部奢れ」
ジョッキのビール片手に「うははは!」と笑うベルゼブブに、アタシは伝票を一瞥して「この悪魔」と恨めしく言った。
「悪魔だが?」
「はいはいそうだったわね……!」
「やっぱり喧嘩してる」
丸眼鏡をした少女がアタシたちのテーブルに料理を運んできてくれる。次々と置かれていく料理たちはアタシとリリの食べるものも含めて十皿近くあり、更にはベルゼブブが飲み放題なんて追加したものだからこの時点で会計が一万円を超えることは確定していた。だから食べ放題メニューがあるところにしようと言ったのにと文句を言いたくなるが、疲れて腹を空かした今のアタシは出来たて熱々の料理を見るとそんなことどうでも良くなってしまう。
「喧嘩じゃねェよ。なァエバ?」
「何でも良いから早く食べるわよ」
「リリもお腹空いたー」
アタシたちは手を合わせて「いただきます」と言ってから食事を始める。アタシが注文したのはレバーとニラのもやし炒め定食。ベルゼブブの『豊穣』で回復はしているが、アスモデウスとの戦闘でかなり血を流したことでどこか貧血気味な感じがしたからだ。
臭みを全く感じさせないレバーの少しモソっとした食感ともやしのシャキシャキ感のバランスが食べていて楽しい。その中でニラの香りが良いアクセントになっていて、一口食べると米が欲しくなる。
レバー炒め、米、次にレバー炒め、また米……。箸が止まらずこのサイクルから抜け出せない。気がつけばお茶碗の中の白飯が尽きていて、アタシはすかさず「おかわりを頂けるかしら」と少女に言った。
「ご飯、どれくらい?」
「……大盛りでお願いするわ」
「是」
中国語で短く返すと、少女はすぐに白飯を山盛りに持って来てくれた。アタシはそれを受け取るとまたすぐにレバーと米のサイクルに突入した。
「美味しい〜……あっ」
レバーと白飯を頬張ると、つい顔が綻びてしまう。今のアタシ、かなりだらしない顔をしていたのではないか? からかわれたりするんじゃないかと身構えていると、隣に座るリリが頭をアタシの撫でてくる。
「今のエバちゃん、ちょー可愛かった! いっぱいお食べ〜! まぁエバちゃんのお金だけど。……お米ついてるよー」
そう言ってリリは、アタシの頬についた米粒を指先で取って食べてしまう。アタシは何だか子供扱いされたみたいで恥ずかしくなってしまい、リリから目を逸らした。目を逸らした先で今度はベルゼブブと目が合う。ベルゼブブは酒を飲みながら微笑んでいた。
「……何よ」
「いや、お前って意外と飯食うの好きなんだなァと」
「普段はこんな顔しないわよ。……ここの料理、美味しすぎるから」
アタシがそう言うと、ベルゼブブは楽しそうに「そうだな、ここの飯は美味ェンだ! どうだエバ、俺が注文したやつもいくらか食うか? リリも何か食いたきゃ適当に持ってっていいぞ」と目の前にある皿たちを指す。
「じゃあ玉子とお肉のやつちょっとちょーだい」
「おう! 食いたいだけ持ってけリリ!」
リリはベルゼブブの前にある玉子と豚肉の炒めを、自身が食べかけている炒飯の皿の空いたところに数口分取り移した。
「ん〜! コレ美味し〜!」
舌鼓を打つリリを見ていて、アタシも食べてみたくなってしまう。それを察したのか、ベルゼブブが玉子と豚肉の炒めの皿をアタシの前に移動させた。
「ホラ、食いてェンだろ? 美味ェぞ」
「……支払うのアタシだから、文句言うんじゃ無いわよ」
「別に言わねェよ。ホラ食え」
アタシは食欲に負けて皿から一口取って食べる。……美味しい。玉子の甘みと豚肉の塩気のコントラストが幸せで、そこに食感のアクセントとして……これは細切りのきくらげだろうか。コリコリとした食感がこれまた食べていて楽しい。
気づけばアタシは、止まらず五口ほど食べていた。
「……あっ、ごめんなさいこんなに……」
「うははっ! 気にすンな! 食いたきゃ食え! ……やっぱコレ美味ェなァオイ!」
ベルゼブブが笑う。見ていて本当に食事が好きなんだなと感じた。何を食べても「美味ェ!」と笑い、勢いがありながらも整っていて美しいその食べっぷりは、見ていてとても気持ちが良いものだった。
「……おにーさん。コレ食べてみて」
「お? ンだ、いいのか? でも麻婆豆腐ならもうあるが……」
全身で食事を楽しむベルゼブブに、少女が出来たての麻婆豆腐を持ってくる。少女は相変わらず淡々とした感じで「……作り過ぎたから」と皿を渡した。
「まァくれるッてンなら貰うわ。ありがとうな、お嬢」
「それ、お金取らないから気にしなくて良い」
ベルゼブブは「いただきます」と小さく呟いてからその麻婆豆腐を口に運ぶ。しばらく咀嚼してから少女に「オイ、お嬢」と声を掛けた。
「……美味しくなかった?」
「いつもより山椒がバッチバチに効いててクッソ美味ェわ! コイツぁ良いぞ。ありがとうなァ、お嬢!」
そうベルゼブブが笑うと、少女は口元を僅かに緩めて「なら、良かった」と言った。
「オニーサン! その麻婆豆腐、タオちゃんがオニーサンに作った麻婆豆腐! 美味しい、良かったネ! タオ!」
厨房から笑顔で言う店主に、少女は「パパ! 不要说多余的事情!」と耳を赤くしながら言い返す。その様子を見ていて、アタシはリリと顔を見合わせた。
「エバちゃん、コレってそういうことだよねー?」
「そうね。ベルゼブブがどう反応するか楽しみだわ」
アタシたちが茶化すように話していると、当の本人は「外野がうるせェなァ」とアタシたちに呆れながら麻婆豆腐を完食していた。
「お嬢、麻婆豆腐ありがとうな」
ベルゼブブが綺麗に食べ切られた皿を手渡すと、ベルゼブブと視線を合わせずに「……これ、私が作った。……本当に美味しかった?」と訊く。焦れったいなコイツら。
「そうか、お嬢が俺のために作ってくれたのか。どうりで最高に美味かったワケだ。ありがとうなお嬢。最高だ」
そうベルゼブブが笑いかけると、少女は頬を赤く染めたまま「……嬉しい。ありがとう」と静かに言った。
「バブちゃんさー、今度その子とご飯でも行けばー?」
リリが唐突に言うので、アタシは驚いて水を変に飲み込んで咽る。「え!? ……あぅ……」と吃る少女の横でベルゼブブがリリに返した。
「アァ? 俺ァ別に構わねェが……お嬢もそんな暇じゃねェだろうよ」
「何? タオちゃん、オニーサンとお出かけ? イイヨ! いってらっしゃい!」
会話を聞いていたらしい店主が笑って言う。少女は店主と中国語で数言会話すると、やがてきまりの悪そうな面持ちでベルゼブブに向いた。
「……おにーさんなら、行っても良いってパパが」
「お? じゃあ今度行くか?」
「……うん」
少女は照れながらも柔らかい表情で返事をすると、「わ、私、仕事戻るから!」と厨房のほうに駆けていってしまう。その様子を見ながら「わぁー! 青春パワー、ゴチでーす」と炒飯を完食するリリ。気がつけばアタシも最後の一口を口に運んでいた。
「……日にちも何も決めずに行っちまったが、いいのかよ」
「どうせバブちゃん、ここよく食べに来るんでしょ? ならそのときでいいんじゃなーい?」
「まァ、そうだな。……っと、悪ィ。あと食い終わってねェの俺だけか。お前ら、もう他に食っとくモンは無ェか? 無いなら全部食っちまうが」
お腹いっぱーい、と言うリリに続いてアタシも「美味しかったわ」と満たされた感覚に浸っていた。アタシたちの返事を聞くと、ベルゼブブは「なら、全部いっちまうわ」と端から素早く食べ切っていった。
「あァ、美味かった。ンじゃあエバ、会計頼んだ」
一口も残すことなく完食したベルゼブブに言われ、そういえばそういう契約だったことを思い出す。伝票を取ろうと手を伸ばして自分の手が視界に入るが、その手の甲からは既に契約の紋章が消えていた。
「あれ…?」
「ア? どうした?」
「いえ……」
「あんまり長居しててもアレだから、食べ終わったら行こー」
リリに言われて「そうね」と返し席を立つ。それを見て少女がレジ機の前に立った。アタシは少女に伝票を渡す。
「お会計してくれるかしら」
「ええと……一万二千円」
改めて突き付けられたその数字にため息をつきながら、アタシは財布から一万二千円丁度を取り出して少女に手渡した。
「領収書は?」
「いらな……やっぱり貰えるかしら」
「ん」
少女からレシートを受け取る。一応任務の進行に必要だった出費なので、経費で落ちないかなぁ。落ちない気もするけど、一応提出するために貰っておくことした。アタシは少女からそれを受け取ってリリたちの方へと歩む。
「ごちそうさまです美味しかったでーす!」
「美味しかったわ」
「美味かったぜ。また来るわ!」
「ありがとう。また来て」
「謝謝! また来てネ〜!」
軽く挨拶を済ませてアタシたちは退店した。静かに吹く夜風と身を優しく包む満腹感が心地良い。
「ンじゃあ、俺ァ向こうの方だからよォ。飯、ありがとうなエバ」
「ええ。こちらこそ、色々とありがとう」
「気にすんな。……リリも、元気でなァ」
「バブちゃん、ありがとうね」
「おう。またどっかで会うことがあれば、そのときはまた飯でも食おうや。じゃあな」
そう言ってベルゼブブは、上機嫌で歩いて去って行った。しばらくの間その背を見送ると、リリが「リリたちも帰ろっか」と手を繋いでくる。
「ちょ、何よ」
「んー? 別にー?」
まぁいいやと受け入れ、アタシたちは歩き出す。リリの手を握っていて、そういえばと思い出してリリに問うた。
「そういえば伝票を取った時に気がついたのだけれど、アタシが会計を済ます前にベルゼブブとの契約の紋章が消えていたのよね。アレって、契約を完遂しないと消えないモノじゃないの? ベルゼブブが力を貸してくれる代わりに、彼の食事代をこちらが出すという契約だったのに……何故かしらね」
「え? バブちゃんとの契約紋なら、乾杯した時点でもう消えてたよ?」
「えっ?」
食事代を出すどころか、食事が始まった時点でもう消えていたらしい。アタシは驚いてリリに訊いた。
「そうなの? でも、どうして」
「バブちゃん、最初から奢ってもらうとかは割りとどうでも良かったんだと思うんだー。奢ってくれるなら奢ってもらおうくらいの気持ちだったと思う」
「どういうこと?」
困惑するアタシが問うと、リリはアタシと繋いでいないもう片方の手でクマのぬいぐるみを抱きながら続けた。
「バブちゃん、昔は神さまって崇められてたって言ったじゃん?」
「ええ。たしか豊穣の神だったかしら。農作物を護り民たちに恵みを与える神よね?」
「そうそう。バブちゃんが神さまをやってたのはね、出来た小麦とかで作ったパンを民たち皆と食べるのが好きだったからだよ。バブちゃんはただ、誰かと一緒に食べるご飯が大好きな子なの。だから最初っから奢る奢られるが条件じゃなくて、「奢らせる」っていう建前で一緒にご飯食べたかっただけだと思うよー」
「ならそう言えばいいのに……」
「あの風貌で「一緒にご飯食べるだけでいいよ」とは言いづらいでしょ」
ベルゼブブの見た目を思い出す。派手な柄シャツ、黒い細身のスキニーパンツ、紫色の長髪、目が透けて見えるくらいの色の薄いサングラス。それに威圧感を感じさせる言葉遣い。あぁ、確かにアレから「ただ食事を共にしてくれ」と発されるのは想像がつかなかった。
「素直じゃないのね」
アタシは笑いながら言う。それに対してリリも「本当にねー」と同調してくれた。
「もっと素直になれば良いのにねー。タオちゃんだっけ? あの女の子。あの子のことだって―――」
他愛もない会話をしながらリリと歩く。ただこれだけが安心できて、心地が良かった。それは時として「この魔女を殺さなくてはならない」ということを忘れてしまうくらいに。
アタシは「本当に殺さなくてはならないのだろうか」と自問をする。……いや、アタシが殺さなくてはならない。それがリリ本人の望みであり、アタシの魂に刻まれた約束の責任だから。でも……。
――殺したくない――
不意に見えた感情から、アタシは目を逸らした。
大体アタシは祓魔師だ。そもそもの話、悪魔とこんなに親しくしているのが間違いなのだ。
そう思って、アタシはリリの手を離そうとする。だが離れかけた指をすぐにリリに絡められてしまう。その度にどこか手離してはいけない存在のような気がして、アタシはやっぱり手を握ってしまう。
「どうしたのエバちゃん? ……リリと手繋ぐの、嫌?」
リリが不安そうな顔で見てくる。誰だ。リリに不安を与えたのは。誰……アタシか。アタシがリリを不安にさせた。その途端に何だか悲しくなって、アタシはリリに「ごめんなさい」と言う。
「嫌じゃないわ。不安にさせて、ごめんなさい」
「……エバちゃん、大丈夫?」
「……ええ、大丈夫よリリ」
……どうかしているな。相手は悪魔、それも大魔女と言われる存在だ。そんな奴に、祓魔師であるアタシが申し訳無さを感じるなんて本当にどうかしている。
リリのことを殺したくない。この子から、手を離してはいけない。一人で遠くに行かせてはならない。
反対に、アタシがリリを殺さなくてはならない。何が何でもリリとの約束は果たさなくてはならない。
――その両方の感情がアタシの中で混じり合う。二律背反する感情に押し潰されないよう、アタシはリリの手を少しだけ強く握り返した。
不安も迷いもアタシの感情は不確かなのに、今このとき隣りにいるリリの手の温もり。これだけは確かなものだった。




